バレンタインデーの場合

 2月4日、立春。

 暦の上では春になったとはいえ、まだまだ寒い日の続く頃である。

 白板京子しらいたきょうこは、昼休みにスマホでネットのレシピサイトを眺めながら頭を悩ませていた。

 幼馴染の奈良橋浩太ならはしこうたと付き合い始めてから最初のバレンタインデーが10日後に迫っていた。

 勿論、これまでも義理チョコではあるが浩太にチョコを渡してはいた。しかし、今年は恋人として浩太にチョコを渡さねばならない。

 別に既製品を買って浩太に渡しても、それに対して何か不満を言うとも思えないが、恋人同士になってから初めてのバレンタインデーである。最初の記念には手作りのものを渡したいと思うのが年頃の女の子の心理であろう。

 京子の料理の腕自体はさほど悪くない。小学生の頃から母親の手伝いで夕食を一緒に作っていたこともあり、包丁さばきも手慣れたものであるし、味付けも堅実に仕上げられると母親から太鼓判をもらっている。

 しかし、やはりこと幼馴染の恋人に初めて手作りのチョコを作るとなるとどうしても普段とは違うプレッシャーもかかってくる。悪いことに京子は考えすぎる性格でもあり、浩太のために美味しいものを作りたいという気持ちばかりが先行してしまって、実際にどうするべきかというところですっかり考えあぐねてしまっていた。

 1月の終わり頃から浩太に遠回しに要望を聞いてみたり、友達に意見を求めたり、インターネットサイトで情報を収集してみたりと対策をしてみてはいるのだが、これまでのところ成果は芳しくなく、10日後にバレンタインを控えた今になっても中々具体的なアイディアが決まらず、悩みはますます深くなっていた。



 京子が教室の窓際でスマホを見ながらまとまらない考えを巡らせていると、親友の征矢野明日香そやのあすかが声をかけてきた。

「京子、どうしたの? 今日はいつにも増してぼんやりとしちゃって。見たところ、まーた彼氏さんのことで悩んでたりしてるのかな?」

「ああ、明日香か……ま、そんなところかな」

 明日香の問いを京子はそっと肯定した。

 京子と明日香の付き合いは高校に入ってからのことになるが、たまたまお互いの席が近かった事も手伝って、仲良しになるまでに時間はかからなかった。

 真面目で考えすぎることも多い京子に対して、明日香はやや軽めのあっさりとした性格で、一見するとそりが合わないようにも見えるが、京子は明日香の身軽な発想に憧れ、明日香は京子の真面目な態度に一目置いて……とうまい具合にお互いに無いものを補い合う間柄になり、今ではどんな悩みごとでも共有しあえる大親友になっていた。

