夏合宿初日の場合

 8月上旬。梅雨も開けて、真夏の陽気が日本を包み込む頃である。

 白板京子しらいたきょうこは、所属するS高ハンドメイド同好会のメンバーと一緒に、M高アウトドアスポーツ部の夏合宿にオブザーバーとして参加していた。

 アウトドアスポーツ部の現在の部長は、京子の幼馴染で恋人の奈良橋浩太ならはしこうたであり、部の会計を担当する鈴村恵美すずむらえみとも顔馴染みの仲である。恵美は京子の親友である征矢野明日香そやのあすかをはじめとして何人かのS高メンバーとも顔を合わせており、部活や学校の垣根を越えて交流や面識を持っていた。そのため、二校の混成チームは即席編成とは思えないほどの和やかな雰囲気で合宿地へと向かった。



 合宿地は古くからの温泉地にもほど近い場所にある小さな海水浴場で、浩太によるとM高のアウトドアスポーツ部では毎年この海水浴場に隣接している民宿にお世話になっているのだという。

「良いところね~!」

 京子が眼前に広がる海を見て感嘆の声をあげた。

「そう思うでしょ? 去年来たときから、今年もまたここに来ようって思ってたのよ」

「鈴村さん、俺が言いたかった言葉を取らないでくれよ……」

「こ……奈良橋先輩、情けない声を上げないでくださいよ」

 京子の弟でM高一年の白板正次しらいたまさつぐが浩太をたしなめた。

「ま、部長さん同士のやり取りはさておいて、早く海に行きたいなぁ……」

「明日香先輩……気が早いですよ。……まずは宿の方に挨拶をしてから……」

 S高一年の高宮たかみやゆかりが控えめながらも冷静な意見を述べる。

「相変わらずお堅いわねぇ、ゆかりは。そんなのちゃっちゃと済ませればいいのよ」

「いや……でも、これから三日間お世話になるわけですし」

「明日香、ここはゆかりの言う通りよ。M高の人と違って私たちは初見なんだし」

 明日香の意見に同調する意見もあるなか、同好会会長の京子が場をとりなした。

「……という意見もS高の人から出てるけど、我が部長の見解は? 奈良橋くん」

「まぁ、まずは決められた予定通りに過ごすのが筋じゃないのか? ひとまず宿に入って一息入れて、それから改めて全員で顔合わせをして、終わったら希望者は海辺を散策する。これでいいだろ」

「こういうところは姉ちゃんに似てたりするよな……奈良橋先輩」



 そんなこんなで宿に入った一同は、予定通り各自の部屋に入って一休みした後、宿の広間を借りて、それぞれに自己紹介をすることになった。この場の司会は両校から一人ずつ出すことになっている。

「……そういうわけで、司会役を仰せつかりましたS高二年の征矢野明日香です」

「同じく。司会を担当させていただきますM高二年の鈴村恵美です。よろしく」

 司会担当の二人がいち早く挨拶を済ませると、他の部員たちから拍手が上がった。

「では、まずは両部の部長からご挨拶を伺いたいと思います。まずM高アウトドアスポーツ部の部長、奈良橋浩太さんからお願いします!」

 明日香から紹介を受けて、部の顧問の隣りに座っていた浩太が席を立って挨拶を始めた。

「M高アウトドアスポーツ部部長の奈良橋です。今回はS高の皆さんと一緒の合宿ということで、部単独で合宿を行った去年とはまた違う雰囲気での合宿となりますが、気を引き締めつつも楽しい合宿になるように頑張りたいと思います」

 堅実な内容の言葉を語り終えると、一斉に拍手が沸き上がった。

「はい、奈良橋部長、ありがとうございました~! 続きましてS高ハンドメイド同好会会長の白板京子さんからもご挨拶をいただけますでしょうか?」

 恵美の言葉に促されて、今度は浩太とはちょうど反対側の席に座っていた京子が立ち上がった。

「S高ハンドメイド同好会会長の白板です。M高の皆さんには、今回過去に例のない合同合宿を受け入れて下さって、とても感謝しています。見ての通り、女の子ばかりの同好会ではありますけれど、M高の皆さんの邪魔にならないように、二泊三日の合宿期間をしっかり過ごして行きたいと思います」

