二日目午前中の場合

 合同夏合宿も二日目に入った。外は相変わらずの晴天に恵まれている。

 白板京子しらいたきょうこは朝早く起きるのが苦手である。

 普段の学校生活でも朝七時にきちんと起きることが出来れば良い方で、七時半、下手をすれば八時頃まで布団と仲良くしていることも決して少なくはない。

 しかし、こと合宿ともなるとそういうわけにもいかない。起床予定は朝六時であり、六時半にはラジオ体操をすることになっている。

 本来であれば顧問の先生と掛け合ってでも多少の余裕を求めたいところではあったが、京子はS高ハンドメイド同好会の会長であり、S高側のメンバーを代表する立場でもある。他のメンバーへの建前上「朝が苦手なので早起きできません」などと言うこともできず、京子は一日目の夜に部屋で談笑しつつも悲愴な決意を固めていたのだった。



 そして迎えた二日目の朝六時。

 京子は案の定六時に起きることが出来ず、ラジオ体操の十五分前に事情を知っている親友の征矢野明日香そやのあすかに起こしてもらってかろうじて起き出すことが出来たが、頭の中はボーッとしていて何も考えられない。

「眠いよぉ……」

「朝に弱いとは聞いていたけど、これほどとは思わなかったなぁ……」

 しっかり朝六時までに起き出していた明日香が呆れたように言った。

「だってぇ……朝六時なんて人の起きる時間じゃないよぉ……」

「何言ってるのよ。みんなちゃんと起きているんだから、しゃっきりしないと、ほら!」

 明日香に励まされて、京子はありったけのやる気を出して着ていた寝間着をジャージに替えてのろのろと部屋を出ていった。

「全く、昼間はあんなにしゃきっとしているのにねぇ……」

 明日香は苦笑混じりにそう言うと、自身も京子の後を追って部屋を出た。



 京子はやっとの思いでラジオ体操を終えて、今ひとつ働かない頭をしきりに振りながら部屋に戻ろうとしていると、状況を察した恋人で幼馴染の奈良橋浩太ならはしこうたが一緒に部屋まで付き添ってきてくれた。

「ありがとう……浩太……ふわぁ〜あ……」

「昔っから本当に朝が弱いよな、京子は。なんか昔より悪化していないか?」

「仕方がないじゃない……起きられないんだもの……」

「にしたってなぁ……。まぁ、体質みたいなものじゃ仕方ないか……」

「浩太はもの分かりが良いから大好きぃ〜……!」

「何か褒められている感じが全然しないな、その言葉」

「そんなことないよぉ……浩太だけだもの……こういうこと言えるの」

 浩太と話をしているうちに段々と京子は目が冴えてきたような感じがした。

「そりゃありがとうな京子。でも、昨日の話じゃないけれど、みんなの前では止めておいてくれよ?」

 昨日は二人揃って顧問の先生から「あまり行きすぎないように」と注意されたばかりである。

「大丈夫よ、私だって聞き分けのない子供じゃないんだから。浩太こそ大丈夫?」

「言い出したほうが守れなくてとうするんだよ」

 浩太は呆れたように呟きながら、一方で京子の手を握っていた手に少しだけ力を込めた。

 浩太の力強い腕の力を感じて、京子は嬉しそうに微笑んだ。



 朝食を終えた後、ミーティングを経ていよいよ海へ行くことになった。

 午前中は親睦会の意味を込めて男女ペアでビーチバレーをすることになっている。

 ルールは大雑把で、サーブ以外でボールを持つなどの目に見える反則を行わなければOKである。なお、コンビ分けは公平にくじ引きで決めている。

正次まさつぐとペアかぁ……なんかぞっとしないわね」

「それはこっちのセリフだよ。何だって合宿にきてまで姉ちゃんとペア組まなきゃならないわけ……」

「これもくじの結果だからね。あきらめなさい、白板くん」

「ゆかりは奈良橋さんとかぁ……いい人とペアになったわね?」

「い、いえ……あ、あの、奈良橋先輩、よろしく、お願いします……」

「こちらこそよろしく、高宮たかみやさん。まぁ、気楽にね」

 京子たちだけでなく、ほかの部員の間でもペア編成では悲喜こもごもがあったが、ともあれペアが決まり試合が始まった。

 試合は一ラウンド十五本先取の一本勝負。トーナメント方式で進められ、勝者にはささやかなご褒美が用意してある。

 ペアによって実力に差が生じているせいもあってか、一方的な展開で負けてしまうペアも出てきてくるなどなかなかシビアな展開になり、京子と正次のペア、ゆかりと浩太のペアは勝ち上がったものの、明日香のペアと鈴村恵美すずむらえみのペアは初戦敗退になってしまった。

