その涙さえ命の色

 青年は、霧の森をすたすたと慣れたように歩いていく。時折、後ろの少女に目を向ける。

 彼が本当に精霊なら、こちらを騙している可能性もあるがそれでもいいと彼女は思っていたし(覚悟して森に来たのだから)、一方で信頼できるとも感じていた。

 どちらにしろ、彼についていく他に選択肢がない。どれだけ歩いても、自力では薬草を見つけられないだろう。



「着いたよ」


 やがて青年が足を止めたのは、森の中でもわずかに日光が差し込む開けた場所。

 そこには赤い花が数本咲いている。花びらが七つ、茎と葉は青。少女は思わず何度かまばたきをしたが、花はほのかに光を放ち確かにそこにある。

 青年は歩いていくと、一輪の花を手に取った。赤と青が混ざった根が露わになる。

 少女は駆け寄り、鞄から布を取り出して彼に差し出した。彼は受け取ると、花を布で包んだ。それを少女にそっと渡す。

 頭を下げてから手にとって、少女は布の隙間から見える花を眺めた。夢ではない。少女がほしいと思っていたものが手の中にある。

 頬を赤らませている少女に、青年は近づいた。


「これで君の用はおしまい。ここは普通の人がいるべきところじゃない、早く帰ったほうがいい」

「……でも、帰り道がわからない」


 少女が困った顔をすると、青年は小鳥に目を向けた。

 小鳥は頷くように首を縦にふると、青年の肩から飛び立つ。そして二人の頭上まで飛ぶと、速度を緩めて


 それは間違いなく歌だった。

 柔らかな声は森に広がり、高くなったり低くなったりして音程を変えながら、周りに反響していく。

 その歌は弦楽器のように凛々しく鈴のように軽やかで、少女が今までに聞いたどんな音よりも美しい。どんなに人が頑張ったところで、こんな音を出す楽器は作れないだろう。

 その歌に誘われるように、少女のいるところから霧が晴れだした。そのまま、一つの道を作るように霧は晴れていく。

 遠くに見える光の当たる場所まで、霧が晴れると、鳥は歌うのを止めた。誇らしげに、そのまま円を描くように空を飛んでいる。


「霧がない道をたどるんだ。できるね?」

「……はい」

「気をつけて帰るんだよ。このことは僕らの秘密だからね」


 少女は青年の言葉に頷こうとして、


「でも、カルムには隠し事したくない……」


 下を向いてつぶやいた。それほどに、彼は仲の良い大切な友達だった。


「うん、だから秘密だ」


 青年はいたずらっぽく笑った。彼がそう言った瞬間、鳥は羽をばたつかせた。慌てた様子で青年の肩に止まる。

 青年は小鳥を落ち着かせてから、少女に紫色の瞳を向けた。


「さようなら。友達が元気になることを祈っているよ。そして忘れないで。この森は、君のような人にとってはいつでも味方だ」


 少女はしっかりとうなずいて「ありがとう」と礼を言って頭を下げた。そのまま頭を上げて、少女は目を丸くした。


 少女の目の前には。振り返ると薬草の生えていた場所もなく、太い木が道を遮るようにあるだけ。

 夢だったのかと思ったが、持っている布の重みも感触もたしかにある。花も布の隙間から見える。全部本当にあったことなのだ。

 少女は花から目を離すと、目の前にある霧のない道を歩き始めた。光の当たる場所に近づくたびに、空気が暖かくなっていく。

 光の当たる場所まで出ると、そこは森の外だった。少女が入ってきた森の前で、森をずいぶんとさまよった気もしていたが日はまだ高いところにある。

 振り返ると、森は再び霧の中に閉ざされるところだった。

 少女は森に向けて頭を下げてから、村に向かって走り始めた。花が新鮮なうちに届けなければならない。

 彼女は走りながら腕の痛みが、そもそも怪我が治っていることに気づいた。だけれど、全ては本当にあったことだと心から信じていた。



 村に着いたのは日が暮れる少し前で、村人は驚いて彼女を迎えた。全員が、彼女は死んだものと思っていた。

 森について聞こうとする人々をふりきると、少女は真っ直ぐに彼の家に向かう。