 京子が語り終えてもう一度一礼すると、今度も割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 実はこの挨拶、両方とも京子が内容を考えて作成したものである。

「上手く行ったみたいね」

 席に座り直した京子に明日香が声をかけてきた。

「まぁ何とかね。でもああいう挨拶は言うのも作るのも大変よね」

 軽く一息ついてから、そう言って苦笑いした。

 その後、それぞれの部員が一言ずつ自己紹介を済ませて引率の顧問が合宿にあたっての注意事項を訓示してからもう一度解散となり、予定通り一部の希望者のみで海岸沿いを散策することになった。



 そろそろ夕方に差し掛かったとはいえ、真夏の太陽はまだまだ高い位置にあってギラギラと輝いている。決して過ごしやすいとは言えない気温ではあったが、その分、時折吹いてくる海からの風はとても心地よく感じられた。

「磯の香りがするな~。海風が気持ちいいわね」

 散策組の先頭を歩きながら京子が言った。

「去年俺たちが来た時はもうちょっと風が強かったけどな」

 京子とともに先頭を歩いていた浩太が懐かしそうに言った。

「あら、そうだったの?」

「ああ、翌日には収まったけど、来た日はすごかったものね。砂というか埃というか、とにかく細かいものが風で舞い上がって吹きつけてきて」

 二人からはやや離れて位置で歩いていた恵美が解説した。

「あれで本来二周するはずだったロードワークが一周に短縮されたしな」

「あの状況で二周は無理でしょ。宿の前で待ってた私だって大変だったんだから」

「確かにな」

「去年の合宿は、二人とも結構運動部してたんだね?」

 二人の思い出話を聞いた京子が羨ましそうに言った。

「まぁ、去年はたまたまウチの部活だけで合宿できるくらいの人数が揃っていたから大真面目にやってたけどね。でも今年のほうが本来の形に近いみたいよ」

「顧問の先生はそう言ってたなぁ。今の三年生の先輩たちがやる気な人が多かったから去年は本気で予定を組んだけど、今年は気楽なパターンに戻るって」

「それってつまり、去年までの反動が来たってこと?」

 その問いに二人はほぼ同時にうなずいた。

「そうなんじゃないかしら?現に私たちの代でウチの部活に専念しているのって結局私と奈良橋くんだけだしね。他の部員は大半が挫折して今はほとんどタッチしてくれなくなっちゃったの」

「去年は結構なハードスケジュールだったしなぁ。ロードワークに遠泳にストレッチ体操に、ぎっしり動いて海で遊ぶ機会なんて殆どなかったよな」

「大変なのね。運動部って」

「でも、今年は去年の反省もあるし、京子たちの参加もあるからね。今日のこれも散策程度で終わるし、明日もどちらかと言えば遊び要素多めのアクティビティになるみたいよ」

 京子が気の毒そうな声をあげたのを気にしてか、恵美がフォローを入れた。

「俺たちも運動したくないわけじゃないけど、去年は流石にきつすぎたからな。また部活が存続の危機に陥っても困るし、今年みたいにのんびり楽しくやるくらいがいいんじゃないか、とは思う」

「こうしてみると、浩太も結構ちゃんとした部長に見えるわね」

「おいおい京子、それじゃ普段は俺ちゃんとした部長に見えないみたいじゃないか」

 妙に感心した様子の京子の言葉を聞きとがめて、浩太がツッコミを入れた。

「そうねぇ、奈良橋くんは真面目だからしっかり部長を務めてはくれているのだけど、どこか抜けていたりするのよねぇ」

「えぇ……鈴村さん、俺をそんなふうに見ていたのかぁ……」

 本音とも冗談ともつかない調子で話す恵美であったが、生真面目な浩太はそれを本音と取ったのか少し肩を落とした。

「ほらほら、浩太、すぐにしょげないの! 大人の男はそんなことで一喜一憂しないわよ」

「じゃあ、京子は俺のことがどう見えているんだよ? やっぱ頼りなく見えるか?」

 浩太が困惑気味にそう切り返すと、京子はやや考え込むような仕草を見せた。

「別に頼りなくはないわ。いつも私のことを大切に想ってくれているし、今のままで物足りないってこともないと思う」

「そうなのか?」

「でも、今のままで満足してほしくもないわ。私だって今に満足していないもの。もっといい女になって、浩太にいつまでも『好きだよ』って言ってもらえるようになりたいもの。だから、浩太にももっともっといい男を目指してほしいな、って思ってるわ」

