1-10 それぞれの理由

「マルドミ、な」


 こつり。

 王は人差し指で肘掛を叩いた。それきり口を閉じ、ミヨナの髪に指を絡ませる。

 マルドミ。

 ギミナジウスとは国一つ挟んだ大国で、皇帝の名の下に他国を侵略し領土拡大を続けている。つい先月もひとつ、国が落とされたばかりだ。ラオスキー侯爵の治めるヘンダーレ領に難民が押し寄せるのも元はといえば、マルドミ帝国の侵略から逃れてきた民だ。そして姓にマルドミがつくのは皇帝の血縁者だけだ。


「マルドミ帝国の第五皇子がなんのご用ですか。まさかセドをしにいらしたわけではありますまい?」


 話す様子のない王に代わり、ヤホネス宰相が問いかけた。


「旅の記念です、ヤホネス殿。なにぶん我が国は土地が痩せていますから。他国の農業を参考にできればと周っておりました。お疑いでしたら随行に農学博士もいますからご確認ください。セドに関しては土産話になると思って参加したのですが、外交問題になるようでしたら辞退――」


 青年――タラシネ皇子――は自分に向けられた槍の穂先に困惑したように肩を下げた。


「それならば――」

「構わぬ」


 ヤホネス宰相がラオスキー侯爵が、ニリュシードが、ブロードが、ユビナウスが驚愕の表情で王を見た。

 国を売りに出すのが前代未聞なら他国の皇子がそんなセドに参加するなど論外だった。もしも他国の皇子に競り落とされれば、最悪、ギミナジウスという国がなくなる。さすがにどんな人間でもそんなことは分かる。

 だが、肝心要の王はいつもと変わらなかった。平然と膝の上のミヨナに手を伸ばした。


「王!」


 宰相は叫んだ。大きく見開いた目は必死に王へ止めてくれと訴えかける。

 王は剣の鞘で玉座の足を叩いた。剣に目を落とし、ミヨナの首を人差し指ですっと、横に撫でた。


「面白い。そうだろう、なあヤホネス?」


 ヤホネス宰相も何を示唆されたのか分からぬほど馬鹿ではなかった。言葉を飲み込み、ゆっくりと元の位置に下がった。

 ユビナウスは早鐘を打つ自分の心臓に、総史庁に務めて、初めて死ぬかもしれないと思った。それでも第三席としての意地、声を絞り出した。


「最後の……方」

 ハルは左右を見ると、ずんずんと進み、他の参加者と同列に並んだ。

「ハル・ヨッカーです。おねげーしま!」

 礼儀も何もあったものではない、元気な声だった。

「ほう」


 王は目を眇める。

 危険なにおいをはらんだ王の声に、ブロードは素早く膝をついた。


「ブラッデンサ商会会頭、ブロード・タヒュウズと申します。ハル・ヨッカーは異国からやってまいりまして一年ほどのため、後見となっております。礼儀のなっていない点はなにとぞお許しください」


 王はハルを見た。ハルもまた王を見た。

「そう、か」

 王がハルから目をそらした。そのときだった。


「私、オーサン、セドします。クニュー買います」

 ハルが声を張り上げた。

「国だ、国。申し訳ありません。こいつ、外国から来たばかりで言葉がまだなんです」


 ブロードはハルの頭を持って強引に頭を下げ、自分も一緒に頭を下げた。頭を下げさせられたままハルは首を傾げた。


「クニュー?」


 張り詰めた謁見の間にその声は大きく響いた。

 ただでさえ、どこの誰が出したかわからないリドゥナ。いくら偶然このセドに参加することになったのだとしても、犯人捜しに加え、王の機嫌を損ねかねない言動をこれ以上させておくわけにはいかない。

 ユビナウスはこの場違いな人間に『白』判定を下すとすぐさま割って入った。


「お静かに、リドゥナを確認いたします」


 すでにリドゥナの確認は広場の受付で終わっている。だが、ハル・ヨッカーにこれ以上口を開かせてはならない。その意図はハル・ヨッカーの人となりを多少なりとも目にしていた他の参加者にも正しく伝わった。面倒ごとをこれ以上増やしたくないユビナウスと、円滑にセドを進めたい参加者たちの利害は一致した。

