元日の場合

 1月1日、元日。

 白板京子しらいたきょうこの家では初詣は二年参りで行うことが毎年の恒例になっていて、その代わり翌朝の家族の始動はだいたい遅く、両親が起き出してくるのはいつも昼前かそこらからである。

 そんな元日の朝、京子は普段どおり朝7時過ぎに目を覚ました。

 昨夜寝たのは深夜1時くらいで、朝に弱い京子としては少々起きるのが大変だったが、それでも何とか起き上がった。

 寝間着のまま居間へ行くと弟の正次まさつぐが既に起きていて、コタツでコーヒーを飲みつつテレビのお笑い特番を見ているところだった。

「おはよう、正次」

「あ、姉ちゃん、おはよう。何か起きるの早くない?」

「別に普段どおり起きただけだし、あんたも人のこと言えなくない?」

「まあそうだけど、姉ちゃん朝は苦手っていつも言ってるし、もう少しのんびりしてくるかと思ってた」

「まだ眠いことは眠いけど、普段通りにしないと色々大変だからね」

「何が大変なん……あっ、そうか!」

 正次はそこでなにかに気付いたかのようにポンと手を叩いた。

「いきなり何よ」

「あー、忘れてた忘れてた。つまり、姉ちゃんはこれから浩太兄ちゃんとデートなわけね」

「そんなにあからさまに言わないでよ」

 京子はそう正次に注意したものの、京子が幼馴染の奈良橋浩太ならはしこうたと付き合っているというのは、少なくともお互いの家庭内ではもう既に周知の事実であり、正次がそういう感じで無遠慮に言ってしまうのも無理からぬところではあった。何せ家族同士の面識自体は幼稚園時代から続いている筋金入りである。

 それでも、もう少し他に言い方はないのか、とは思うけれど。

「デートはデートなんだろ? あからさまも何もないと思うけど……」

「う・る・さ・い! 姉とはいえ女の子相手なんだからもう少し気を使いなさい!」

「……はーい、わかりましたよ」

 京子に強く出られて、正次は渋々ながらも素早く自説を引っ込めた。経験上、こういう姉に逆らってみても良いことは何もないのを正次はよく知っている。

「あら、正月早々から素直じゃないの?」

「新年サービス。ここで姉ちゃんの顔を立てておけば良いこともあるかな、と」

「中々言うわね、正次」

 そんな事を話しながら京子は自分のコップを棚から取り出し置いてあった急須に茶葉を入れて、ポットのお湯を注いだ。

「正次、お茶を淹れたけど、あんたも飲む?」

「まだコーヒーを飲み終わってないし、後にしとく」

「了解、じゃ残りは置いとくから好きな時に飲んでね」

「わかった」

 京子はコップに半分より気持ち少ない程度のお茶をコップに注ぐと、自分も正次と同じように居間の中央に備え付けられたコタツにあたった。

「これも毎年毎年やってるわね……誰か面白い人はいた?」

「ん~、まだかな。この特番長いし、これからだと思う」

「そっか、家を出るまでに何か面白いのが見れると良いけど……」

「姉ちゃん、何時に家を出る予定なん?」

「8時半くらいかなぁ? 待ち合わせは9時だし、そんなに早く行かなくてもね」

「なるほどねぇ……でも浩太兄ちゃんはあれで結構律儀な性格だから、20分か30分くらい前にその場所に行ってそうな気もするけどな」

 正次は京子と浩太のひとつ下にあたり、当然幼い頃は二人に混じって一緒に遊んでいた経験の持ち主でもあり、浩太のことは姉の京子と同じか、あるいはそれ以上によく知っている。

「それはありそう。まぁ、約束をオーバーしない限りは何時に来ようと本人の勝手ではあるし、別にいいでしょ」

「そこで自分も早く行こうとか、そういう気遣いはないのか、姉ちゃん……」

「浩太に合わせられないこともないけど、それが原因で二人揃って風邪を引いても困るじゃない?」

「……姉ちゃん、恋人相手でも容赦ねぇな……」

「そんなに間違ったことを言ってるつもりもないけど?……でも、正次の言いたいことも分かるから、今日はちょっと早めに出てみようかな?」

「ふーん……姉ちゃんも色々変わったよなぁ……」

 満更でもなさそうな姉の言葉を耳にして、正次は妙に感心したように呟いた。

「急に何よ、藪から棒に」

「いや、高校に入ってからの姉ちゃんって、どこか淡々としていたっていうか冷めているっていうか、どこかで俺たち家族を含めて人から距離を取ろうとしているような、そういう印象があったんだよな、何となく」