「ビーチバレーって、見た目よりも大変なのね。砂に足を取られちゃう……」

「そうなのよ。だから、ペアの相性以上に自分がある程度動けないと辛いわ」

 既に負けてしまった明日香と恵美が外野で試合を見守りつつ意見を交わした。

「……京子と弟くんはよく戦えているわね」

「なんだかんだ言いつつも、そこは姉弟ってことなんじゃないかしら?」

「そうかもね」

 そう言って、二人は目の前で試合をしている京子たちを見た。二人とも互いのミスは遠慮なく非難しあっているものの、ここぞというタイミングでは息の合った連係プレーを見せていた。

「ああいうのが、本当に仲のいい姉弟ってことね。あたし一人っ子だからちょっと羨ましいわ」

「そうね……京子たちはこのまま勝ちそうだけど、次の試合の奈良橋くんと高宮さんのペアも結構頑張っているわね」

「さっきの試合もそうだったけど、ゆかりってばほとんど動けていないから、実質奈良橋さんひとりで戦ってるわよね」

 つい先程行っていた試合を思い返して、明日香が苦笑した。

「そりゃまぁ高宮さんも頑張ってはいるけど、あれだけ胸がたゆんたゆんしちゃったらねぇ……奈良橋くんにはちょうどいいハンディなんじゃないかしら?」

「強いよねぇ。砂をもろともせずに動いているし」

「奈良橋くんの凄いところは、それでいて高宮さんへのフォローを欠かさないのよね。しかも下心一切なしで」

 恵美が呆れ半分で苦笑しながらそう言うと、明日香はうなずいて応じた。

「そこなのよね。まぁ、何も思うところがないとも思えないけれど、それでもそれを表面的にでも感じさせない時点で破格よ。男って普通もっとがっつくものだと思ってたけど……」

「つくづく、そんな男性の愛を一身に集めている京子が羨ましいわね」

「本当ね~。私もいい相手が見つかるといいんだけどなぁ……」

 明日香がため息交じりにそう言うと、恵美はポンポンと軽く肩をたたいてやった。



 そしてビーチバレーもいよいよ大詰めとなり、京子たちのペアと浩太たちのペアで決勝戦ということになった。

「ここまで来たら勝たないとね。気張ってよ、正次」

「姉ちゃんこそ、浩太兄ちゃん相手だからって気を抜かないでよ」

「わかっているわよ」

 京子たちが気合いを入れる一方で、浩太たちもお互いを激励していた。

「奈良橋先輩、大丈夫ですか? ……ここまでずっと、動きっぱなしで、その……」

「大丈夫大丈夫、まだまだ動けるって。高宮さんこそ疲れてないかい?」

「は、はい……わ、私、その……いまいち鈍くって……」

「あれだけ動けてれば十分だよ」

 そして、いよいよ決勝戦がスタートした。

 試合は、京子と正次がゆかりのミスを誘うような厳しいボールを狙って送り込むのに対して、浩太がそれを適切にフォローしつつ京子たちの連携がカバーできない場所にボールを放り込んでポイントを奪うという一進一退の攻防となった。

 両校の部長が見せる白熱した試合展開に見守っているほかの部員たちからは歓声が上がった。

「これは、思っていた以上に実力伯仲の勝負になっているわね……」

「そうねぇ。京子たちの方が少し有利かなとも思ったけれど、奈良橋さんの頑張りもあってゆかりも持ちこたえているし。これはどうなるかなぁ……?」

「ちょっと消耗戦っぽくもなってきたから、奈良橋くんがどこまで持つかがカギね」

 恵美はそう言って、やや不安げに浩太たちを見やった。



 試合終盤に入り、やはり四人とも疲れから目に見えて動きが鈍りつつあったが、恵美の心配通り実質二人分の運動量をこなしてきた浩太の動きが大分精彩を欠くようになってきた。

「な、奈良橋、先……輩……。だ、大丈夫……です……か?」

 自身の方もいっぱいいっぱいになりながら、ゆかりが浩太を気遣った。

「はぁ、はぁ、はぁ……ま、まだまだぁ……!」

 浩太はとりあえず強がってみたものの、自分自身で動けなくなってきているのは自覚できていた。

「大分疲れてきているなぁ、浩太兄ちゃん……。ここは一気に決着つけちゃったほうがいいんじゃないの、姉ちゃん?」

 四人の中では最も余裕のある正次が冷静に京子に提案した。

「そ、そうね……もう一息……」

 京子はとりあえずそう答えてはみたものの、あまりにひどい状態の浩太のことを見ていると、言葉とは裏腹に気の毒にも思えてくる。頭では一気に決着をつけてしまったほうが結果的に全員疲労が少なくて済むというのは理解しているのだが、心の中では全く別の考えが浮かんでいた。