 勿論、浩太とのことに関しても京子は何度か明日香の助言を仰いでいる。

「まぁ、バレンタインも近いし、彼氏持ちは気が気じゃないよねー」

「そういう明日香はどうなの?」

「私? 私は今年も父さんにチョコをあげたらそれで終わりかな」

「毎年お父さんにチョコを用意してるって、逆にすごいような気が……」

「そうでもないかな。形にこだわらなきゃそれほどの手間でもないと思うけどね。父さんも毎年毎年興味ないふりして、あげたらきっちり喜んでくれるし」

 大した問題でもないわ、と明日香は苦笑いをしてみせると、それを聞いた京子は感心したように頷いた。

「ふーん、そういうものなのね」

「……ま、そんなことは置いておいて、京子の悩みは彼氏さんに渡すチョコのこと?」

「そう。何か考えれば考えるほど泥沼に沈んでいく感じなのよね」

「京子は思いつめちゃうタイプだもんねー。……彼氏の意見は?」

「んー? 『京子のくれるものなら何でも嬉しいし、特にこだわりもない』だって」

「……当然っちゃ当然の反応だとは思うけど、一番対処に困る意見ね……」

「でしょ? もう少し具体的な意見があればやりようもあるんだけど……」

 そこで京子は深いため息をついた。明日香はそれを見て頷きながら、

「でも。それならそれで逆に悩むこともないんじゃないかって思うけどね。手軽に作れて美味しいチョコ菓子なんて、それこそいくらでもあるんだし?」

 と、一般論をぶつけてみた。すると、京子は力なく首を横に振って、

「その意見はわかるんだけど、どうせ作るんだったらやっぱり良いものを作りたいなって思うし、その方がもらった方も嬉しいかなって……」

 と、歯切れの悪い調子でそう返した。

「なるほどねぇ……気持ちはわからないでもないわ。せっかくの初彼氏チョコだもんね」

 明日香は京子の言い分を否定はしなかった。正直なところとしては京子の考え方は少々肩に力が入りすぎているようにも感じられたが、そこでそれを指摘してしまうと京子は更に悩んでしまうに違いない。

 明日香は言葉を慎重に選びつつ、京子の思考を少し違う方向にずらしてみようと試みた。

「ただ、なんて言ったら良いのかなぁ……少しだけ考え方を変えてみるってのもアリだとあたしは思うな」

「えっ? ……どういうこと?」

「京子って真面目だからさ。チョコ作るのにも相手が見た目も味も満足できるように、って考えちゃうと思うんだよね」

「うん」

「でも、必ずしもいつでも全力投球! ってのが正しいとも限らないんじゃない? ……場合によっては少し遊び心を入れてみたり、言い方は悪いけど少し手を抜いて、相手に余裕を見せてみる、ってのも考え方の一つだと思うのよ」

「そう……かな……?」

 明日香の言葉に京子は少し戸惑っているようだった。そこで明日香は京子の理解が追いつくように一呼吸置いてから言葉をつないだ。

「そうだと思うな。京子はしっかり者だから手を抜くなんて考えられないんだと思うけど、そういう京子だからこそ軽く力を抜いた状態を見せて普段とのギャップで相手にアピールできるんじゃないかしら?」

「うーん……?」

 京子は唸ったままうつむいて黙り込んでしまった。明日香の言っていることが正しいと理解しながらも、頭のどこかで引っかかるものがあるらしい。

「まぁ、最終的にどうするかは京子次第だから、あたしの見方を押し付けるつもりもないけどさ、何もかも正攻法でやるだけがやり方じゃないっていうのは覚えておくべきよ。これから先のためにもね」

 明日香はやや抑え気味になだめるような口調で言った。軽く釘を刺しつつも最後の判断は京子の意思を尊重したいのが明日香の本音だった。

 京子はなおもうつむいたまま悩んでいるようだったが、しばらくたってからようやく頭の中の整理がついたのか、顔を上げて明日香のことを見た。

「ありがとう、明日香。私が考えすぎだったみたい」

 京子は穏やかに言った。どうやら吹っ切ることが出来たらしく、表情からも力みが消えている。

「いいのいいの。あたしで良ければ、いつでも相談にはのったげるからさ」

 そんな京子の様子を見て、明日香もホッと胸をなでおろした。



 そして、それから10日後のバレンタインデー当日。

 浩太も京子もその日は部活の練習日だったため、いつもよりはやや遅い時間に駅前の広場で待ち合わせをすることになっていた。

 勿論、昨日までに京子は明日香や友人たちからのアドバイスを入れて浩太へのチョコをしっかりと作り上げている。



 その日は2月中頃らしいきつい冷え込みで、夕方になるとまた一段と寒さが増していくようにも感じられた。

 そんな寒空の下、いつものように予定の20分前に姿を見せた浩太は、待ち合わせ場所にあるベンチに腰掛け、白い息を吐きつつ京子を待っていた。

「さて、京子のチョコはどんなのかなぁ……」

 甘いものにそれほど興味があるとは言えない浩太だったが、バレンタインのチョコとなれば話は違うらしい。まして、今回は義理ではないチョコである。寒さに負けないほど気持ちも高揚するというものだろう。