「え? えっ、そうかなぁ?」

 京子は弟の言葉に首をひねった。自分自身としては正次の言っているようなことに心当たりは全く無い。

「まぁ、何となくだし、俺もそんなに姉ちゃんのことばっか見てたわけでもないけどさ。でも、何となく張り合いのない表情をたまにしてるよなぁって、母さんと話してたりしたんだよな」

「母さんまでそんなこと言ってたの?やだなぁ……」

 京子は思わず顔をしかめたが、それを見た正次は少しだけニヤリとした。

「ま、母さんも姉ちゃんのことが心配だったんじゃないの? ……でも最近、浩太兄ちゃんと正式に付き合い始めてから、ってことになるのかな? 姉ちゃんがまた生き生きとするようになったって、この間母さんは笑ってたぜ」

 それを聞いた京子は大きく驚いた。

「えー? そんなに違って見えるー?」

「姉ちゃんには悪いけど、俺も母さんの意見に賛成かな。やっぱり去年前半の姉ちゃんと今現在の姉ちゃんを比較すると、今のほうが全然元気そうに見えるもんな」

「そうかなぁ……なんか釈然としない」

 その言葉に京子は何とも言えない表情になったが、それぞれ視ている所が違っていそうな母と正次が二人揃って同じ見解だということは、他の人にもやっぱりそう見えていたということになりそうであった。

「私、それじゃまるで浩太に依存しているみたいに見られてそうなんだけど」

「そりゃいくら何でもマイナスに見過ぎだろ、姉ちゃん。考えすぎだって」

「でもなぁ……」

「……姉ちゃんも妙なところで考えすぎるんだよなぁ全く」

急に悩ましげな表情に変わってしまった姉を見やって、正次は大げさにため息をついた。

「……って姉ちゃん、そろそろ8時じゃないのか?」

「あ、ホントだ。……そろそろ支度しないと!」

「気をつけてよ姉ちゃん。浩太兄ちゃん相手にそんな調子じゃ……」

「あんたに言われなくても分かってるわよ!大丈夫、浩太は心が広いから」

「はいはい、ごちそうさまです……とにかく急ぎなよ姉ちゃん」

バタバタと居間を出ていった姉を見送り、正次はやれやれと肩をすくめながらテレビの画面に視線を戻した。



 そして、京子と浩太が無事に二人での初詣を済ませた帰り道でのこと。

「うーん、俺にはちょっと何とも言いかねるな。高校に入ってから秋口になるまでそんなに何度も会っていた訳じゃないだろ?」

 京子の話を聞いた浩太は小首を傾げつつそう言った。

「まぁ、確かに浩太には分からないかもねぇ……」

「ただまぁ、仮に変わることが出来たんだとしたら、そんなに悪い話でもないんじゃないか?」

「どういうこと?」

 京子の疑問に、浩太はにっこり笑って答えた。

「つまり、それまで引きずっていた何かが無くなって、またフレッシュになれたってことだと俺は思うんだけどな」

「引きずっていた何か……?」

「俺がどこかで京子のことを引きずって甘えたい気持ちがどっかにあったみたいに、京子も中学時代から引きずってきた何かがあったんじゃないのか? それが最近になってようやく解消されて、京子も何か新しく決意した事ができたって、そういうことだと思う」

「…………」

 京子は浩太の言葉を静かに聞いていた。

 しばらく二人とも無言で歩いていたが、ややあって京子はそっと浩太の側に寄り添い、浩太の腕をそっと抱いた。

「京子……?」

「ちょっとだけ寒くなっちゃったから、少しだけこうさせて」

「……ま、京子がそうしたいんだったら、好きなだけしていいさ」

「ありがと……優しいね、浩太」

 京子は大きな浩太の腕を軽く抱きながら嬉しそうにつぶやき、浩太はそんな京子を優しげに見やりながら、少しだけゆっくりと歩いた。


 京子と浩太の新年は、こうして幕を開けた。

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