6:因果の運び手(5)

 ぐいっと力強く引き起こされて、視界が歪む。ほんの一瞬ではあったが、立ちくらみだ。


「うぬは、あの壺に呑まれたのじゃ」


 鋼の手甲が突き出され、ミラの剣がそれを弾く。浮き上がった腕を肩に乗せ、少女は神官を明後日の方向へ投げ飛ばす。


「溶けた銀貨と同じに、黒い流れとなってのう。糸を全て切る間に、半身ほども見えんようになってしもうた」


 神官ふたりずつが、ミラとクレフとそれぞれに手を伸ばす。いや、うち一人は脚だが。

 ミラは剣の柄を大きく振って、そのくるぶしを打った。勢いそのままに回転し、踵蹴りをもう一人の顎に。

 脚を抱える神官へ掌底を食らわせると、その男はこちらの目の前へ倒れ込んだ。

 クレフに掴みかかろうとした二人は、それを咄嗟に横とびで避ける。少女は分かれたちょうど間へ跳び、一人には蹴りを。もう一人には肘当てを叩き込む。

 屈強の武闘神官が、あっという間に五人。見た目には幼い少女に、地面を舐めさせられた。


「あの銀貨を、ずっと持っておったのじゃろ? うぬは元から、ややこしい因果を抱えておったようじゃからの――」


 十歩ほど離れた位置から、数人の神官が両手を突き出す。気弾スコルピオと呼ばれる、武闘神官に特有の技。


「すっかり絡みついて、実に手間じゃったよ!」


 剣をひと振り。打ち出された法力そのものという球を、横薙ぎに切り落とす。


「ああ……」


 胸の辺りに手を当て、探す。しかしそこに、金貨はない。


「余計なもんを吸い取ってもらって、すっきりしたぜ」

「ならば良かった」


 ちらり。少女の目がクレフに向いたのは、ほんの僅かだった。ミラをもってして、武闘神官たちは油断のならない相手であるらしい。

 それを証明するように、先ほど倒した五人は既に立ち上がっている。どの攻撃も致命傷を避けつつ、悶絶するような痛みを与える部位だった筈だが。

 それにいつの間にか、元の位置から移動させられている。座り込んだままのシャルは、もう彼らの向こう側だ。

 寝返ったわけでもなし、危害を加えられることはなかろうと思うが。問題は、因果喰いもそこにあること。

 給魄の壺から垂らされた液体と、クレフの持っていた大銀貨。ついでに因縁の金貨までも、あの巨人は飲み干した。


「予定外の催しもあったが……」


 悠々と歩いてベアルは因果喰いに近付き、中を覗きこんだ。今にもあの巨大な腕が伸びてきそうで、人ごとながら目を逸らしたくなってしまう。


「どうやらクレフくん。君が呑まれなくとも、満腹のようだよ。見せてあげたいところだが、生憎とこの手から外せなくてね」


 あの腕は何なのだろう。小さな壺を支える台座としてセンスはともかく、腕の形をした彫刻は他にも見かける。

 だがそれは普通、腕を持ち上げた先に壺を載せるのではないか。手で捧げ持つ格好だ。

 しかしあれは、地面にある壺を持ち上げようと。あるいは両手で壺を置いた格好のまま、固まってしまったかに見えた。


「いや全く。くだらぬことをしてくれたものだよ」


 武闘神官たちは、因果喰いを中心に半円を作る。主に、というか九割九分はミラを警戒し、ベアルの邪魔をさせまいとしているようだ。


「そこへ行くと、彼女はよくやってくれた。私の前任者のあとをね」

「ライラ、って女か」

「おや、よく知っているね。そんなことまで彼女は話したのかな」


 存分に眺めたベアルは満足そうに頷き、シャルを一瞥する。無言で壺を見つめる彼女に肩を竦めると、手空きの神官を三人呼んだ。

 なぜだか突然、壁を壊せと指示がされた。祭壇と称される腕の生えている、立ち壁を。


「ああ、言葉が足りなかったね。くだらないとは、私の息子のことだ。もしも他の誰かを思い浮かべていたら、お詫びと訂正をさせてもらおう」

「何を――?」


 立ち壁は手甲に壊されていく。頑強そうではあるが、魔神の拳にも耐える他の岩よりは弱いらしい。

 上から順に崩れ落ちる中から、人の頭が見えた。それから肩、胴、腰。最後に足先までも。

 壁から腕が生えているのでなく。人がしゃがんだ姿の像が、壁に塗りこまれていたのだ。

 ――こんなところに、なんでこんな物があるってんだ。

 その問いは、口にする必要がない。

 ここは『深きところ』の大迷宮。かつて、魔神王と呼ばれた存在の棲み処。だからクレフも勘違いをしていた。

 魔神の生き残りを退治する為に、中心となるのもやはりここだと。

 だから教会は、最高位の総大司教が自ら、最前線に砦を構築しているのだと。


「へえ……何をやらかしたんだ。晩に食べる芋を、ひとつ余計に食っちまったとか。そんなところか?」


 真実とは正反対にありそうなことをあえて言ったのに、ベアルは「間違ってはいない」と当人も意外そうに肯定を示した。

 ――ああ、なるほど……。

 そこにある像は、どう見ても男だ。それが曰くしかなさそうな壺を持ったまま石になっている。

 そこから導き出される結論は、もはや一つしか思い浮かばない。


「ベアル、お前の子か。お前のドラ息子が芋を捧げて、魔神王を呼んだのか!」

 

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