1-12 宵闇の友情

 夜のクッチャ亭の明るい店内には訛りが飛び交う。酒の種類が多く、なにより都には珍しい地酒や古酒を扱っているクッチャ亭は、王都に集う地方の人間たちの溜り場だった。今日の酒肴はどこの机も国売りのセドだった。


「まあた、あの王様もえらいことを言い出したもんだな、国売りとは。セドでも前代未聞でないか。この間の男爵位なんか目でもないな」

「まあ、あの王様もイカれてんしな。ま、そのうち宰相様が止めんだろう。将軍様だってお戻りだし。三日後の謁見のときには取り下げだろう?」

「セドに一旦売りにだしておいて、取り下げなんて無理だろうが」

「相手を誰だと思っているんだ、あの色ボケバカ王だぞ、道理なんて分かっちゃねえよ。女が閨で囁きゃイチコロよ!」


 酔いの回った男たちはよしきた、といつセドが取り下げられるかを賭けはじめた。

 王の気まぐれに人々は慣れていた。いくら王とはいえそんなことができるはずがない。辣腕の宰相がおり、セドの参加者にはラオスキー侯爵もいる。きっとどこかで誰かが止めるだろう。各机を金の入った木箱が回る。

店の片隅、タラシネ皇子は男たちの会話を片耳に棚に並んだ酒を眺めた。護衛も従者もなく、ただ一人薄汚れた服を着て、深い琥珀色の液体を喉に流し込む。色とりどりの野菜揚げをつまみ、匙の上のとろみのついたふくよかな甘さの肉を頬張る。植物が極端に育たない痩せた土地が多いマルドミでは見られない酒肴に一人、昼間の熱を冷ました。

タラシネ皇子の正面に陰がさした。夜だというのに、目深に帽子をかぶっていた。


「ここ、いいか」


 どうぞ、と自然に返してから、タラシネ皇子は相手に分からないくらい微かに口角を上げた。


「いらっしゃるとは思いませんでした」

「どうしてだ。また飲もうと約束しただろう」


 手慣れた様子で厨房の奥の主人に声をかけたその人は、厨房の棚から勝手に杯を取り出し、酒をつぐとタラシネ皇子の正面に腰を下ろした。

 王だった。


「なんと言えばよいのか」


 タラシネ皇子は噂話を気にする様子もない王に、つまみの皿を差し出した。


「そうだな、私も驚いている。まさか旅商人の飲み友達がまさかマルドミの皇子だったとはな」


 王は当たり前のように、紫の野菜揚げに手を伸ばした。タラシネ皇子は慌てて周りを見回し、声を落とした。


「あなたがこのような場にいるほうが問題でしょう」

「自分の国だ。おかしいか?」


 王はあっさりと言い、帽子をとった。周囲の男たちは気づく様子もない。陽気に賭けを続けている。

 タラシネ皇子はぐいっともう一杯あおった。まろやかな液体が喉にからみつく。これだけ堂々とされると声を抑えた自分が馬鹿みたいだった。


「おかしくはないですが、普通ではないでしょう」

「そんなものは捨ててきたな」

 王は杯に口をつけた。本人を前に気づく素振りもない男たちに目をやった。

「我は王だ」


 誰にも聞こえないほど小さな、小さな声。

 タラシネ皇子は弾かれたように顔を上げた。謁見の間で対峙したときの脅威も畏怖も目の前の王にはない。だがもし、この場で王が剣を抜いたら。タラシネ皇子は想像した答えに、机と椅子と通路の間隔を目測し、ゆっくりと気づかれないように息を整えた。

 ことり。王は杯を置いた。


「聞こうか? 話すべきことがあるだろう?」


 自分に向けられた矛先にタラシネ皇子はほんの一瞬目を見張った。ほんの少し、王の声に違うものが混ざっている気がした。ふっと柔和な眼差しを店外に向け、涼やかな笑みで王に向き合う。


「では、一つ聞かせてください。私が協力したのは、短い付き合いですが、この国で出会った気のいい友人のためです。言われたようにセドに参加しましたが、あなたはこの国をどうしたいのですか。答えによっては考え直さなければいけません」


 王の目に光が宿った。


「歩こうか」

 二人はひといきで杯をあおり、席を立った。



 星のない夜空だった。カンテラの灯りが二つ、ゆらりゆらり、夜の道を動く。

「どうして王になったか知っているか?」

「色々とごたごたしていたようですね」


 タラシネ皇子は言葉を濁した。非公式の場とはいえ、相手は一国の王である。周囲は民家。時折すれ違う酔っ払いしか人の気配がないとはいえ、大声で話すことではなかった。


「気を使わなくていい。醜い権力争いだ」

「確かに例をみないほどお亡くなりになられた」


 先王が病に倒れたのは三年前。頑強な王も病には勝てなかった。寝台から政務を取り仕切るも徐々に起き上がれなくなった。始まりは皇太子の急死だった。政に明るく、人望もある青年だった。誰もが認める次期王だった。しかし、王より早く皇太子は亡くなった。原因は不明のまま、有能な皇太子の死を誰もが悲しんだ。そして誰もが考えた。次の王は誰かと。


