魔眼の少女と吸血鬼

こむらさき

魔眼の少女と痩せた狼

赤頭巾あかずきん!さっさと今週の分をばあさんに持っていきな」


 乱暴に投げて寄越よこされたのは、カチカチのパンと干した豆が入ったかごだった。

 自分で持っていけばいいのに…と思うけど、それを言ったところで殴られるだけだ。

 落ちた籠を拾って、たいして暖かくもない外套がいとうを手にとって出かけようとすると、私の頭に硬いものが当たった。


「バカ!今日はアンナがマールム様の教会に行く日だよ。婆さんの家に外套なんて着ていくんじゃないよ」


 母親は、私の頭に当てた木の器を拾い上げ、手に持っていた外套を奪い取る。


「アンナ、あんたはしっかり神官様に行儀を教えてもらって領主様のお屋敷で奉公できるようになるんだよ」


 気持ち悪い猫なで声で母親は妹に話しかける。

 私は領主様のお屋敷へ奉公に行けなかった。私みたいなやつは不吉の象徴らしい。

 妹は、私と違って綺麗な金色の髪と空みたいに真っ青な目をしている。それに、アンナなんていう可愛い名前がある。

 それにくらべて私は、母が夢魔にはらませられた呪われた髪と瞳を持つ子供だった。

 だから愛されない。妹みたいに大切にされない。

 私の呪いが解けない限り、私に妹のような普通の生活は訪れない。


「いつまでもここにいるな。気味が悪い」


 牛の世話をしていた父親は、部屋に入ってくるなりそう吐き捨てるように言って外へ出ていった。

 母親は、そんな父親を見て自分の膨らんだお腹をそっとさする。

 次こそは息子でありますように。次の子は呪われていませんように…と夜な夜な、リンゴの枝を二本束ねたマールム教の聖印せいいんに毎晩祈っている姿を思い出して気分が悪くなる。

 

「あんたが生まれた時は、悪魔の子だって焚火たきびの中に放り込もうとしたんだよ。でもね、優しい婆さんが無事に生まれた子供を殺すなんて勿体ないって言ったからね、だからあんたは死なずにすんだんだよ」


 アンナに外套を着せ終わった母親は眉を吊り上げながら、私の胸を軽く押して家の外へ突き飛ばした。

 私が持っていた籠を落としたのを見て、母親はチッと大きな舌打ちをする。


「命の恩人の世話くらいこころよくしなさい。ったく、恩知らずめ」


 ババアが私に優しいのなら恩の一つも覚えただろうが、ババアも私の顔を見るたびに悪態あくたいをついてくる。

 もっと大きくなったらいつかこんな場所を出ていって、私にこんな髪の色と変なものが見えるを与えたやつに呪いをいてもらうんだ。それで、ちゃんと名前を貰って普通の生活をして、私は幸せになるんだ。

 籠を拾って歩き出そうとすると、背後から服を引っ張られてつんのめる。


「え…?」


 なにかと思って振り向くと、そこには狼がいた。

 雪が降りそうな日の空みたいな灰色の毛皮に艶はなくどことなくぼさぼさで、毛皮の上からでもわかるくらい痩せこけたそいつを、母親は一瞥いちべつしただけで背を向けた。


「なんなんだい?いつも通りその犬と出かけな」


 いつも通りなんて言われても私はこいつを知らない。そもそもこれはどう見ても犬じゃない。

 戸惑っている私の背中を狼は鼻先で押してくるし、ここに立っていたらそろそろ母に石でも投げられそうだ。

 狼はしっしと追い払おうとしてもどこにも行く様子はないので、仕方なくこいつを連れて行くことにした。


「赤頭巾、随分ずいぶん遅かったね。餓死しちまうところだったよ」


 いくつかの畑を通り、森を抜けてババアの家に着いた私は、ベッドに横たわっているババアの悪態を聞き流す。乱暴にパンと干した豆の入った籠を長机に置いて作業をしていると、ババアが怪訝な顔をしているのが目に入る。


