6:因果の運び手(6)

 魔神王とは自分だ。と、ミラは言った。それを、あり得ないなどと否定する気はない。

 だが同時に、間違いないとも確証がない。

 魔神は手当たり次第に人間を殺し、大陸の中央とその東から駆逐した。その非道さと、無邪気な少女とがどうしても重なり合わない。


「そうだよ。実は当時、この大迷宮から生きて戻ったのは私だけでなくてね。息子の護衛をした何人かも、事の次第を伝えてくれたのだよ」

「へえ、そいつは初耳だ。きっとオレだけじゃなく、大陸のほとんど全部がな。それでその忠実な伝令さんは、今も元気なのか?」


 ベアルの口角が上がる。言葉はなく、人形めいた笑みが深く頷いた。


「――随分と色々教えてくれるじゃねぇか。堪能したことだし、オレはそろそろ帰らせてもらいたいんだがな」

「構わないよ。見送りは出来ないがね」


 こんな世界の果てのような場所から、一人で帰れと。

 ――いや世界と世界の狭間、だったか。

 しかも帰りの階段は、集結した魔神の向こう側だ。そもそもクレフは、この時点で壺に呑まれている筈だったのだ。

 ここまで来た以上、素より生かして帰す気はないらしい。

 逃げ隠れする場所もない中、どうしたものか。答えなど存在しないと分かっていても、人は悩むことをやめられない。

 そんなクレフを鼻で笑って、ベアルはシャルを移動させるよう武闘神官に命じた。


「世のことわりを説くのも、聖職者の責務でね。知りたいと思うのは、尊い」

「何の話だ」

「シリンガ司祭だよ。これは推測だが、彼女はライラ司教の娘だと思う。司教も私の望みに協力してくれていた」


 シャルの前任者。ベアルが頼んだ何かをやろうとして、帰らなかったと。それをシャルは、死んだと聞かされている。

 そんなものは普通に考えて、謀殺されたのだ。


「そのあとしばらくして現れたのがシリンガ司祭だ。司教に出来たことは、ほとんど彼女にも出来た。喩えば壺を傾けて液体を流し込む、とかね」


 茫然自失という風だったシャルの顔色が戻っている。けれどもロープで拘束する神官から、逃れようとする素振りはない。


「私の息子は勝手に動き、くだらぬ願いを叶えようとした。それが魔神戦争の真相だ。しかしそれによって、得られたこともある」

「得られた? 何がだよ。残ったのは誰も居ねえ、だだっ広い土地だけじゃねえか」


 いくら土地があっても、そこを耕し、住み、生活をする者たちが居なければ、権力者にも利益はない。

 まさか原初の時代に戻るのが至福、などと言うわけではあるまい。


「その通り、それだけでは意味がない。そこのところで、司教と私の意見は違えた。聞いたことはないが、おそらくシリンガ司祭もそうだ」


 シャルは無言で、表情も出さぬよう堪えているらしい。両腕を後ろに縛られ、メイスを奪われた。

 そんなことはない。ベアルに逆らう意思などない、とか。彼女がその場限りの言い逃れをするとも思えないが。


「お前はいったい、何をしようってんだ。アマルティアを降臨でもさせようってのか」

「それはライラが望んでいたことだね。さすが君も、同じことを考える」


 ベアルの視線が、ちらとシャルに向く。暴れる様子のない彼女に頷き、石化した息子の像に向かい合う。

 しゃがんで、息子の手を包むように両手を添える。待たせたなとでも言っているのか、無言の語らいがその目に浮かぶ。


「やってくれ」


 ひと言を告げると、直衛の武闘神官が拳を振り上げた。迷いのない軌道で、鋼の手甲が打ち付けられる。

 それは石像の手首へ。

 一度では破壊出来ず、二度、三度。装甲がひしゃげても、自ら拳に奇跡を与えて殴打をやめない。

 ほんの僅かずつ、砂粒程度に破片が散り始めた。それよりも先に砕けた拳からの、流血のほうがよほど多いが。


「お前ら……」


 頭がどうかしている。そう言いかけて、言い淀んだ。

 そうすることに、一切の疑いを感じさせない神官。治癒を受けさせる為に交代した神官。その様子を、期待のこもった目で見守る神官たち。

 おかしいのは、自分のほうかと疑った。

 やがて、頑強この上ない岩に亀裂が入る。業物の剣でも弾いたように、きんと高い音が響いた。

 その次の一撃が、石像の手首を砕く。

 支えていた手が外れ、因果喰いが転がり出そうになる。が、待ちかねていたベアルはすぐに、しっかりと壺を掴む。

 その目の前で、石像の全身が砕ける。止まっていた時が動き出すがごとく、岩は石の欠片に。そして砂になった。


「さあ、いよいよだ」


 陶酔した表情のベアルは、息子が押さえていたのと同じ位置に壺を戻す。


「ああ、いよいよじゃ」

「ミラ?」


 ずっと黙って見守っていた少女が、ぽつり言う。その視線が向くのは、ベアルでない。

 ぐるりと見回すように、少し遠くを。

 倣って見ると、それはこの世の終わりにも思えた。


「魔神が動き出した……!」

「あの愚息には近付くなと、儂が命じておったからの。それが無効になった」


 二十や三十ではきかない。数えるのも難しい数の魔神が、囲みの範囲を縮め始める。


「因果喰いよ! 叶える者を呼び出し給え!」


 小さな壺から、暗い靄が溢れた。そこだけが漆黒に染まり、松明の光を食っているみたいだとクレフは思う。


「私に力を与え給え。生きとし生ける者全てに届く言葉を。何者も背くこと能わぬ、強き声を!」


 神にも似た力を得んとする邪な願いが、広大な空洞に響き渡る。

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