第五十二話 ハイジ、犬の家族を増やす

 不本意ながら大学の緩さに馴染み、その分大学のスケジュールが徐々にタイトになって。わたしが抱えていた深刻な違和感はかなり解消された。でも、すっかりひねちゃったわたしのぼっち状態はずっと変わらなかった。がちの話ができる女友達が、北大に行ったクララだけっていうのはどうよ?


 ああ……神家の中でタロが抱え込んでいた孤立感はこういうことなんだなと、しみじみ実感した。わたしを全力で排除しようとする人なんか誰もいない。でも、高校の時には苦労せずに作れていた共有点を、わたしも相手もどこにも見出せなかったんだ。迷魚のタロも、きっとそうだったんだろう。自分が強く拒んでいるわけでも誰かにひどく拒まれているわけでもないのに、どうしても重ねられるところを作れない。


 大学でずっと浮遊しちゃってるのがしんどい。本井浜に帰った時、福ちゃんにそう愚痴った。卒業した後、わたしと福ちゃんは先生と生徒という上下関係を解消し、恋に悩む女二人っていう新たなコネクションを築いていたんだ。重ねられる部分があれば、年の差って関係ないと思う。

 乙高生で賑わうはまや食堂の隅っこ。カレイの煮付けを地味ぃにせせっていた福ちゃんがまじめな顔で答えた。


「そうねえ。ハイジも意外に撒き餌を使わないからなー」

「撒き餌、ですか?」

「そう。自分を切り崩して人を集めないでしょ。ナマを出し惜しむ。バカになれない」

「うーん……。そっかなあ」

「部活の長やカレシのことで自制しすぎて、臆病になったんじゃない?」


 認めざるを得ない。わたしは、いつの間にか自分の感情をきつく抑え込むようになってたんだ。今は、フィルターを通さないナマの自分をタロにしか見せてない。タロと最初に出会った頃なんか、もっと無邪気だったのになー。かちかちに武装してた福ちゃんのことなんか言えないね。


「撒き餌が少なけりゃ魚は寄ってこないよ。それだけさ」

「そっかあ」

「まあ、エロ女みたいに餌を撒きすぎれば、魚が集まる代わりに面倒も増える。良し悪しだね」

「そういえば、エバ先生は元気なんですか?」


 福ちゃんの返事は、苦笑混じりだった。


「元気も何も。もう先生やめて専業主婦だよ」

「うっそおおおっ!」

「でも、上物を釣り上げたんじゃない? 見かけはちょいアンバランスだけど」

「お相手は誰なんですかー? まさかガクセイに手を出したとか……」

「まさか。逆だよ。ダンナの方がずっと上だ」

「へえー。意外だなあ」

「そうか? エロ女は絶対年の差婚になると思ってたよ」

「どうしてですか?」

「男にあいつを泳がす包容力がないと、仲が保たないからさ。しょぼいガキには扱えないよ」

「なるほどなー」

「まあ、あとで駐在に顔を出したらいい」


 どっひゃあっ! そっか。児玉さん、独身だったもんなー。でも福ちゃんの説明に、すっごく納得しちゃった。


「エバ先生がいなくなって、寂しくなっちゃいましたね」

「まあ、確かに寂しいっちゃ寂しいけどね。でも私の場合、寂しいって言ってる暇はもうすぐなくなる」

「えー? どういうことですか?」


 にやっと笑った福ちゃんが、自分のお腹を指差した。


「わあっ! もしかして!」


◇ ◇ ◇


 一人より二人の方が。二人よりそれ以上の方が寂しくない。寂しかったら、家族を増やして賑やかにする。そういう発想もあるんじゃない? 他人より、まず血族なんだからさ。別れ際に福ちゃんの残していったセリフが、頭の中にずっとこびりついてた。


 寝室で。すっぱのままタロの首根っこにかじりついて、耳元で囁く。


「ねえねえねえ、タロ」

「うん?」

「わたし、子供欲しい」

「おいおい、大学はどうするんだ?」

「なんとかする」


◇ ◇ ◇


 二人ともぷーなら、子供産むなんてどだい無理な話。いくらわたしが孤独に急かされていたとしても、絶対にそんなギャンブルはしなかった。でも、タロはもう働いてる。それにわたしは、大学を卒業してから子作りするっていう普通のルートを進む方が逆に難しいんじゃないかと思い始めてたんだ。どうしてか。わたしがどこで働くにしても、すぐには子作りできないからだ。


 福ちゃんはいいよね。もう先生としての実績を積み重ねていて、周りがそろそろだねって見てくれるから。今妊娠、出産してもなんの不都合もないんだ。だからこその、出来ちゃった婚なんだろう。

 でも、わたしはそうはいかない。就職早々に妊娠、出産てことになれば、就職先にすごく迷惑をかけることになる。どうしても辞めざるをえなくなっちゃう。だからって最初から専業主婦になると、今度は社会経験を積めない。タロの万一に備えられなくなる。


 数年待てばいいじゃないかって言われるだろうし、それは正論だと思う。でも、わたしは待てそうになかったんだ。

 わたしは……おじいちゃん、おばあちゃんと続けて身内を失った。両親にはわたししか子供がいないし、タロは天涯孤独。これ以上家族のつながりが縮んでしまうのは、どうしても見たくないの。できるだけ早く家族を増やしたい。家を賑やかにしたい。

 在学中に子供ができれば、大学の子育て支援制度が利用できる。就職後すぐに産休や育休を取らなくても済むから、スケジュールを自分で調整できるゆるい今の方がずっと楽なんだ。どうせわたしは、大学では極め付けのアウトサイダー。どんな選択をしようが誰も気に留めないだろう。大学に入って初めて、自分がアウトサイダーであることにこれでもかと感謝した。


 わたしの家族計画をタロに伝えて、タロの意思を確認する。タロは……ものすごく喜んでくれた。


「俺は楽しみだよ。賑やかになるからな」

「ふふっ」


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