3月の終わりにふたりは誓う

 3月の末日。冬が終わり春の気配を感じる頃である。

 高校生になって初めての春休みを迎えた白板京子しらいたきょうこ奈良橋浩太ならはしこうたは、京子の希望でふたりが住んでいる場所よりも少し離れた街にある動物園を訪れていた。



 当日は晴れたり曇ったりと少し落ち着かない空模様ではあったものの過ごしやすい陽気で、展示されている動物たちも元気よく動き回っているものが多かった。

「あ、浩太、見てみて! レッサーパンダ!」

「お、ちょうど2本足で立ってるな!」

「カワイイ~!」

 京子が歓声を上げると、浩太もにこやかに応じた。

 京子は子供の頃から動物好きで、特にペンギンやレッサーパンダのような仕草の愛くるしい生き物に目がない。勿論、子供の頃から何度となく家族に連れて来てもらっていたのだが、最近は都合もあって中々来れなかったという。

「久しぶりに来たけど、やっぱりレッサーパンダちゃんカワイイなぁ~!」

「さっきからテンション上がったまんまだけど、京子って本当動物好きだよな」

「そりゃもう! あんな可愛いの目にしちゃったら止まれないよ!」

「こんなに京子が幸せそうなら、まぁデートで来た甲斐もあったってもんだな」

「あら、浩太は動物より私を見に来たの?」

「……なわけないだろ。俺だって動物園なんか小学校以来だし、楽しんでいるさ」

 京子の軽い皮肉にも浩太は動じず、落ち着いた表情で正論を返した。

「そうだったらいいけどね……ところで小学校の頃って言うと、4年生の秋頃に行った写生会の時になるかしら?」

「ん? ああ、そうそう、その時以来」

「そっか、もう随分昔の話になっちゃったね」

 浩太がうなずくと、京子は遠くを見るような目になった。

「まぁ、男だとどうしても動物園に行くなんて発想にはなりにくいしな」

「そうかなぁ? 案外女の子同士でも『動物園に行く』って話にはならないものよ?」

「ふーん、そういうもんか……そういや春休みなのに、俺達みたいな年のやつなんてそんなに見ないもんなぁ……」

 京子の言葉を受けて、周囲を見回しながら浩太が言った。春休みだけあって家族連れが多いが、高校生や中学生くらいの男女の姿は伺えない。

「そうなのよね。動物園ってそんなにお金もかからないし、楽しい場所だと思うんだけどなぁ」

「ここは俺たちの街からはちょっと離れてるし、多少はな」

「まぁね。気軽に行ける近い場所にあったらもっと良かったけど、贅沢は言えないし」

 そんなことを言いながら、二人はのんびりと園内を歩いて回った。



 動物の飼育ゾーンから少し離れた場所にある休憩スペースで、二人は昼食を取ることにした。

 浩太は母親に持たされたと言って、中くらいの大きさのおにぎりを3個ほど取り出した。

「やだ、浩太。今日はおにぎりだけなの?」

「……俺も文句は付けたんだけど、おふくろが『どうせ京子ちゃんがお弁当のおかずを作ってきてくれるわよ』とか何とか言って、結局押し切られたんだ」

「まぁその予想は正しいんだけど……おばさんも結構いい性格しているわよね」

 浩太の言葉に京子は苦笑いしながら弁当箱を取り出した。実際京子が作ってきたお弁当は鶏の唐揚げ、卵焼き、きんぴら、きゅうりの浅漬、ミニトマトとおかず中心で、お米は自分で食べる用の小さなおにぎりが2つ入れてあるだけだ。

「……うちのおふくろはこういう時だけやけに鋭かったりすんだよなぁ」

 浩太はぼやきつつも母親の作ったおにぎりを口に運んだ。

「浩太は絶対おばさんよりおじさんに似てるわよね……そういえば、おじさんは元気?」

「ああ、親父は相変わらずだよ。今日は今頃山の上なんじゃないか?」

 浩太の父親は登山が趣味で、まだ浩太が幼い頃から家族で登山を繰り返していたのだという。今は浩太の母が体力的な問題で、浩太が学校の部活などの都合で家族での登山は無くなったらしいが、父親は登山仲間と今も元気に登山に精を出しているらしい。

