第2話 私の小説作法

まあまず、エピソードタイトルの「作法」をいきなりぶっ壊してしまいますが、


自分の小説の書き方は多分、読み手にとって何のためにもならないのかもしれません。


だって、頭に流れ込んでくる脳内画面を書き出さないと止めることが出来ないから書くだけであって、自分に取り憑いた物語とその登場人物という「怨霊みたいな奴」の本音を代弁して、作中で浄化させてやってるだけなんだもの。


いわゆる憑依型、イタコ型な書き方をして登場人物に自分の本音やら情念やらを語らせているだけなのです。


書いてる本人は苦しくて報われないだけで、適当に読み手の偏った即時的欲求を満たしてあげるラノベ書いた方が楽だと思いますが…


でもね、ちゃんとした日本語の文章になってないものが市場に流通してそれで出版社がギリギリ潰れないでいる、って。


この国の創作なんてもう終わっていると思うし何の期待もしていないし、今流行っているドラマや漫画に興味が無くなってしまったんです。


数日前にとある大御所漫画家が大御所漫画家の仕事部屋を訪ねにいくドキュメンタリーを見て、前シーズンは好きだったのにその時は…何も面白いと思わない自分が居たんで、

ああ、いよいよ自分は漫画に興味を失ったのだ。


と精神的な老いを自覚しました。


せめて自分一人は脳ミソ振り絞って尊敬語丁寧語謙譲語だらけの平安大河歴史上小説書き続けて、読者にググらせて辞書引かせまくってやる。うわはは。


というラノベ業界への嫉妬と僻みもありますし、一生日の目を観ない覚悟で本気で物語を書くユーザーが一人くらいいたっていいじゃないか。


という気持ちでまだ退会せずにカクヨムに居続けております。


ここ数日間、私も年だし人生何も成し遂げられないまま終わるのか。


朝ドラ時代から大好きだった女優さんが世を去って物凄く心が揺らぎました。


絶望と無念と嫉妬。そんな情念のかたまりが心の中を大蛇おろちみたいにぐるぐる巡って四日目の午後、


ああ、最澄さんもきっと今の私のような気持ちで苦しんでいたんだ。


とこの時まで全然共感が持てなかった最澄という人の気持ちに寄り添う事が出来て、己の情念をそのまま最澄の情念として文章にぶつける事が出来て「嵯峨野の月」第100話目「灌頂」を書き上げる事が出来ました。


若い書き手さんたちへ。


ググってシェアして当たり前のように楽に走らず、たまには昭和二十年代位前後に書かれた文芸作品も読んで「ちゃんとした日本語の現代文」読んで頭が沸騰して吐く程苦しんでみて下さい。


古文や漢文も紐解いて日本語という年ふりし怪物に向き合ってみて下さい。


多分、苦しんだ先にしか成長はないと思うからです。












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