魔眼の少女と人喰い悪魔

「聞いたかい?猪が森で死んでたってよ」


「変なやまいでなけりゃいいが」


 ガラが来てからしばらくして、村を歩いているとそんな話が耳に入った。

 そういえば、ガラはエサを私にねだらなかった。だから、それは多分ガラの仕業だろう。


「今度は川上の村で人が死んだってよ。なんでも家ん中でガキ共が体を半分に折られてハラワタだけ食い散らかされてたってよ」


 動物の死ではなく人が死ぬ話が増えてくると村のやつらが、やたら私をじろじろ見ることが増えた。


ふもとの村でも一家が殺されたって羊飼いが言ってたな…」


「神様がお守りになってくれりゃあいいが…うちの村には、なぁ」


「しっ!あの気持ち悪い目で睨まれると不幸になるぞ。黙っとけ」


 ここ数日はずっとこんな感じだ。

 言葉だけなら大した被害はないから無視をする。

 前に疫病えきびょう流行はやったときも似たようなことがあった。その時は石を投げられたり、殴られたりしたっけ。

 たまたま私に石を投げた悪ガキのうちの一人が病気で死んだ。領主様の祖母も同じ時期に死んだ。

 でも、村のやつらからすると私の呪いらしい。呪ったつもりなんてないけど殴られることが減るならそれでいいから黙っていた。

 今回も無視していればいい。

 

「…お前の魔眼は、人に呪いを振りまくものではないというのに」


「祝福なんかじゃないって言った私の気持ちが少しはわかったか?」


 私は悪魔の子。実際は違っていたとしてもあの人たちの中ではそうなのだ。

 私の不吉な髪の色のせいで不作になるし、悪魔が村にやってくる。

 狼は黙ったままキョロキョロしながら歩き続ける。

 

 なんだよ。なにか言えよ…と言おうとして、嫌なことを思い浮かべる。

 …こいつが、近隣の村を襲っている悪魔なんじゃないか?


「なあ、ガラ…お前」


 ここまで言って、家の前で足を止めた私は慌てて言葉を濁した。下手に刺激をしたら口封じに私を殺そうとするかもしれない。

 それに、私が安全なら多少誰かが死のうが関係ない。さっさとこいつの傷が癒えてどこか遠くへ行ってもらえばいい話だ。


「どうした」


「明日はババアの家に行く日だな」


「俺は…明日、お前を森から家まで送り届けたら出ていこうと思う」


 タイミングが良すぎないか?といぶかしむ。

 こいつが眠っているときにいっそのこと殺してしまった方が安全なのかもしれない。

 私は、ガラの金色の瞳を見つめた。

 月みたいに穏やかな光を放っている瞳の中心にある瞳孔がわずかに開いて私を捉えて揺れた。


「わかった」


「あと一日、よろしく頼む」

 