「狼が付いてきてるじゃないか?恩知らずめ。あいつにあたしを喰わせる気だろ」


 ババアは開いたままの玄関の扉から見えた狼を見つけると、やかましい声でわめき始めた。

 母親はいつも通りと言っていたけど、やっぱりアレは狼だし、今日突然現れたんじゃないか。

 ババアは枕元に合ったなたを私に向けた。

 後退あとずさりをした私を見て起き上がった狼は、扉の外でワンと鳴く。そして、狼はババアのこと金色のひとみでじっと見る。


「あの狼は…」


「なにいってんだ。あんたの犬は相変わらず不気味だね」


 狼に見つめられて数秒、ほうけたような顔をしていたババアは、私の言い訳を聞くと首をかしげて顔をそむけた。

 さっきまで狼だと騒いでいたことなんて忘れたみたいだ。ボケたか?それとも、あいつの金色のひとみを見たから?


「用が済んだらさっさと帰んな」


 帰り道も狼は、私の後ろを変わらずついてくる。

 こいつが何かをしたのはわかる。でも、それを伝えようにも誰も呪われた子の言うことなんて聞いてくれない。

 人を襲うわけでもないなら、せいぜい犬として役立ってもらおう。こいつがいれば森で悪魔や他の狼に襲われても死なずに済むかもしれない。


「おい、狼。あんたが私を守ってくれるのなら騙されてやる。だから良い子にしていろよ」


「…俺は黒い鉤爪ガラ・ノーチェ。その契約を受け入れよう」


 しゃべりやがった。

 思わず手に持っていた袋を入れた籠を落とすと、狼は器用に鼻先を籠の取っ手にひっかけ、私の手元へ持ってきた。


「俺の力が効かないのは、その贈り物ギフトのせいか」


 狼がしゃべった?それとも、とうとう私の頭が壊れちまったのか?

 返事をせずに再び私が歩き出すと、狼もついてきて勝手に話を続ける。


破幻シャムロック魔眼まがん…美しい夕焼け色の髪。なるほど…古き隣人フェアリーの祝福を得た子」


「これが祝福なもんか。この赤い髪も変なものが見える眼も私は欲しいなんて言ってない」


 祝福…と言われてカチンとくる。

 手にしていた籠を地面に叩きつけるように置いた私は、自分の血みたいに汚い色をした髪を引っ張ってガラに見せた。


「私は…普通でよかった。こんなもの…私にとっては呪いと同じだ」


 言葉が止まらない。さんざん呪われた悪魔の子だと言われていたのに今さら祝福だと言われたって…私にとっては忌々いまいましいものに変わりはない。


「…他の人間や神がどうあれ、人のことわりから外れている俺にとっては好ましいものだ。催眠ヒュプノス魅了チャームも効果がないのは不便だが、こうして意思疎通はなすことができる」


 冷たい鼻先が手の甲に押し当てられて、自分がてのひらから血のにじむほど強くこぶしを握り締めていたことに気が付く。

 どうやらこいつは私を慰めているつもりらしい。

 そして、私は生まれて初めて「好ましい」なんて言葉を言われて少し舞い上がってるのかもしれない。


「あんたと会話はなしてたら、私はますます頭の出来を疑われちまうだろうが」


「傷が癒えたらここを去る」


 再び歩き出した私の横を歩きながら、ガラは言葉を続ける。


「あんたは昔の知り合いに似てるんだ。暇つぶしに付き合ってくれ」


「…自分の食い扶持ぶちは自分でれよ」


 この得体のしれないしゃべる狼が近いうちに出ていくのなら、少しくらい話してやってもいいのかもしれない。

 どうせ私にかけられる言葉は命令か、嫌味か罵倒なのだから…少しくらい私だって普通の話を誰かとして笑ったりしてもマールム様だってお目溢めこぼしをしてくれるだろう。


 木々が少なくなり、見慣れた畑がポツポツと見え始める辺りでガラは私に話しかけてこなくなった。

 まだ太陽は高く登っているのに、夕暮れみたいに空気が冷えてしまったみたいだ。よくわからない寒さを覚えながら、私は無言のガラと並んで歩いて家へと戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る