第9話 センブリの秘密

 「いかがですかな」とセンブリが言った。


散歩とはいえ監視がつくのは予想していたが、ディーンはこの終始不機嫌な男が苦手だった。


 ディーンとセンブリは屋敷の中の庭を散策していた。外は晴れていて、ヒヨドリや雀が時折観察できた。庭は綺麗に手入れされており、芝刈りが芝を切っていた。椿の花がぽつぽつ咲いていた。


「どうもこうもまだ全然だね」

「まあ、気長にやりましょう」彼は相変わらず仏頂面で答えた。


「まだ一日目ですし、そんなに根を詰める必要もないでしょう。あなたの優秀さはかねがね聞いておりますからね」

 褒められているはずだが、ディーンはそれほど嬉しくなかった。それはセンブリの、全く感情を伴わない平坦なしゃべり方に起因していた。


「まあでも、暗号は解けるかわからないよ」彼はカマをかけてみた。

「そもそもなぜ暗号があると確信できる?もしかしたらただの論文や本かもしれないじゃないか」

「仰ることはわかります」とセンブリが言う。

「しかしティム様のご命令なので」

「お前はなんでもティムには従うんだな」

「もちろん」センブリは口調も表情も変えない。

「何かそれが問題でも?」

「別に、お前は何も考えないで彼に全面的に従うんだなって」

「それが私の仕事です。ティム様にお仕えすること、それが私の使命です。それ以外のことは私にはどうでもいいことです」

「ずいぶん買い被っているんですね」ディーンは知らず知らずのうちに口調に棘が生えてきた。

「ええ」彼は何でもないという風に答えた。


「彼は孤児の私に知識を、技術を、職を与えてくださいました。彼がいなければ今の私はないからです」

「へえ」

 ディーンは意外だった。義兄を殺そうと考えている人間にそんな慈悲があったのかと驚いた。

「詳しく聞いてもいいですか?」

 ディーンは庭の椿を見ながらゆっくりと庭を散策した。この庭には虫一ついなかった。ディーンのすぐ後ろにセンブリが同じ速度でついて来ていた。

「……つまらない話です」

 センブリは淡々と語った。






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「私の名前が変わっているのはあなたも感じているでしょう。私は生まれ故郷さえわかりません。前は美しい金髪だったのですが……今や見る影もなく頭を剃ってしまっていますからわからないかもしれませんが……西の方の国が故郷だと推測しています。

 私はかつてキッシンジャー様がご家族の記憶を守るために戦った血生臭い五十年前の戦争で両親を亡くしました。キッシンジャー様はおひとりで戦われた。さぞ凄かったと聞いております。私はまだ幼く、実際あまり記憶がないものですけれどね……。

 ただ、月に彼の影が重なるくらい高くジャンプし、呪文を操る彼の姿は覚えております。それはなんていうか、まるで舞台のようでした。絵画的だったと言ってもいい。とにかく何かしら神秘的なオーラがありましたよ、キッシンジャー様は。そのころまだ彼は三十歳を過ぎたところで、仕事盛り、男として一番活きのいい時代を生きていました」


そこまで話してしまうと、センブリは一息ついて、


「退屈じゃあありませんか?」と言った。


「いえ」ディーンはかつて自分が纏っていた刺々しい気分がもう消えていることに気付いた。


「面白いです」


「ありがとうございます……その頃まだキッシンジャー様はご子息を二人しか生んでおられなかった。貴方の義父でキッシンジャー様の三男であるブライアン様はまだお生まれになっていなかった。確か当時ティム様はまだ年端も行かぬ幼児だったと記憶しております。私と同じくらいでしたよ」


「私と同じくらい?」ディーンは聞き返した。


「昨日僕が見たティム……様は二十代か三十代といったところだったけど」


「ああ、そんなことあるわけがないでしょう。貴方の義父のブライアン様よりも年上なのですから」


「それはそうだけど、改めて聞くと驚くな」


「驚くでしょう。彼は定期的に呪文で自らを若返らせているのです」


「呪文で……自らを……?」


「そうです」


「そんな」ディーンは驚愕した。


「そんなはずはない。老化を遅らせることができても若返らせることはできない」


「そうですね。詳しいことは私にもわかりかねます。私はあの人ほど学があるわけではないのです。

 私は常にあの人を追って生きていました。キッシンジャー様の計らいで私はティム様と同じ学校に通いましたが、ティム様は当時から才能がありました。成績は常に一番で、何かあれば皆ティム様に頼りました。時には教師さえもね。