 それからだ。王城は少しでも自分に優位な王子・王女を王に据えようという姻戚の貴族たちによる代理戦争の場となった。王子たちは最初、相手にしなかった。彼らは皇太子を慕っていたし、政争の駒とされることなど望んではいなかった。その程度の分別は備えていた。


 風向きが変わったのは第三王女が亡くなったときだ。まだ十に満たない王女は朗らかで、兄さま姉さまと分け隔てなく懐いていた。人間関係が軋み始めた王城で王子たちの癒しであり、疑心暗鬼に陥りそうな互いの心をつなぎ合わせる役割を果たしていた。その第三王女の死。彼らの心を変えたのは第三王女が王家の森の湖に浮かんでいたことだった。水を怖がる第三王女は決して湖に近づこうとはしなかった。他殺であるのは明らかだった。少しでも第三王女を知り心あるものなら、そのような殺し方はできまい。誰もが第三王女を愛していたがゆえに、犯人捜しは苛烈を極めた。病床の王も止めなかった。


 犯人は見つからなかった。そして、誰かが囁く。王になりたいものが彼らの絆である第三王女を手にかけたのです、と。膨らんだ憎悪とやり場のない怒りに、姻戚たちの思惑が絡まり坂道を転げ落ちるように始まり、王位継承権をもつ者たちが相次いで不審な病死をした。


「所詮中継ぎの王だ。元は辺境の領主だ」


 王位継承権をもつのが幼い王子一人になり、宰相は今の王を引っ張り出した。王は元は東の辺境の領主だった。祖父が時の王の弟だったが兄王に疎まれ辺境に追いやられた。父も辺境育ち、王家のことなどすでに頭になかった。王は自嘲するように笑った。

 黒いフードを纏うだけで、市井に馴染んでみせる王は、生まれながらに王として育てられたのではないと言われるとしっくりきた。


「私はな、傀儡の王などごめんだ。それくらいなら欲しいというヤツにくれてやる。なのにどうだ、ヤツらときたら堂々と国がほしいとも叫べぬ腰抜けどもばかり。誰がリドゥナを出したか知らんが、よい機会だ」

「王が、出されたのではないのですか?」

「どうして、私が自分の国を売るんだ?タラシネ皇子?」


 タラシネ皇子が数か月前、王に初めて出会ったときの口ぶりだった。

 至極まっとうな言葉だったが、セドにかけた本人の口から出ると違和感しかなかった。

 偶然に出会い、酒を酌み交わし、言葉を交わした。それから何度かここで出会い話をした。それだけだった。それでも、だ。


「別にあなたを騙そうと思ったわけではないのです。確かに私はマルドミの皇子で侵略者と言われることもあります。しかし、私はあなたが王だとは知らなかった。何のセドかも知らなかった。ただあなたがセドに参加してほしいと言ったから、純粋にこの国でできた友の頼みをきいただけです」


嘘にしか聞こえないでしょうが、タラシネ皇子はぽつりと言った。


「そうだな。疑ってはいない」

「疑っていない?自分で言うのもなんですが、マルドミの第五皇子の名は侵略と同義語かと思っていましたが」

「何度も言っただろう。マルドミで私が嫌いなのは皇太子だ。力任せで国土を破壊する。侵略の手本だろう。踏みにじればいいと思っている。それは属国にした後の統治で明らかだ」


 確かに、国土拡大路線を取る皇帝の下、軍事力を全面に押し出して制圧するのが皇太子だった。だからこそ、タラシネ皇子は皇太子から腰抜け扱いされていた。


「最初に会った夜、祖国の土を実りある土地に改良したい、そう言ったお前に嘘はなかった」

「それを信じると?」

「では、なぜおまえはセドに参加した? 誰とも分からぬ人間の頼みなどきいた? 厄介ごとだと分かっていただろう?」


 タラシネ皇子は立ち止まった。

 王は鼻で笑った。


「それが答えだ。なぜ、疑う必要がある?疑う必要などどこにもない。生まれた国と立場が違った。それだけだ」


 悠然と王は歩き続ける。


「それにお前は私にまだ刃を向けていない」


 タラシネ皇子は我に返った。王の背中はがら空きだった。外套がはためき、月明かりに影が浮かぶ。タラシネ皇子は初めて人の背中を大きく感じた。

タラシネ皇子は小走りに王の後を追った。

 

「あなたに会えてよかった」


王の横に並び、歩いた。

 二人が石畳を蹴る規則正しい音が響く。二つの影が石畳の上をともに滑る。

 静かだった。

 金属のこすれ合う音がしたのは一瞬。

 耳慣れた音。二人は静かに視線を交わす。足取りは変えない。数歩進んだ。

 次の瞬間、王はカンテラを暗闇に向かって投げた。男のうめき声がした。

 王は、うめき声めがけて剣を振った。その一閃で一人目を切り捨てる。返すその刃で二人目を切った。人が倒れる重い音がした。明らかな殺気が辺りに充満した。


「来たな」


王は暗闇に向かって薄く笑った。


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