「わーお、京子ってば結構思い切ったことを言うのね」

 京子の言葉に浩太が反応するより早く、恵美が冷やかしをいれた。

「恵美、出来ればここでは黙っててよ」

「こんな状況で黙ってろ、っていうほうが無理じゃない。ね、みんな?」

「ホントよね。京子ったら本当に奈良橋さんのことが好きなのね」

「……京子先輩、何もこんなところで……」

「姉ちゃん、一応俺たち部活中ではあるんだから、惚気は少し控えめにしてくれよ」

 後方で歩いていたはずの明日香、ゆかり、正次がいつの間にか前まで出てきて話に加わってきた。

「ちょ、ちょっと、いつから聞いていたのよ、三人とも!?」

「大人の男は……の辺りからかな? 大分話し込んでいるから何かなぁと思って来てみたら、ねぇ?」

「……京子先輩の気持ちは、私たちにも伝わりましたけど、少し……遠慮して頂けると……」

「全くだよ。少しは自重しろって、姉ちゃん。奈良橋先輩も」

 三人に口々にそう言われてしまい、京子とついでに浩太も顔を真赤にしてうつむいてしまう。

「まぁ、私たちの見えない所でやってもらう分には全然構わないけどね……いや、私的にはたまに見えてる所でやってもほしいけれど……」

「あ、そうね。たまになら良い目の保養だと思うし見てみたいわぁ!」

「明日香先輩、流石にそれは……少々悪趣味では?」

「俺は別に姉ちゃんがアツアツなのを見たってしょうがないけどな」

 正次が気乗りしないような言葉を吐くと、今度は恵美がクスクスと笑い出した。

「あら、そうなの。期末テスト前に私を家に誘ってくれた時は随分アツい言葉をもらったと思ったけど、聞き違いからしら?」

「な、ちょっ……! 鈴村先輩、その話はオフレコで……」

 恵美の言葉を正次は慌てて制止するも、もう既に遅かった。

「おやぁ、京子の弟くんもなのかなぁ? 鈴村さん、その話後で詳しく!」

「おいおい正次、お前いつの間に鈴村さんを家に誘ったりしてたんだ?」

「ふーん、そうかぁ。正次、まだ私に黙ってることがあったのね……?」

「……もう、どうして私の周りにはこんなに恋愛に熱を上げてる人ばっかり……」

「まぁまぁ、ぼやかないで高宮さん。……で、その辺りどうなの、白板くん?」

 その場にいる全員から矛先を向けられた正次はしばらく絶句して、ややあってから場の雰囲気に耐えられなくなったのか、くるりと踵を返すとそのまま一目散に宿に向かって駆け出した。

「あっ、ちょっと待ちなさいよ正次!」

「正次、待ちやがれ!」

 京子と浩太は同時に叫ぶと、二人揃って後を追いかけ始めた。

「……私たちはどうしましょうか、お二人とも……?」

「逃げた所でどうせ宿にしか戻れないんだし、ゆっくり歩いて戻りましょうか」

「それに賛成~。……しっかし、京子と奈良橋さん、息がピッタリね」

「だからこそ見ていたいのよ。あんなに息がピッタリな二人、そうはいないわ」

 恵美は呆れたような、困ったような調子で苦笑いしながらそう言った。



 こうして、合同合宿の一日目はにぎやかに過ぎていったのだった。

 なお、正次はその後宿で京子と浩太に加えて部活の顧問からも説教を頂戴することとなったのは言うまでもない。

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