「は~、流石だね。うちの父親も少しは見習ったらいいのに……」

 京子は卵焼きを食べつつ溜め息をついた。

「京子の親父さんは運動はしないんだっけか?」

「うちの父親はさっぱり。よくあれで太らないものだけど……」

「それだけしっかり食べる量をセーブしているんなら、別にいいんじゃないか?」

「趣味が不健康すぎるのよ。競馬にパチンコとか、辞めればいいのに」

「ああ、そっちか。……まぁその辺りは良し悪しもあるだろ。うちだって登山やってたら平和ってわけでもないしな」

「そりゃそうだけど……」

 京子は自分用のおにぎりを口に運びつつ、なおも不満そうに声を上げた。浩太はキリが無くなりそうな雰囲気を悟って、話題を切り替えることにした。

「そういや、正次まさつぐはどうなったんだ?」

「ん? 正次のこと? ……ちゃんと高校に受かったわよ」

 京子の弟の正次は二人よりひとつ下で、今年が高校受験だった。

「志望していたのって、確かうちの高校だったよな?」

「そう、M高よ。4月から弟がお世話になるけど、よろしくね」

 浩太にきんぴらを取り分けつつ、京子がうなずいた。

「正次は成績も良さそうだったし、京子と同じS高にいくのかと思ってた」

「親は勿論そっちのほうがいいって言ってたんだけど、本人が『小学校も中学校も一緒だったのに、高校まで姉ちゃんと一緒なのだけは勘弁してくれ! 』ってうるさくてね」

「もったいない話だよな。俺なんか内申の都合で、行きたくても行けなかったのに」

「へ? 浩太もS高を志望してたの?」

 中身を食べ終わって空になった容器を片付けつつ、京子は驚いた。初めて聞く話だった。

「中3の2学期の初めくらいまでかな。でも、担任から『今のままじゃ少し内申点が足りないから変えたほうがいい』って言われて、それで1ランク下のM高に変えたんだ」

「そうだったんだね~。じゃあ、もしかしたら高校も一緒だった可能性もあったんだ」

 浩太の言葉に、京子は少し残念そうな調子で言ってペットボトルのお茶を一口飲んだ。

「まあ、あまり内申点ギリギリで受けて、万が一にも落ちてたら大変だったし。これはこれでベストな選択だったんじゃないかって、今は思っているけどな」

「でも、同じ学校に行けてたのに、って思うとやっぱりちょっと惜しいよ」

「そりゃ今ならそう思うけど、当時はそれどころじゃなかったし、別々の高校だったから、俺たちはこう成れたんじゃないかって、俺はそう思うけど」

 浩太が何を言いたいのかは大体察しが付いた。

「……離れてしまったから、大切さに気がついた、って話?」

「ああ。……ちょっと不満そうだな、京子」

 浩太の指摘に、京子は若干頬を膨らませた。

「不満ってわけじゃないけど……ちょっとロマンがないなって思わない?」

「ロマン?」

「そ、幼稚園から高校までずっと一緒だった幼馴染と恋人と結ばれる、なんて今どき恋愛小説にだって見かけないほどベタだけど、私はそういうのもいいなって思ってたのよね」

「うーん、まぁ、そういう風な憧れがあるならばまた話は別かも知れないけど……」

「でしょ?」

 京子はそう言って胸を張ったが、浩太はやや納得していないようだった。

「うーん……」

「まだ何かあるの?」

「……いや、止めとくよ。京子がそう思うんなら、俺もそう思うようにしないとな」

 浩太は少し悟ったような表情でそう言った。

 妙にサバサバとした反応が、逆に京子には気がかりだった。

「浩太、大丈夫? 私、なにか変なこと言っちゃったかな?」

「ん、大丈夫大丈夫。俺、まだ京子のことをちゃんと理解できてないなって、そう思っただけだから」

「え? いやいや、そんなに真面目に捉えなくても……!」

 浩太の言葉に京子は慌てて手を振りながら浩太をなだめた。

 浩太は彼氏としては優しくて真面目で理想的だが、時々真面目が過ぎてしまうのが難点だった。付き合い始めて半年近くが過ぎても、未だにこういう所で融通が利かない。

 そんなようなことを京子が思っていると、その内心を見透かしているかのように浩太が言った。

「俺、中々京子の言う冗談を冗談のまま受け取れてないよな?いつもいつも心配かけちゃってさ」

「え!? ……ううん、そんなことないわよ。そういう一途な所がいいんじゃない」

「そうかなぁ……自分でもちょっと嫌になりそうなところもあるんだけどな」

「それは大丈夫よ。いつかちゃんと対応できるようになれるって!それにね……」

「それに?」

「私も助けられてるよ、浩太のそういうところに」

 やや伏し目がちな浩太の顔をのぞき込みながら、京子は真剣な表情で言った。



 ふたりが動物園を離れたのはそれからしばらく後の話だった。

 京子も浩太も、あれからお互いにお互いのことを意識し過ぎてしまって会話が少なくなり、動物園見物どころでは無くなってしまったからだ。

 帰りの駅に向かう路線バスの中でもふたりは言葉少なだった。

 ただ、これはふたりがふたりとも相手のことを気遣い過ぎているが故の無言であり、ふたりの仲が悪くなったという話ではない。

 その証拠にふたりともお互いにぴったり密着するように席に座っていて、嫌がる素振りも見せていない。

 やがて、長い沈黙を破って、先に口を開いたのは浩太だった。

「京子」

「なに、浩太」

「大人になるって、難しいな」

「そうだね。私も大人ぶってみてるけど、まだまだだと思う」

「京子でも、そういうところがあるんだな」

「私は、浩太が思ってるほどすごくないよ」

 感心したような浩太の言葉を受けて、京子は小さく笑みを浮かべて応じた。

「そっか」

「……ねぇ、浩太」

「何だよ、京子」

「私ね、もっと素直になりたいな」

「京子はいつでも素直だと思ったけど」

「ううん。私は意気地なしだから、いつも肝心な所で逃げちゃうんだ」

「逃げてる?」

「うん、自分で想像もつかないようなことになるのが怖いから、何だかんだで誤魔化しちゃう」

「俺も言うほど素直じゃない気もするけどな」

 浩太がそう言って苦笑すると、京子は軽く首を横に振った。

「浩太はすごいよ。いつも真っ直ぐに私を見てくれてるじゃん。私はまだまだ」

「だから、素直になりたい?」

「うん、もっと勇気を持って、浩太に素直になれるようになりたい」

「俺も、もっと京子のことを受け止められるような大きな人間になりたいな」

「結局一緒なんだね、わたしたち」

「ああ、そうだな」

 ふたりはそう言って静かに笑い合うと、再び心地よい沈黙の中に身を委ねた。



 高校1年の終わりに決意を新たにして、ふたりは次の1年を迎えようとしていた。

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