 ガラはそういうと、茂みに頭を突っ込んだ。なにかと思ってみていると、ガラは口にくわえてきた赤い花を私の手の上に置いて尾をぱたりと振る。


「…おう」


 花をどうしていいのかわからないでいると、ガラは花を再びくわえて胸元に飾った。

 こいつを殺すのは…やめよう。引き留めはしない。

 それくらいならマールム様だって許してくれるだろう。どうせ私は悪魔の子だ。今さらこれくらいしたってバチは当たらない。


 その夜は珍しくガラはどこへも姿を消さなかった。

 牛小屋のすぐ横で一人うずくまる私のもとへきて、鼻先を手の甲に押し付けてくる。

 眠い目をこすって腕を上げると、ガラは暖かくて少しゴワゴワする体を脇の下に潜り込ませてきた。ぽかぽかと温かくてやわらかくて心地よい。


「お前にとっての……なんだ」


 耳元でなにか囁かれた気がした。でも初めて感じる誰かの体温に包まれる心地よさには勝てずに、私はその言葉を聞き返すことなくまどろみに身を任せた。


 目を覚ましてすぐ母親にガラを家の中に入れたことを怒鳴られ、いつものように木のお椀やスプーンを頭にぶつけられた。

 今日は母親の機嫌が悪かったらしい。折檻せっかんが長引いたせいで家を出るのは夕方になってしまった。体が痛むけど大したケガじゃない。

 ガラと過ごす最後の日だっていうのに、やっと着いたババアの家の中は臓物ぞうもつが散らかっていて腐臭がする上に、なたや斧が壁に突き刺さってる。

 ただごとじゃないぞと扉を開けるなり、野太い男が無理に高くしたような気色悪い声が聞こえてきて、足を止めちまった。


「赤頭巾や、あんたの顔を見せとくれ」


 ババアのベッドには女物の服を身体に巻き付けた巨大な肉塊が横たわっていた。そして、なんでもないような顔をして私に話しかけてきている。


「…ババア、てめえの面はいつからそんな気味の悪い色になった?」


 思わず、思ったことを口にしてから、この肉塊がババアに化けているつもりのなのだと気が付く。

 濁ったそいつの目がゆっくりと私の顔を見る。さっきまではなかった禍々まがまがしい気配がブワッと黒い煙のように噴き出したのをみて、こいつが悪魔というものなんだと理解した。

 紫色の豚のような姿をした悪魔は、むっくりとベッドから巨体を起こすと私を見て首を傾げた。


「ああ?お前、人間の癖に幻惑ミミクリーが効いてないのか」


 血の匂いと、腐った肉の臭いが鼻に付く中、ババアの服を身にまとっているそいつがこちらに近寄ってくる。

 土壁が剥げかけてボロっちい室内が揺れてホコリが落ちてくるのが煩わしい。武器になるものはないかと視線だけ動かして部屋中を見回すと、すみでひしゃげている肉塊が目に入ってしまって吐き気がこみ上げてくる。

 ガラの姿は見えない。畜生…やっぱり人じゃないやつなんか信じるんじゃなかった。


「こ、この家でなにしてやがる!」


 とにかく、時間を稼ごうと悪魔に啖呵たんかを切る。足が震えてうまく動かない。

 

「その緑の眼…刻まれた三つ葉シャムロックの刻印…お前、魔眼持ちだな?」


 私の言葉を無視した豚の悪魔は、ニタリと笑って丸太のように太い腕を伸ばしてくる。

 腕から逃れるために震えて動かない足を引きずるようにしてわずかに後退あとずさったけれど、豚の悪魔の緑色をした鋭利な爪は、私の頬をかすめて一筋の傷を作った。


「ケケケ…破幻シャムロックの魔眼、こんなところで出会えるとはなぁ」


 何が祝福だ。厄介ごとを呼び寄せるクソみたいな目じゃないか。

 背中を見せて逃げたとしても、きっとこの悪魔は逃げきる前に私を殺せるだろう。

 後退りしながら、手当たり次第に物を投げるけれど、豚の悪魔はニヤニヤしながらどんどん距離を詰めてくる。


「餓鬼をいたぶってから喰うと血が冷えてうまいんだ。しかも破幻シャムロックの魔眼持ちときた。絶対に逃さねえぞ」


 悪魔は、さっき私が投げた椅子をヒョイと拾って放り投げる。

 目に見えない速度で飛んできた椅子は、私の背後にある扉に当たってバキバキとすごい音を立てた。

 恐る恐る音がしたほうを見てみると、椅子だったものはひしゃげて折れて、玄関の扉と壁をかすがいのようにつないでいる。


「…クソ」


 しまった…出入り口を塞がれた。

 手先が冷えて、膝が震える。

 悪魔から目を離さないようにして手元を探るけど、もう武器になりそうなものも投げられそうなものもない。


 ―俺を呼べ


 ガラの声が、いつもと違って頭の中に直接響いた。

 助ける気がないと思ったら、急に呼べだなんて自分勝手すぎるだろ。


「助ける気があるなら入ってこいよ!」


 ―早く俺に入れと命令しろ


 頭の中に聞こえた声に思わず叫んで答える。

 ニタニタした豚の悪魔は、自分に向かって叫んでいると誤解してるみたいだ。焦る私を追い詰めたことに喜んでいるらしい。

 ずらりと牙の並ぶ口からよだれを垂らした豚の悪魔は、鋭い爪の生えた手を広げて私の頭へ伸ばしてくる。


「よそ見をしてる余裕はねえぞ美味しい美味しい破幻シャムロックの魔眼ちゃん」


 クソ!どうにでもなれ!