 彼は親を亡くしているから、彼女を迎えたのは看病をしている少女の祖父だった。祖父も驚いていたが、少女が差し出したものを見て動きを止める。


「これで治る? 助かる?」


 祖父は、少女の必死な目を見ると黙ってそれを受け取った。


「すぐに薬を作ろう」


 少女はそれを聞くと、友達の眠る床に近づいた。足が疲れてはいたが、休んでいる場合ではない。

 彼は大粒の汗を顔中に浮かべていた。その額を布でぬぐってやる。まだ彼は生きて、必死に病と戦っている。

 少年は目をうっすらと開けると、少女の手を弱く掴んだ。


「サリュ、帰ってきたのか……?」

「うん、帰ってきたよ。今薬作ってるから待ってて、カルム。飲んだら治るよ」


 少女は彼の手を優しく包み込むと、声をかけた。

 少年は、苦しい息の中何かを言おうとしたが言葉にならないようだった。

 やがて祖父が持ってきたのは、淡い紫色の薬湯だ。あの青年の目と同じ色。花の赤と青が混じったのだろう。

 少女は受けとると、祖父が助け起こした少年に飲ませた。

 彼はごくりと音をたてながら、噛むように飲んだ。少ししてもういいと言うように首を振ったので、少女は手を止めた。


「……どう?」


 横になった少年に尋ねる。

 少年はしばし辛そうに唸っていたが、やがて目を瞬いた。その目は先程よりも、強い光を持っているように見える。


「……すごい」

「何が?」

「熱はまだ、あるけど。体の痛みが弱くなった気が、する」

「えっ?」


 少女は少年を覗きこんだ。先ほどよりも息が軽くなっているように見える。祖父も驚いた顔をして、少年の様子を診る。


「これなら、大丈夫かもしれんな」

「本当っ?」


 喜ぶ少女を見て、祖父は微笑むと「取りに行くものがある」と言って家から出ていった。

 残った二人は喜びを分かつように、手を握りあった。少年の掴む力はまだ弱いが、先ほどよりも楽そうだ。

 どんなに体が痛かったことか。少女は彼の病に胸を痛めた。自分が森に行かなければ、少年はまだ苦しんでいただろう。死んでしまっていたかもしれない。


(良かった、良かった……!)


「本当に良かった……」


 笑う少女の顔から涙が流れる。それが、二人の握りあっている手に落ちる。少女が謝りながら少年を見ると、彼も泣いていた。


「何で泣いてるの? まだ辛いの?」

「違うよ……。君が森に行ったって聞いた時、死んでしまったと思ったから」


 少年の目から、涙がこぼれ落ちた。


「よかったよ、君が生きてて」


 少女はこれで少年が助かると思っていた。しばらく見れていなかった彼の笑顔が、ようやく見れると思っていた。

 けれど、見たかった笑顔が見れなくても、少女は嬉しかった。泣けるということは、彼がということだから。涙さえも今は彼の生の証だ。


 しばらく二人は泣きながら互いの無事を喜んだ。その間に、少女の疲れもどこかに吹き飛んでいった。

 そして涙が引っ込んだ後、少女は残りの薬湯を飲ませると、


「ほら、寝ないと。寝て起きたら、きっと良くなってるよ」


 少年の布団をかけ直しつつ、声をかけた。


「なんだか、眠れないや」

「寝ないと駄目だよ。あっ、でもそうだ」


 少女は少年の横に座り直すと、微笑みを浮かべた。その顔には、涙の痕がまだ残っているが心の底から嬉しそうだ。


「じゃあ、眠れるようにお話ししてあげる」

「僕はそんなに子供じゃないよ」

「いいから聞いて。だって、これは私たちの秘密のお話だよ?」

「秘密?」


 けだるそうな少年の声に、楽しそうな響きが生まれる。

 そう、約束した。だと。


「うん、秘密のお話」


 少女は少年に体を寄せた。そして優しげな声で語り始める。


「私は精霊の森に行ったの。そこはね――」








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その涙さえ命の色 泡沫 希生 @uta-hope

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