 私はティム様にくっつく金魚の糞のような存在でした。ティム様が剣術を習えば私も剣術を、彼が東洋の将棋を覚えればわたくしも必死になって覚えました。それでも、どんな分野においても彼には勝てませんでした。彼といると、否応なく自分が平凡な人間であることを痛感します。もっともその才能はディーン様、貴方にも健在だとは思いますが……」


センブリはちらりとディーンの方を一瞬見て、また庭の椿に目を向けた。


「私は彼と違って、呪文の心得はあるものの、それほど身につきませんでした。まあ、」と言って彼は指を鳴らした。地面に小さな焚火が上がった。


「炎を作り出すとか、これくらいのことはできます」センブリが右足を大きく蹴ると、その炎は消え、煙となった。


「でも、この程度です。私は化学や物理があまり得意ではなかったのである程度までは習得できたのですが、やはりある地点で頭打ちになってしまいました。

 この呪文もすべてティム様に習ったものです。ティム様はあるときから錬金術を本格的に学び、呪文の成り立ちから理解しました。三十歳を目前にして、彼はそれ以来一度もお姿が変わることなく存在しているのです。つまりは三十年近く同じ容貌をしているということですな。それは昨日、貴方様も見た通りです」


「しかし、老化は誰だって免れ得ない」


「日々、細胞は変わっている。老化は生命全体の発達と循環に必要なサイクルだ。それを止められたとしても、逆行することは不可能だ」ディーンは語気を強めた。


「自然の法則に反している。説明がつかない……、僕の今まで学んできたこととは違う……」


ディーンは混乱した。しかし実際に昨日見たティムは、二十代と言っても通用するほどの若さを保っていた。しかし実際には彼は義父のブライアン・オータスよりも年上だ。


「私めには詳しいことはわかりかねます」センブリは尚も訥々と語った。


「ただ、彼があのお姿を実際にしていることは確かです。詳しいことはわかりかねますが、それは事実です。事実は何よりも正しい。それをあなたは受け入れなければならない」


「仰る通りです……」

 ディーンは混乱した。今まで自分が得た知己が間違っていたのか、視野狭窄になっているのか、はたまたティムが何かしらの貴院気を行っているのか、彼にはわかりかねた。


「この世には……まだまだわからないことがある……」ディーンはセンブリの言葉を認めざるを得なかった。

「そうです」彼は淡々と言った。

「事実は何よりの正しい。それは真実です」

「哲学的だな、そのフレーズ、使っていいか?」

「いいですよ」センブリは初めて驚いたように目を見開いた。

「なんなりと」

「覚えておくよ」


 二人は一時間ほど庭を一周した。

「風が冷たくなってきましたね」とセンブリが言った。

 この一言で、二人は屋敷に戻った。





 部屋に戻ると窓から突然、こつこつ、と音がした。誰かが何かを石で叩くような音だ。


「誰だ」


 ディーンは起き上がった。相手は敵かもしれない。彼はベッドから這い上がり身構えた。しかし一瞬、頭によぎるものがある。キッシンジャー様だ。あれからキッシンジャー様はどうなったのだろう、彼が来てくれるとどんなにありがたいだう……。 

 二十年間片時も離さなかった彼と今別離して、初めてディーンは赤子のような寂しさを感じていた。彼は窓ににじり寄った。一歩、また一歩と慎重に進む。


 恐る恐る窓へ前進すると、そこにはハトがいた。こここここ、と何回もくちばしを窓につついている。

「なんだ」ディーンは安堵した。

「鳩か」彼は葉とを自身の部屋に招き入れた。

「悪いけど君には暗号がわかっても教えないよ」

部屋に来た新しい住人にくぎを刺し、新しい住人が部屋を一蹴したのを見て安堵して彼は眠った。

「おやすみ」



 その日、暗号を解くカギは何も見つけられなかった。ディーンは夜まで粘っていたが、女中がディーンを風呂へと誘ったのでやっと諦めた。


 彼は風呂で一日の疲れを癒し、床についた。疲れていたが、頭は冴えていた。

 昼にセンブリが言っていたことが、彼の頭から離れない。

 ティムはセンブリを助けた。ティムは若返りの方法を知っている。暗号を解けと言って僕を突然さらう……。


 いくら考えてもわからないモヤモヤが彼の頭を支配していた。大量の文字が彼の頭に浮かび上がっては消える。それらの多くは疑問形で終わる。


 彼にはわかっていた。前に進む方法はただ一つ。

 暗号を解くだけだ。


 


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