第36話 魂の定着

 エネ大王は見る見るうちに大きくなる。どんどん黒く変色していく。彼の体に壁が当たり、そのたびにドルメンが壁を移動させた。

「今年は死者数が多かったのか、『昇華』が間に合ってみないみたいですね」ドルメンが冷静に言う。

「眠ったままですけど起きないんですか?」ディーンが必死に走りながら、見よう見まねで壁を移動させる。

「父さんはいったん寝るとなかなか起きん。『昇華』にはかなりのエネルギーが必要となる」

「そそそそんな、あっ」エネはだんだんと体が黒くなり、筋骨隆々だったその肢体はやがてぬめぬめと湿り気を帯び、光り始めた。

「なんだか母さんの髪の毛に似てきている」

「儂の髪もこの『記憶の水』でできておる。儂の体はどういうわけかわからんが、『エネ』を『ラヴ』に変えることができるらしい。父さんは今もそれを三十万人分、全身で行っているわけじゃ」

「なるほど。でもこの部屋、ちょっと狭すぎやしませんか?」ディーンは爪をかじって血を出し、呪文でエネ大王をもはや別の空間に放り出そうとした、まさにその時、


「だあれ」とエネ大王の右手が言った。


みない ひと ああ あたらしいひと だれ おまごさん おまごさん 

でもにんげんよ わたしわかる ああ にんげんみたいだ にんげんのにおい 

ねえわたしもここにいる にんげんじゃないか 

ここにいるから うまれかわるのかしら いいこにしてて いいこだよ 

ぼくうまれかわる おおきなやしきのおんなのこ てんせいってしっているか 

うそだ みんなじごくにいくんだ あのにんげんは わたしたちのことみているわ 

わたししんだのかしら しんだみたいんね ねえくっつかないで 

なんだかうごけなくてくるしい はやくうまれかわりたいな しんじゃったの 

あのこはいきているの にんげんのにおいがする いきているみたい 

あのこのなかにはだれがいるの たましいがはいっているにんげん 

あのこのなかにはだれもいない 

はやくももううどどううででももいいいいかかららううままれれかかわわららせせてて


「エネをもらうぞ、大王様」


 後ろから突然やってきたのは、剣を持った金髪の青年だった。彼は寝ているエネ大王から右手を切り落とし、その右手から出る魂のエネルギーを腰にぶら下げていた木箱に詰めてしまった。


「何をするんですか?!」

 ディーンは叫んだ。しかし次の瞬間、エネ大王の右手はぼこぼことした音を立て、 みるみるうちに元に戻った。いや正確には新しく「生えた」と言うべきか。

「少々こちらでラブを生成しても構わんだろう」金髪の男は剣を鞘に納めた。

「昇華のスピードが昔よりも明らかに遅くなっていますから」台詞に似つかわしい爽やかな声。なかなか顔も整っている。髪の毛と同じ黄金の目をしている。

「キッシンジャー様、ご無事で!」ドルメンが彼に語りかけた。

「え?! キッシンジャー様?!」ディーンは今一度金髪の彼の方を見る。

「ええ、彼はもうかれこれ100年ほど前からここでエネルギーの安定を行っています。ご存じで?」

「知っているも何も僕の父型の祖父だぞ。彼がここにいるはずない。もしかしてキッシンジャー様のご先祖か?」

「いえ、ディーン・オータス様、もとい私の愛すべき孫と言うべきか。君はれっきとした私の孫だ。改めてご挨拶しよう。私はキッシンジャー・オータスだ」

「ディーン・オータスです(おそるおそるディーンは右手を差し出した)。あなたは本当に私の祖父のキッシンジャー様なのですか?」

「ええ。私は紛れもなく『キッシンジャー・オータス』の体を持っている。嘘偽りなく君のおじいちゃんだ。……っと危ない(キッシンジャーはエネ大王の右足首を剣で切った)。はは、今回はかなり大きくなるね。今年のエネは豊作だ」

「キッシンジャー様の肉体がここで生きているということですか?」

「そうなるね。ただ、僕には『記憶』というものがない。さ。魂のほとんどは肉体を離れた場所に定着されてしまった。わずかに残された情報だけを頼りに今この肉体を維持している。私に呪文をかけた医者の魂の定着技術は素晴らしかったが、私だって負けていなかった、ということだよ。ぎりぎりのところで、魂のコアを保護して隠したんだ。これがあればなんとかこの肉体はこうして綺麗に維持できるのさ。ほら、(彼は一回転して見せた)こうして自由に動き回ることも可能さ」

「記憶はどこまであるんですか?」ディーンは思わずその場に座りこんだ。若く理知的で整った顔を持つ彼は、まちがいなくディーンのイメージと寸分違わなかった。

「ほとんどないね。人から聞いたものをあれこれ組み合わせて過去の自分を今知っている。なんでも、僕は昔かなりの剣技を持っていたらしい。といってもこれもドルメンから聞いた話さ。今の僕は他人の寄せ集めの僕でしかない。君は?」

キッシンジャーはディーンに剣を一本預けた。どうやらもう一本持っているらしい。

「君は、君かい?」

「そりゃ僕は僕で……


 言いかけて、彼は答えられなかった。彼には一部の記憶がない。その記憶すらないので悲しみようもないが、確かに彼は母親の記憶の一部をエネ大王に渡してしまっていた。


「やっぱり別の空間に移動しようかのう!!」

 考え込んでいたディーンはレメディオスの大声で我を取り戻した。

「部屋を『作る』のですか?」移動しながらディーンは叫んだ。

「今回はあまりにも限界だ。こんな父さまは見たことが無い。正直、ここまで大きくなるとは思わせんかったのじゃ」

「いや、それならば」ディーンが剣を抜いた。

「キッシンジャー様。エネがあったら力を貸してください。かなりのエネが必要です」

「言うじゃないかね、孫よ」

「エネ大王の魂を定着させます」

 キッシンジャーが目を見開き、口笛を吹く。

「エネ大王の魂を定着、ね。反証はあるけど一応聞こうか」キッシンジャーはもう一本の剣を振り回し、手になじむ角度に調節した。

「キッシンジャー様はここではない別の空間を知っていますか?」

「もちろん知っているが、」

「そこにしましょう。僕は自分のラヴを使って大王様の魂を定着させます。僕自身もそこに定着させて下さい」

「お前が帰ってくる保証は……?」

「また僕を定着しなおせばいいだけの話さ、ほらどんどんお祖父ちゃんが大きくなる」


 エネ大王は見たこともないほどに大きく膨れ上がり、ぬめぬめと湿っていた。黒く、嫌な光を発している。この姿は一度だけ昔、図鑑で見たことがある。

 ナマズ。

 確か図鑑にはそう描かれていたような……。

 ディーンは自分の指を剣で切った。


「行こう、『無動の彼方へ』」

 ディーンは心の中で呟く。

 またすぐに会えるさ。






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