双狂 4


 ――さて、どうしたものかしら。これ以上、クロを傷つけるのは本意ではないのだけれども。いっそ脱いで戦おうかしら?

 立ち上がったジェットスパイダーは、防毒面ガスマスクの男に相対する。

 立ったまま、ゆらりゆらりと両腕を揺らしているだけで、防毒面ガスマスクの男はこちらに向かってくるつもりも、攻撃を仕掛けてくるつもりも無いようだった。


 先に自分で言っていた通り、逃げられるならそれでいい、というつもりでいるようだ。だが、背を向けるのは危険だ、という認識も持っているというところか。

 あの男が使ってきた伝承礼装エピックウェポンは、今の所二つ。


 投げつけた妖刀ムラマサをあらぬ方向へと弾き飛ばした、法則マーフィー。

 補助腕の動きを止めた、妖精グレムリン。

 どちらも、攻撃に使うものではないようでは有るが、逆に言うと、他にまだ見ぬ攻撃手段を持っている、と見てもいいだろう。いや、警戒するべきだ。


 燐音は言う。

「クロ、使われた伝承礼装エピックウェポンについて、何か知ってる?」

『……知識はない。推測は可能だけど』

「お願いするわ」

『……マーフィーの法則。失敗する確率の有ることは必ず失敗するし、被害は最大化されるという、有る種の経験則とジョーク』


 なるほど、と燐音は納得した。

 そういう話を伝承礼装エピックウェポンとしたのであれば、あの時起こったことも理解出来る。

 失敗する確率の有ることは必ず失敗するというのなら、燐音が投げた妖刀ムラマサも、外れる確率があったから外れたのだ。


 黒玉は続ける。

『……グレムリン。かつて空軍で航空機が故障するたびに存在が囁かれた、機械を誤作動させる悪戯妖精』

 機械を故障させる伝承。その所為で、補助腕が誤動作を起こさせられたという事か、と燐音は理解する。


 ジェットスパイダーの本体部分も機械的動作が無いわけではないが、産業用ロボットめいた補助腕に比べればその割合は低い。

 一応、この二つが敵の対処手段だと言うのなら、対応は可能だ。


「ありがとう、クロ。三千世界で最も美しく聡明であるだけの事はあるわね」

「……いささか褒め過ぎではないかね?」

「不足ということはあっても、過剰ということは無いわね。そのくらいのことは、わかってほしいものだわ……いえ、ひと目でクロの全てを理解しようなどというのは、不遜の極みとしか言いようがないのだけれども」


 言葉を並べ立てる燐音。その右手に、再度妖刀ムラマサが現れる。

『……伝承礼装エピックウェポン・妖刀ムラマサ、復元デコード

 黒玉の声音に心地よさを感じながら、再度接近。

 妖刀ムラマサを振り下ろす。

「ではこうだ」


 右手を突き出して、防毒面の男が対応する。

伝承礼装エピックウェポン・法則マーフィー、復元デコード

 空中に蜃気楼が現れ、そこに刃が到達する。

 その瞬間だった。

 ずるり、と妖刀ムラマサが、ジェットスパイダーの握力から逃れた。冗談のような話だけれども、手が滑ったのだ。


 失敗しうる行動は必ず失敗する――伝承礼装エピックウェポン・法則マーフィーの力は絶大なようだった。

 だが、燐音も無策で突っ込むはずも無く。


「クロ!」

 言葉と同時に、ジェットスパイダーの左手が変化する。

 揃った手指――貫手が、短剣へ。


『……伝承礼装エピックウェポン・短剣マクベス、復元デコード

 伝承礼装エピックウェポン・短刀マクベス――

 シェイクスピアの四代悲劇の一つ、マクベス。そこで用いられた短剣、そして暗殺の物語自体が伝承礼装エピックウェポンと化したものだ。


 それを、防毒面の男の腹へと突き込んだ。

 一度斬撃を失敗させたことで、法則マーフィーは効力を失ったのだろう。問題なくそれは男の腹に当たった。

 当たったのだが――


「ほう、二の矢とはやるものだねぇ」

 防毒面の男の声色はまるで変わっていなかった。

 それも当然の話。ジェットスパイダーの突き出した短剣マクベスは、防毒面の男の上着――ロングコートを、貫いたが、それだけだった。


 硬質な金属音を立てただけで、その身の内に刃は届かず終わったのだ。

「やっぱりそうだったのね」

 ジェットスパイダーが左手を横に振り払うと、防毒面の男のロングコートが大きく破ける。

 そうして顕になったのは、金属製の胴体だった。追撃を避けるためか、防毒面の男はバックステップ、一飛で大きく距離を取り直した。


 そして――

「ふふふ、おっと、見たかったのかね? 私の鋼の肉体美!」

 言って、防毒面の男は、自らの破れた上着を両腕で引き裂きながら、その上半身を見せつけてきた。


 そこに有るのは、金属製の装甲で出来た、大胸筋と六つに割れた腹筋だった。

 ボディスーツのようなそれは、しかし霊鎧とは異なる雰囲気を保っていた。

 これは鎧ではない。男の言葉の通り、躍動する鋼の肉体そのものだ。


「何、あなた仮面ライダー? それともキカイダー?」

「そこはまぁ、前者かなぁ?」

「なるほどね」


 燐音はそういって頷いた。

 防毒面の男は、サイボーグだ。人体の何割か――恐らくは、ほぼ全てを機械のそれに置き換えた存在。

 だからこそ、あの膝蹴りも恐ろしく刺さったというわけだ。


 現代の技術で、このレベルの義手、義足等は作れない。つまり、防毒面の男は魔術的な機械で動いている。

 霊鎧と似たようなものではあるが、あの男からは、より機械的なものを燐音は感じていた。


 しかし、そうなるとなかなか厳しいものが有る。

 ジェットスパイダーには、致命的な弱点が有るからだ。

 ジェットスパイダーは、搭載できる伝承礼装エピックウェポンの種類を刀剣類に絞ることによって、その強力さを保っている。


 逆に言うと、刀剣が通らない相手には相応の苦戦が想定されるのだ。

 悪霊や怪異の類に対しては無双の強さを誇ると言っていいジェットスパイダーだが、このような相手には向いていない。


 ――方法は無いわけではないけれども。

 妖刀ムラマサは恐らく通る。

 だが、相手の攻め手が機械の体だけである、と言うことはないだろう。それが全く見えていない以上、不利なのはこちらのほうだろう。

 だが、それは、背を向ける理由にはならない。


 ならば――

 鋼の肉体を見せ付けているのか、大胸筋を強調するサイド・チェストのポーズを取る防毒面の男に向かって、燐音は言う。

「切り札の一枚も切ってあげようかしら」

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