1-11 命がけのセド

「値段をつけろ、明日でよいな」


 王は言った。これ以上なく短く唐突な王の言葉に呆気にとられる面々の中、それが国の対価であると理解したのはニリュシードだった。

「明日とはなんとも乱暴な。せめてひと月はいただきたく存じます」

「長い」

「それでもこの国の対価、吟味する必要がございます」

 ニリュシードは丁重に頭を下げた。

「死にたいのか」


 脈絡がないからこそ、王の言葉は真実味を帯びて響いた。ニリュシードは腹の底に力を入れ、口角を上げた。対等な交渉相手と思われなければ、目上の者相手に商売など成り立たない。


「いいえまさか。ただ私は心配しているのでございます。私が思うこの国の値段は低くはありません。ですから、明日こちらにご用意させていただいたとすると、大変申し上げにくいのですが、これ以降の王城内、城下含め、全ての物流が破綻することになります。有難くも、我がトルレタリアン商会は手広く商売させていただいております。それを前もって了承していただける、ということでよろしいでしょうか」

「それはそちらの事情だ。我には関係ない」

「お待ちください!王。トルレタリアン商会が換金のために物資を動かせばそれだけで国が止まります。どうか、それだけはお考え直しください。――お願いします、王」


 ヤホネス宰相は王が国を売ると口にしたときよりも必死の形相で言いつのった。現在、ニリュシードのトルレタリアン商会が関わっていない商売はない。王城への勤め人の紹介、使われる日用品や食料品、物資・金銭の両替にいたるまでこの国の隅から隅までトルレタリアン商会が絡んでいる。トルレタリアン商会が手を引いたら、この国の経済は成り立たない。


「……三日だ。三日後の同じ時間に参れ。それ以上は待たん。お前たちが買うこの国だ。思うがままの値段をつけろ。目録でもなんでもよい、必ず形としてあらわせ。値段など付けられないなどとおためごかしを言うつもりなら……覚悟しろ」


 王は顎をしゃくった。


「畏まりました」

「ほかにも質問があれば今きけ」

「それでは一つ質問をよろしいでしょうか?」

 タラシネ皇子が口を開いた。

「なんだ?」

「国とは一体どこまでのことを指すのでしょうか」

「……無論。この国全土だ」

「その土地には民が生き、家を建て生活しております。城下には商いを営む者もございましょう」 


 タラシネ皇子はニリュシードをちらりと見た。

 ニリュシードはぎりと奥歯を噛みながら、笑みを返した。


「この度売られる国というのはこの王城を含めこの国を統治する権利、民と理解してよろしいのでしょうか」


 統治権を売るつもりなのか。柔らかい声で、タラシネ王子はこのセドで何をどこまでを売るのか線引きを迫った。

 石造りの窓の外では緩やかに雲が流れている。王は流れる雲に小さく笑った。


「……我は王だ。その我が国を売ると言えばその全てということだ」

「全て、とは。民も土地もということでしょうか?」

「くどい!」

「申し訳ありません。分かりました。ありがとうございます」


 タラシネ王子は満足そうに頭を下げた。


「我らを売ると仰るか!」


 大臣たちが戦慄き、声を上げた。代々続く身分と、民や所領から上がってくる税で飢えることもない。売られる恐怖も、絶望も味わったことのない人々だ。その彼らの声が震えた。

 王はただ、セドの参加者たちを見た。大臣たちを一瞥すらしなかった。


「本当に、国をお売りになるのですね」

 ラオスキー侯爵は暗い声で王に訊ねた。

「そうだ」

 王は肯いた。王とラオスキー侯爵の間にぴりぴりとした空気が漂った。

「分かりました」

「期待しているぞ」

 良心派と言われ、世が世なら公爵としてあった男は黙って頭を垂れた。


「人も売る?私、皆、値段つける?」

 ハルはブロードに小声で訊ねた。

「そう仰ってるな」

 ブロードは王とラオスキー侯爵のやり取りを気にしながら答えた。

「……お猿?」

 ハルが顎に右手を当て、左手で尻尾を作れば、近くにいた警護騎士がむせた。

「言っている」


 ブロードは早々に敬語を放棄した。


「私、ご主人様?」

「そうだな、国民全員を買えば王だな」

 むむむ、ハルは唸った。玉座を見て、首を振った。

「ダメ、人買うダメ」

「ほう、ではお前はこのセドから下りたいということか」


 王がハルを見ていた。

 ハルは内緒話がばれた子供のように、周りを見た。皆の注目を浴びていることに、顔を赤くし、うん、と一つ頷いた。


「私はクニュー売りませんか。お話、相談、ます」


 大きな声ではっきりと。同居人からの忠告を守り、ハルは言った。


「――死にたいのか」

「私は、生きます」


 ハルは首を傾げながら、大真面目に頷き、胸を張った。


「このものは異国のものでして、発音が上手くできません。クニューは国のことかと。おい、ハル。クニューじゃない国だ」


 ブロードは慌ててハルの前に進み出て、今日だけで何度も繰り返した言い訳を繰り返し、頭を下げる。もちろん、ハルの頭を下げさせることも忘れなかった。



 王はじっとブロードとハル・ヨッカーを見下ろし、二度手を振った。退出しろ、の合図だ。ブロードはこれ幸いとハルを小脇に抱え、ユビナウスに目をやった。ユビナウスは頷き、退出を促した。