 私はヤケになって息を深く吸い込んだ。


「ガラ!中に入って私を助けろ」


 そう叫ぶと同時に大きな音がして、私は誰かに抱き寄せられる。

 その音はボロボロの土壁を何かで穿うがった音だったらしい。

 土壁を壊して駆けつけてきた男は、自分の身体程の太さがある悪魔の腕を細腕一本で叩き落としていた。


「がぁあ?なんだぁてめーは」


 助かるかもしれない。淡い期待を胸に抱いだき、私は自分を守るように佇たたずんでいる男の顔を見る。

 ガラの毛皮と同じ、くすんだ灰色の髪をした男。彼の肌は雪に覆われた氷面みたいに真っ白でツルツルとしている。

 男は切れ長の目の隅すみで私の方をちらっと見て再び前を向く。すると、彼の耳たぶの下まで伸びた癖っ毛がふわっと揺れる。

 領主様よりも、領主様が彫らせた神様の使いの天使像よりもずっとずっと美しい見た目をした彼は、金色に光る瞳ひとみの真ん中にある瞳孔どうこうを針のように細くして悪魔のことを険けわしい顔で睨みつけた。


「俺は黒い鉤爪ガラ・ノーチェ……吸血鬼だ」


 男が発したその言葉は、一度は安堵した私の心を再び絶望の底に突き落とすには十分な威力を持っていた。

 吸血鬼も人をって殺す。人間の敵に囲まれてこのまま死ぬのか。

 私は、あの時この狼を受け入れてしまったことをひどく後悔した。


「オレの魔眼を横取りしようってことかぁ?」


 せっかくの楽しみを邪魔された挙句あげくに、自分の腕を人間の姿をした男の細腕一本で叩き落された豚の悪魔は鼻をヒクヒクと上下に動かしながらよだれをまき散らせて大声を出す。

 何も答えずに、男は私の顔を見た。金色の瞳に浮かぶ瞳孔が少し丸みを帯びて揺れる。

 あいつの名前を呼ぼうと口を開きかけたけど、悪魔が不機嫌そうな唸り声をあげながら足を踏み鳴らしたので男は悪魔の方へ再び顔を向けてしまった。

 さっきまで丸みを帯びていた男の瞳孔は針のように細くなり、男の柔らかそうな唇からは鋭い犬歯が僅かに顔を見せている。


「…俺はこの子を守ると約束した」


 ガラはそう言うと一歩前に進み出た。そして、悪魔から私の姿を隠すかのように羽織っている黒い外套マントを広げる。


「ぎゃははは!未熟な魔眼持ちにヒトを守る吸血鬼。今日は珍しい日だな」


 ひとしきり笑った悪魔は、目尻に浮かんだ涙を子供の腕くらいある太さの指でぬぐう。

 そして、口の周りをよだれでべたべたになった自分の口を大きく開き、そこを指差しながらこう言った。


「よろこびな。二人仲良くオレの腹ン中に詰めてやる」


 そう言い終わるが早いか、悪魔は腕を大きく振りかぶってこちらを目掛けて思い切り振り下ろす。

 ガラが私の体をグイと引き寄せて悪魔の攻撃をける。


「吸血鬼は悪魔の天敵じゃないのかよ」


「…人間の血を吸っている吸血鬼なら、な。俺は呪いのせいで許可なく人の血は吸えない」


 舞い上がったほこりの奥から再び悪魔が腕を振り上げているのが見える。


「餓死寸前の俺でも時間くらいなら稼げる。ここから出たらこれを頭からかぶって狭いところでじっとしていろ」

 