 ラオスキー侯爵がユビナウスにリドゥナを差し出せば、ニリュシードとタラシネ皇子も続いた。そうすれば、言っていることが分からないハルも、右へ倣え、リドゥナを出した。


「また、やるです?」


 余計な一言に、数人の胃がきりきりと鳴る。

 王は額に汗をにじませるユビナウスにほんの僅か口角を上げた。 

 国の重鎮である大貴族、国一番の大商人、大国の皇子。そして、国一番のセド業者、ではなく、外国人の新参者のセド業者によって後世に残る国売りのセドは幕を開けた。


 ユビナウスがそれぞれのリドゥナを確認している間、謁見の間には妙な沈黙があった。王に近い場所に位置する将軍や大貴族たちは互いに目配せをし、またさっと目をそらす。このセドを止めるよう王に進言しろ。とはいえ自分でその危険な橋を渡るのはごめんだ、そういうことだった。


「王、本当によろ――」

「そなた、よほど首を捨てたいらしいな」


 王は進み出た宰相を一蹴し、貴族たちを流し見た。宰相を押し出す形になった貴族たちが縮こまる。


「それでは、改めまして華の月二四七番、セドを始めます。セド対象は我が国ギミナジウス。リドゥナ掲載の面談と相談については……」


 そこでユビナウスは言葉を切った。面談と相談の内容など、ユビナウスはもちろん、王すら知るはずがないのだ。茶番もいいところだった。

 こつり。王は肘掛けを叩いた。


「面談、な。参加の理由と意気込みでも聞こうか。まずは、ラオスキー侯爵、久しぶりだな」


 もう一度剣を抜くのではないか。底知れない何かを漂わせ王は笑った。

 ユビナウスは記録を取るためペンを構えた。


「はじめに、このセドに参加したのは陛下並びにこの国に叛意あってのことではないと申し上げておきます。本来、国を売るなどそのようなことは許されるべきことではない、と私は考えます。ですが、もしそうなることが避けられないのであれば、私が買い、正当な後継者に継がせたいと存じます。現状、国境に難民という課題を抱えております。状況は日々刻々と変化し、安定した国の運営こそが欠かせないものです。私としましては、このセドを中止していただくことをお願いする次第です。私の望みは王になることではなく、この国の民が安寧に暮らせることそれだけです」

「正当な後継者、か」


 王は頬杖をついた。うっすらと笑みを浮かべ、何を言うでもなくニリュシードに目をやった。


「なにぶん、私は商人にございます。理由と言われても大そうなものはございません。買いたいという方があれば売って儲けるのが商人です。売れそうなものについては買うだけにございます」

「買いたい人間がいる、と?」

「我が国きっての良心派と名高いラオスキー侯爵様と、マルドミ帝国の第五皇子が参加して、そう思えない理由を私は見つけることができませんが」


 国一番の大商人の名は伊達ではなかった。ニリュシードはわざとらしく目を丸くし、さらりと言った。暴君と名高い王を前に、人々の目を競争相手に向けさせた。

 こつり。王は笑んだ。


「ほう。それで、タラシネ皇子。貴殿は」

 王はタラシネ皇子に目をやった。

「面白そうなことは好きですからね。セドに参加したなど、よい土産話になると思っただけなのですが」

「面白半分に参加されてもな」


 こつり。王は肘掛けの先を中指でたたいた。


「まあ、皇子といっても五番目。国にいても兄たちから便利に使われるだけですからね。このあたりで自分の場所というのがあってもいいのかなと思いましてね。幸いギミナジウスはマルドミには隣接していませんし、すぐにどうこうということもなさそうですし」

「国を追われているのか?」


 こつり、と落としかけた王の中指が止まった。

 王は体を背もたれからほんの僅か前に浮かせた。


「いいえ。追われるほど無能でも有能でもありません。ただ、いつまでも人の下でいいように使われるというのに飽きてきたというくらいです」


 こつり。


「そうか。飽きたか」


 王は再び背もたれに身を預けた。天井に描かれた王家の森に目を細めた。

 ミヨナの髪を弄ぶ。


「ええ、まあ。こんな理由ではいけませんか」

「いや、別に理由などまあどうでもいい。で?」

 王はミヨナの髪を指に巻き付け引っ張り、上向いた顎に口を寄せ、ハルを流し見た。

「で?」

 ハルは繰り返した。

 汚い言葉を教えたがらない同居人のおかげで、「で」に込められた意味を理解できなかったのだ。

 王が目を細めた。


「ハル、どうしてこのセドをするか、言え」


 慌てたブロードはすぐさまハルに耳打ちした。はい、とハルは頷き王を見た。


「セドします。落ちてきます。拾います。私はセドします」

「そのような理由で」


 胸を張ったハルに、ユビナウスは思わず呟いた。セド業者がセドをするにはしごく真っ当な理由だ。真っ当すぎて力が抜けた。


「そうか」


 王はうっすらと笑った。はい、とハルは頷いた。


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