 が、遅かった。ハルはブロードの手を振り払うと顔を上げた。


「オーサンはクニューほんとうに売りますか? どうして、売りますか?」


 なんで黙っておけないのだ。ブロードは心の中で絶叫した。

 通常のセドだったらいたって普通の質問だ。売り主に売買の意思確認をし、不正出品ではない確認のためにその理由を訊く。そう、通常のセドならば、だ。ハルはそれに従ったに過ぎない。分かっているが、今日に限っては最悪だった。ブロードの背中を嫌な汗が流れた。

 王の視線がふらりと宙を彷徨う。


「飽いた、からな」


 王はハル以外の参加者を流し見た。


「あ痛?」


 ハルは首を傾げた。


「飽きた、面倒くさいということだ」

 ブロードの解説にハルは分かっている、と頷いた。

「どうして、クニュー売りますか」


 王はハルを上から下までじっくり視線を這わせた。不敬だ、とは言わなかった。

 ただ、笑った。とても危険な笑い方だった。あと少しなにかが違えば剣へと手が伸びそうな。ニリュシードのおためごかしより、タラシネ王子の鼻につくものいいより、正論を述べるラオスキー侯爵より、王の何かを刺激したのだと誰もが分かった。


「私はセドをします。実物を見ます。価値を確かめます。今と嘘ないかお話します」


 ハルはいつも売主にいう言葉を口にした。言いなれた言葉はそれまでの拙い言葉とは対照的だった。


「ほう、我が嘘をつくと申すか」

「はい。ゲンジョーカクニンとても大事」


 持って回った言葉は当然ながら、ハルには理解できなかった。ハルはいつものセドと同じセリフを口にした。


「私はクニューを見ます」

「国を見せろと言うか?」


 王は立ち上がった。

 一歩、王座を下りた。

 二歩、宰相と並んだ。

 三歩、四歩、五歩。

 王は大きな右手でハルの頭を掴み、ハルを窓際まで引きずった。ブロードはそのあとを追ったが、すぐに警護の騎士に阻まれた。

 王は窓際にくると、腕力にまかせハルを持ち上げた。


「見ろ、これが国だ」

 ハルの体を半分以上窓の外に押し出した。

「王!」

「ハル!」


 宰相とブロードの声が重なった。


「わっわっ。髪の毛、痛い、やめます、はげ」


 ハルは必死に継ぎ目のない窓枠に必死に指をかけた。王の手にさらに力が入る。ハルの体窓枠に腹を乗せられ、足は完全に浮いていた。重さで窓枠からじりじりとずり落ちていく。王が腕を離せば、ハルはそのまま地面へ落ちる。

 空に雲が増え、光が陰った。白い雲が灰から黒に変わる。雨が降りだした。


「王、お戻りください。王」


 宰相は叫んだ。だがその場から動きはしない。

 王はハルに覆いかぶさるように身を乗り出した。雨が二人の頬を濡らす。

 曇天に稲光が走った。


「……!」

「……!」


 王家の森の大木が一本音を立てて割れていく。

 轟音が響く。王はハルを抑えつけたまま背をのけ反らせた。ハルは腹部を押され潰れた悲鳴を上げた。


「はっはははははは」


 狂気的な笑い声と雨音が謁見の間に響く。

 ハルの体が危険な角度に傾いた。


「ハル!」


 ブロードは警護の騎士を弾き飛ばした。その腕をラオスキー侯爵がつかむ。


「死にたいのか!」

「このままじゃ、あいつが死ぬだろうが!」


 ブロードはラオスキー侯爵を振り払った。目の前で殺されそうな人間がいる。助けない理由をブロードは知らなかった。


「ほう」

 王がブロードを振り返った。雨に濡れて張り付く髪の隙間から見える瞳が雷で光ってみえた。


「……分かったです。クニューはお金なる、ますか」


 降ってくる雨にむせながら、ハルは小声で言った。

 王はハルを見下ろした。


「なる」


 一言。王はハルから手を離した。踵を返す。


「あ」

 王によって吊り上げられていたハルの体は重力に従う。


「ハル!」


 ブロードは走った。王とすれ違うと、セドの要領で窓枠に跳びあがった。躊躇なく窓の外に身を躍らせる。手を伸ばす。ハルを掴んだ。


「俺に掴まってろ、離すなよ」

 ブロードはハルを掴むと、壁のわずかな突起に手をかける。ゆっくりと壁を上った。


「大丈夫か?」


 窓から手を伸ばしていたラオスキー侯爵に助けられ、ようやく二人が室内に戻れば、騎士たちは誰一人持ち場を動いていなかった。


 王はすでに玉座にあった。


「つまらぬな」

 王は三人を見ると、鼻で笑った。

「王!」


 ブロードは吠えた。

 ラオスキー侯爵は半身、ブロードの前に出た。後ろ手で今にも王を殴りに行きそうなブロードの腕を押さえた。


「王、彼女はセドの参加者です。そのようにお扱いください。それから、ユビナウス殿。セドの参加者が殺されようとしているのに、指を咥えて見ているのが総史庁の仕事なのか?」

「参加者の身の安全はそれぞれの責任にございます。私どもにそこまでの権限も責任もございません」


 ユビナウスは淡々と言った。


「なんだと?」

 ラオスキー侯爵は眉を顰めた。


「くだらん」

 王が玉座を立った。皆が一斉に頭を下げる。

「三日後だ」


 王は無感情に告げるとミヨナを伴い、謁見の間を後にした。

 ユビナウスは静かに頭を下げ、ラオスキー侯爵に『白』判定を下した。

 ブロードは歯ぎしりとともに拳を握りしめた。

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