6:因果の運び手(7)

「これで――これで! 我がアマルティア教団が、世界の中枢だ!」


 それは、世界の果てに居ようと。どれほど強靭な意志の持ち主であろうと。命ある者は、ベアルの指示に逆らえない。

 古今東西のあらゆる支配者が、そうありたいと願った想い。


「ベアル! お前の望みは、世界征服か!」


 それが本当に叶うとしたら。戦争どころか、血の一滴さえも流す必要がない。ベアルはただ、そこに居ながら「私に従え」と言えばいいのだ。世界中の人間に向けて。

 いやそれどころか、獣や魔物までもが従うことになる。この上なく穏便に行われる、世界の統一。強制的な平和の到来だ。


「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。私はアマルティアの教義を、どんな人々にも与えたいだけだよ」


 自分こそが、最上に敬虔な神の使徒。そう言いたげに彼は、胸の前へ拳を重ねる。

 クレフに返答こそしているものの、期待に満ちた目は、どこから恩恵が降るかと宙を見上げた。

 にやと皮肉な表情で見ていたミラも、これには「くだらんな」と呆れてしまう。


「言っては悪いが、世の中には教義を理解する知性を持ち合わせない者も居る。彼らにもアマルティアの威光は届く。私は慈母神の奇跡を代行するのだ」

「反吐が出るぜ――!」


 醜く歪んだ口許から、女神を讃える言葉が捻り出される。武闘神官たちも誇らしげに、彼らの宗主に熱い視線を送った。

 しかし。

 それに反して、因果喰いから漏れる黒い靄が止まる。


「……なぜだ! なぜ願いが届かない!」


 誰も居ない宙に。忠実な神官たちに。その悲痛な問いは向けられた。

 ベアル以下、ここまで労苦を伴わなかったわけではない。そんじょそこらの者では、ここまで訪れることさえ難しい。

 けれども事実、壺は沈黙した。それがなぜなのか、答えられる神官も居るわけが――ない筈だった。


「ベアル。あなたはとうとう最後まで、自分自身で何かを為そうとはしませんでしたね」


 静かな口調ではあっても、強く。弾劾の言葉が発せられた。

 縛られ、這いつくばっていても。総大司教を呼び捨てにしたことで、神官に背中を押さえつけられても。シャルの瞳は、意志を消していない。


「それはどういうことかな?」

「あなたの息子さえ、一度は自分で因果を注ぎました。覚えていませんか?」

「…………ああ、たしかに。物好きにも、不要な危険を冒すものだと思ったが」


 給魄の壺を傾ける前に、シャルは何か自分を守る為らしい奇跡を呼んだ。それはつまり、そうしなければ危険だった。きっとクレフが落ちたのと同じく、因果喰いに呑まれるのだろう。


「なるほど、餌をもらった相手の言うことしか聞かないと? 意地汚い壺だ」

「労働には対価がある。己の望みの為に努め、弛まない。アマルティアの教えと同じではないですか」


 口にした大それた願いの底へ、何があるのか。表面上で信仰を装っても、傍目に白々しい。

 特にクレフのような人間には、ただの自己顕示。征服欲としか映らない。

 それは掲げて見せた教義とは反する、と。シャルは真っ向から否定する。

 ベアルが真に勘違いをして、それが正しいと思い込んでいただけなら。引き返す機会だ。


「それならば、どうしようかね。見ての通り、我々は魔神の群れにもうすぐ襲われる。これだけの数、私にもどうも出来ない。願いが叶えば、対処出来るだろうけどね」


 さて困った。そういう表情を作って、ぬけぬけと彼は言った。ご丁寧にミラとクレフを取り押さえるよう、武闘神官への指示も合わせて。


「脅迫ですか。私はそんなものに屈しません」

「やはり君の母親かな? ライラも同じことを言ったよ。トクウを襲わせると言ったら、何でもやってくれたがね」


 ――トクウを?

 胸の鼓動がひとつ。全身を震わせるほどに打った。

 ――あれは、イセロス会の聖印だった。聖職者も、聖騎士も。円の中に三つの炎を持っていた。

 どんなに考えまいとしても、それだけはいつも勝手に頭へ浮かぶ。父親の死と、焼けた孤児院の光景。

 その紋は、必ずそこにある。

 ――じゃああれは、いったい誰だってんだ。ベアルが脅迫して……ベアルが命令した?


「その村に夫と子が居ると聞いたが、それが君なのかな」

「いいえ、違う」


 きっぱりと否定があって、数拍の沈黙が落ちた。けれどもそうしている間を、魔神は待ってくれない。

 彼らは焦らない。魔神戦争がそうであったように、歩く速度で滅びが近付いてくる。その距離は、およそ百歩。


「まあ。それは今この時に、どうでも良い。要は君が、私の望みを叶えてくれればいい。アマルティア教団、アリシア会の総大司教に。このベアルに。誰もが指示を受け入れる力を与えよとね」


 ベアルはシャルの目の前までつかつかと歩み寄り、その手の因果喰いを突きつけた。

 彼女は一瞬、目を背けかけて、視線を戻す。それからゆっくり、手を伸ばそうとした。


「分かっていると思うが。私の言う通りにしない限り、あの二人は殺す。君が勝手な望みを叶えるのと、二人が死ぬのと。どちらが早いか試してみるかな?」


 びくっと震えて、シャルの手が引っ込められる。図星であったらしい。

 性分だろう。根底から彼女は、はかりごとに向いていない。


「うぬ、構わん。言ってやれ、そやつの思う通りをな」


 耳を疑う言葉は、クレフの隣に立つ少女のものだ。どんな覚悟で言っているかと思えば、退屈に辟易したという顔で、おまけにあくびまでした。


「そんな――そんなことをしたら!」

「構わんと言っておる」

「わたしに、母さまと我が子を殺せと言うのですか!」


 ミラを母と。クレフを我が子と。

 それ以外に解釈しようのない絶叫を、シャルは発した。

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