 京子が姿を見せたのは、それから少しだけ間をおいた頃だった。

「浩太、お待たせ!」

 見ると、京子は手に何か紙袋のようなものを抱えている。

「よう、京子。……その手に持っているのは?」

「んー、焼きいも」

「焼きいも?」

 浩太は怪訝そうな表情になった。勿論、京子からすれば想定の範囲内である。

「何でまた焼きいもなんか買ってきたんだ? まさか……」

「そんな訳無いでしょ。ちゃんとチョコはあるから大丈夫」

 京子は浩太の横に腰掛けると、かばんの中から小ぶりな保冷バッグを取り出し、更にその中に入っていたものを取り出した。

 中に入っていたのはタッパーに入れられたチョコクリーム。

「おお、これか。美味しそうだけど、このまんま食べるのか?」

「そこでこの焼きいもが役に立つのよ」

 そう言って、京子は焼きいもの紙袋からあらかじめカットしておいた焼きいもを一つ取り出すと、用意しておいた小さなスプーンでタッパーのチョコクリームをすくうと焼きいもに軽く塗ってみせた。それを見た浩太は眼を丸くした。

「えっ!? そうやって食べるのか」

「そうよ。これが案外美味しいんだから。論より証拠よ、食べてみて」

「お、おう……」

 浩太は恐る恐るチョコが塗ってある焼きいもを口に運んだが、食べてみてもう一度驚いた。

「お! ……意外にうまいぞこれ!」

「でしょ? 焼きいもが甘いから、チョコの方は少しビターにしてあるの」

「なるほどなぁ。確かに焼きいもの甘さをチョコが全然邪魔してない」

「焼きいも以外でもビスケットと合わせてもいいし、トーストに塗ってチョコトーストにしても美味しいと思うから、残った分は家に持ち帰って食べてね」

 この焼きいもチョコのアイディアは明日香の発案だった。ただ単に普通のチョコを渡すだけではサプライズが足りない。手軽なレシピを使って楽をしつつも相手を驚かせて、しかも美味しいとあれば喜ばないひとは居ないだろう、というのが明日香の意見だった。

 驚きつつも喜んでくれている浩太の姿を見て、京子は心の中で明日香に感謝した。

「ま、ちょっと色気はないけど、こういうバレンタインチョコもいいもんだな」

 もう一つ焼きいもに手を伸ばしながら、浩太は少しだけ残念がったが、京子はそれを聞いて内心で手を叩いた。

「そう言うって思ってたんだ。だからね……」

 京子は言いながらかばんから今度は赤い包装紙に包んだ箱を取り出した。勿論、中身は普通の手作りチョコである。

「……はいこれ。心を込めて作ったから、大事に食べてね」

「えっ、このチョコだけじゃなかったのか!?」

「それだけじゃちょっと寂しいじゃない? 私も普通のを作れるところを見せたいし」

 実は最初のうちは普通のチョコを作る予定はなかったのだが、チョコクリームを試作してみたら予想以上に簡単に済んでしまったため、これでは良くないと思った京子が二段構えの作戦で行くことを思いつき、明日香に相談した上で急遽ごく普通のチョコも作って渡すことにしたのだった。

「そっか、悪いな京子。何だか気を使わせちゃって」

「ううん、いいのよ。浩太が満足してくれたんだったら、私はそれで満足」

 浩太の言葉に、京子は嬉しそうに頷いた。

 と、そこで浩太は受け取ったチョコを自分のかばんにしまってから、再びチョコクリームを手にとった。

「? どうしたの」

「いや、せっかくだし、京子も一緒にどうかなって思ってさ」

「え、私?」

 予想外の浩太の提案に京子は戸惑った。

「いや、私は……それは浩太のためのものだし……」

「焼きいももまだあるんだろ? せっかく美味しいものがあるんなら、そういうのは一緒に食べたいよな、やっぱ」

 そう言って浩太はニッコリと笑った。京子は浩太のこの表情に弱い。

「仕方ないなぁ……ちょっとだけだからね?」

 口ではそう言いつつも、京子は嬉しそうに浩太からチョコ焼きいもを受け取った。


 こうして、京子と浩太のはじめてのバレンタインは穏やかに過ぎていったのだった……。

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