第四十五話 ハイジ、犬に泣かされる

 お父さんが乗り込んできたら、わたしとの間で大騒動になると思ったんだろう。学校が設定してくれた臨時の三者面談には、お母さんが出てきた。お母さんがお父さん側に立つんなら徹底抗戦しようと思ってたんだけど。お母さんはしょうがないなあっていう表情だったし、喧嘩腰ではなかった。


「親御さんはどのように考えておられますか?」


 学年主任の菱元先生が、慎重に確かめた。学校側のレコメンデーションより先に、親の意向を確認しておこうと思ったんだろう。ふっと一息ついて、お母さんが返事をした。


「正直に申し上げると、決めかねています」

「決めかねる……ですか」

「はい。娘が高一なら、有無を言わさず転校なんですけどね。もう高三です。受験が射程圏内に入ってますから。このタイミングで余計なごたごたを引きずりたくありません」


 なるほど。お母さん的には、なにがなんでもお父さんの味方ってことではなさそう。先生も、ほっとしたんだろう。


「それでは、こちらのお勧めを述べさせていただいてよろしいですか?」

「はい」

「本校の学生寮は、若干ですが空きがあります。期間も限られていますし、寮の利用をお勧めします。生活費用も、食費込みの寮費ですので大幅な負担増にはならないと思っています」

「そうですか……」


 お母さんが、横にいたわたしに確かめる。


「のりちゃんは、それでいいの?」


 即答はできなかった。わたしは、これまでと同じようにおばあちゃんの家で暮らしたい。わたし一人になっても、あそこはわたしにとって特別な場所。おばあちゃんとの思い出が詰まってるからっていうだけじゃない。あそこは……タロとたくさんの時間をいっぱい重ねた場所だったから。

 でも、わたしがあそこで一人で暮らすことは誰からも認めてもらえない。一人暮らしは校則で禁止されてるし、もちろん親がうんと言うわけがない。これまではおばあちゃんがいるから黙認されてたタロの出入りも、誰からも認めてもらえなくなるだろう。わたしがおばあちゃんの家にしがみつくと、失うものがとてつもなく大きくなってしまう。

 あの家を今後どうするかは、お父さんやお母さんが決めること。わたしには口を出せないし。


 苦渋の決断だったけど、わたしは寮暮らしを受け入れることにした。


「うん。それが一番ありがたいです」

「そう……」


 お母さんは頷いたけど。その場でおーけーは出してくれなかった。


「申し訳ありませんが、娘と話し合いをさせてください」

「そうですね。お返事をお待ちします」

「ありがとうございます」


◇ ◇ ◇


 お母さんと並んで、おばあちゃんの遺影に向かって手を合わせる。悲しみの潮はまだいっぱいに満ちている。引く気配は全くない。それでも、見上げればおばあちゃんという月が見える。見上げるだけで、もう届かなくなってしまったけど。それでも……見える。


「先にご飯にしようか」

「そうだね」


 久しぶりに台所が賑やかになって、おばあちゃんがいた時のような料理がテーブルの上に並んだ。でも……。

 おばあちゃんとタロがいなくなってしまった食卓に、居心地が悪そうにお母さんがはまって、しんと静まった室内を見回してる。会話が弾まない。おばあちゃんはすぐにテレビをつけてたから、その音が欠けると、室内の雰囲気がすぐに水底に沈んでしまう。


「寂しくなっちゃったね」

「うん……」

「母は……こういう感触を私に押し付けたくなかったのかもね」

「どういうこと?」

「父が先に逝って、母一人になったでしょ。一緒に暮らすと、大事な人が欠けてしまったっていう絶望感を、いずれ私に押し付けることになるから」

「そうかなあ。単に、こことおじいちゃんが好きだったからじゃないかなあ」

「まあ、そういうことにしときましょ」


 お母さんは、それ以上ごちゃごちゃ言わなかった。食事のあとで、もう一度話し合いをする。


「まあ、それしかないわね」

「寮ってこと?」

「そう」

「お父さんがうんと言う?」

「お父さんがのりちゃんの人生の責任を取ることはできない。のりちゃんの決断が理にかなってるのなら、それにノーは言えないでしょ」


 うん。お母さんがそう言ってくれて、ほっとした。


◇ ◇ ◇


 翌日にもう一度三者面談をして。わたしはクララと同じように寮暮らしすることにした。規則が厳しいけど、どうせ寮でするのは受験勉強しかない。わたしは、そう割り切ることにしたんだ。

 お母さんはすぐ帰るのかと思ったんだけど、わたしの寮への引っ越しを見届けてから帰るっていうことにしたみたい。家はすぐ処分するっていうことじゃないから、寮に全部持ち込まなくてもいいよ……そう言われて。すごく気が楽になった。ただ……寮にいる間はタロと一緒に食事ができない。それだけがどうしようもなく寂しかった。


 タロは、わたしの寮への引っ越しを手伝ってくれた。てか、それは口実で、わたしと話す機会がなくて寂しかったんだろう。タロにしてはよくしゃべってたと思う。そのタロの様子を、お母さんが離れたところからじっと見つめていた。


「ねえねえ、タロ。なんか浮かれてない?」

「ああ。臨時職員の時にはなかったんだが、夏のボーナスが出る」

「ええっ?」

「去年の暮れは採用になったばかりで、実質ゼロだった。今度はフルに出るんだ」

「わ! すっごおい!」

「これで……お祖母さんに供える花が買える」


 自分のことではなく。わたしやおばあちゃんのことを真っ先に考えてくれるタロ。わたしは……胸がいっぱいになる。


「こら、泣くな、ノリ。うまいもん食わせてやるから。元気出せ」


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