 私を抱えながら何度か悪魔の拳をけたガラは、やけにガサガサする布を腰のベルトから外して私に押し付けた。


「なんだよこれ」


 押し付けられたのは私の髪みたいに赤い布だった。私の顔を見ないまま、ガラは悪魔が振り下ろした腕をまたける。


「俺の血が染みこんでる。悪魔にとっては猛毒だ」


 タンっと地面を蹴って悪魔から距離を取ったガラは私の背中を押す。目の前にある土壁は私一人なら通れそうな穴が開いている。


「行ってくれ」


 こいつが死んでも私には関係ない。人以外には心を許すなっていうのがマールム様のおしえだ。

 私はガラに背中を向けて走り出す。

 とにかくここから離れて、木のうろでもなんでもいいから隠れる場所を探そう。


 そう思って走り出した私の耳に湿った音と、なにかが折れる音が飛び込んできて足を止める。


「人を守りたい吸血鬼なんてちょろいもんだ。赤頭巾てめーの姿になったら急に動きが鈍りやがった」


 ドシャッという音と共に、私の目の前に手と足がめちゃくちゃな方向に曲がったガラが落ちてくる。

 後ろを振り向くと、真っ赤に染まった鉈を持った悪魔がニタニタと笑って立っていた。


「大丈夫、だから」


 ガラは、私の肩に手を置くと生まれたてのヤギみたいにふらふらして立ち上がる。

 馬鹿な吸血鬼。その場で適当に言った私との約束を守ろうとして死ぬなんて。

 

「血を吸った吸血鬼なら…悪魔に勝てるんだよな」


 足元にあった石を包んで、さっきもらった吸血鬼の血がしみ込んだ布を悪魔に投げつける。少しだけ時間が稼げればそれでいい。


 クソっという悪魔の声を聞いた私は、そのままふらついているガラを抱きしめた。そして、自分の首筋を彼の口元に押し付ける。

 チクッとした感覚が首筋に走る。でも、ガラは私の肩に手を当てたまま動こうとしない。


「私の血をやる。だから、あのクソ野郎に勝ってくれよ」


 やけに熱くてぬめったものが私の首筋を撫でる。

 吐息が首筋にかかり、そのあとそっと冷たい手で首筋を撫でられた。

 私から離れたガラに目を向けると、そこには傷なんて最初からなかったようにぴんぴんしている彼の姿があった。


「…その契約を受け入れよう」


 ふらっとしてへたりこみそうになった私を抱えたままガラが地面を蹴る。

 さっきまで私たちがいたところには深々と折れた木の柱が突き刺さっていた。


「ガキ!てめえは後で美味しく食ってやる」


 急に腕を引かれて私はガラから引き離される。

 ババアの家を悪魔が派手にぶっ壊したみたいで、周りが碌に見えないくらい大量の土埃が舞い上がっていた。

 これじゃどこに悪魔がいて、どこにガラがいるのかわからない。


「血を少し飲んだからなんだってんだ。甘ちゃんの吸血鬼に赤頭巾ガキの姿をしたオレが殺せるか?」


 得意げな自分によく似た声が聞こえるのは不快だ。

 急に背後から出てきた悪魔は、ニヤッと笑ってみせると私が胸に飾っていた赤い花を取り上げて姿を眩ませた。


「今度は殺せるさ。今の俺はお前を見分けられるからな」


 埃が舞い上がる中、音もさせずにガラが高い場所から着地をする。影が目の前に現れたみたいだ。そう思った。


 ドンっと背中を押されて、私はガラの前に押し出される。

 針みたいに細くなったガラの瞳孔が私を捉えた。彼の目の光にうっすらと三つ葉シャムロックの模様が浮かんでいる。


 赤黒い刃物のようなものがガラの指先から伸びた。

 薄く鋭いそれが私の方へまっすぐに伸びてくるのがやけにゆっくりと見える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る