 そして、京子たちが三点差で迎えたマッチポイント。サーブを担当する京子は、力みのないスムーズなサーブを浩太に放った。

 浩太はすでに限界を迎えていたが、それでも何とかレシーブし、ゆかりからのトスに備えて何とか態勢を立て直す。

 ゆかりがよたよたしながらもミスすることなく浩太へボールをトスすると、浩太はあえてスパイクをせず、ガードに入った正次の脇にボールを押し込んだ。

 正次はスパイクが来ると思っていただけにその動きに対処することができず、京子はわずかに遅れながらもボールをレシーブしようと前に出るが、その時だった。

「きゃあっ!!」

「姉ちゃん!?」

「京子!?」

「き、京子先輩!?」

 京子がボールに追いつこうとした瞬間、砂に足を取られたのか盛大にその場に転倒してしまった。しかも、足首を押さえたまま動けなくなっている。

 正次、浩太、ゆかりの三人だけでなく、外野で見守っていた明日香や恵美も京子の方に駆け寄ってくる。

「大丈夫なの、京子?」

「う、うん……ちょっとだけ捻っちゃったみたい……」

「そこを見せて」

 痛々しそうに明日香の問いに答える京子に、恵美が足首の様子を調べ始めた。

「うーん、見たところそんなに酷い怪我でもないみたいだけど、うまく動けないようなら無理はしないほうがいいかもしれないわね」

 引率の先生二人と浩太たちが協議をした結果、とりあえず京子と付き添いの生徒数名だけ様子をみるために宿に戻ることになり、浩太と恵美、それにS高の教師が京子に付き添っていくことになった。

 宿までの道すがら、恵美は心配そうにあれこれと京子のことを気遣ったが、浩太の方は疲れもあるのか黙ったままで、京子の体を支える役に徹していた。



 宿に戻ると、教師と恵美は宿の人に冷やしタオルを用意してもらうために席を外して、京子と浩太は二人きりとなったが、二人の間には微妙な雰囲気が漂っていた。

 依然として黙ったままの浩太の態度に耐え切れず、京子が口を開く。

「浩太……あのね……?」

「京子……悪いけど少し静かにしてくれないか? ……俺、怒ってるからさ」

「うん……ごめんね、少し無理しちゃって……」

「そうじゃないだろ、別に言うことがあるんじゃないか……京子?」

「え……?」

 憮然とした表情で冷たく言う浩太に、京子は小さく息をのむ。

「お前、わざと転んだだろ。俺たちのことを気遣ってさ」

「そ、そんな、こと……」

 やや威圧するかのような浩太の言葉に京子は身をすくめた。

「強いスパイクを打ったわけじゃないし、正次のガードを交わしたときにちらっと後ろを見たら、お前じっとこちらも見たままで動こうとしていなかったろ? まるでこちらの行動を見定めて、何かの機会を伺っていたかのように」

 浩太の口調は怒っていなかった。表情も憮然とはしていたが怒りは浮かんでいなかった。それがかえって怒りの強さを感じさせ、京子は人生で初めて浩太のことが怖いと思った。

「本当に……ごめんなさい。あんな感じで試合に勝ちたくなかったから……つい」

「あんな親善試合の勝ち負けなんて気にするまでもないだろ。それより、お前がそうやって無茶をして、みんなを心配させて、万が一にでも大けがしていたら、合宿が滅茶苦茶になるかもしれないだろ? そこまで考えなかったのかよ!」

「そこまでは……考えられなかったよ……」

 京子にはそれしか言えなかった。

「まぁ、やっちゃったものは仕方ないけれど、そこだけはしっかり反省してくれよ。京子だって同好会の会長なんだから、それくらい分かるだろう?」

「うん……」

 浩太が自分が思っているよりもずっと真剣に部長として全体を考えて行動しているということに打ちのめされた京子は、すっかり意気消沈して沈み込んでしまった。

 京子が心の底から自分の行動を反省しているのを感じ取った浩太は、自分から京子の体に身を寄せて、しょんぼりしている京子の体をそっと抱いた。

「浩太……」

「これでもすごく心配したんだからな。もう二度とあんな真似はするなよ」

「うん……」

 京子は小さくうなずいて、浩太に体を預けると、静かに目を閉じた。

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