014 二人旅(5)

「……お前は、なぜあんな場所におったのだ」


「あんな場所?」


「あの物ノ怪に襲われておった場所よ。百人からの郎党を率いてあそこにおったはなぜだ」


「言っただろ。領内視察の途中でたまたま立ち寄っただけだ」


「馬は? よもやあのような僻地に徒歩かちで赴いておったわけではあるまい」


「あー……馬なぁ。そのへんはまあ、話せば長くなるんだが、少し込み入った事情があってな。オレ含めて馬に乗ってたやつもいるにはいたんだが……」


 露骨に言葉を濁すクリスに、五郎太はそれ以上たださなかった。お屋形様にまつわる問答でからい指摘を受けた気拙きまずさに話題を変えただけだったからだ。


 ただ何の気なしに投げかけた問であったが、考えてみるとその辺りは何ともおかしな話ではある。思い返してみればあの兵たちの骸の間に、馬の死骸はひとつもなかった。クリスの言うように騎馬武者がいたのであれば、馬はどこへ行ったというのか。


 疑問はまだある。むしろ馬がどうなったかなどより余程大きな疑問だ。その疑問はあの初めての夜、クリスが吐露したひとつののぞみに端を発する。己が胸にいだいていたものと同様の望……聞こうか聞くまいか迷ったが、五郎太は思い切って口を開いた。


「――あそこにあのような物ノ怪がいることがわかっておったのか」


「はぁ? ばか言ってんじゃねえ。あんなもんいるってわかってて行くわけねえだろ。親衛は全滅しちまうし、オレだってあと一歩で死ぬとこだったじゃねえか」


「そうか……。いやなに、お前が生きる望みを失うて死にたいなどと言っておったことを思い出してな」


「……そういう思いもあった、ってだけだ。死ぬなら一人で死ぬ。親衛を道連れになんかするか」


「それを聞いて安堵したわ」


 怒ったようなクリスの返答に、言葉通り五郎太は安堵に胸を撫で下ろした。この三日間で五郎太が了解したクリスの人となりを確認する上で、それはゆるがせにできない疑問だったのである。


「ならばあの物ノ怪は偶然あそこにおったということか」


「普通に考えればそうなんだろうな」


「なんとも剣呑な話よな。あのように屈強な化物がそこらじゅうにおったのではおちおち畑も耕せん」


「同感だ。あんなもんがゴロゴロしててたまるか」


「そうではないのか」


「たまーに出現する、ってやつだったんだよ。何十年に一度のレベルで。実際、こないだ地竜が現れたのは五年前だ。帝国の魔法騎士団が総出で迎え撃って、どうにか駆除できた。……数えきれねえほど死んだけどな」


「そうか」


「だがこれでこの国ももう安心だ。オマエがいてくれる限りな」


「どういうことだそれは」


「あいつがまた出たらオマエが退治してくれるんだろ? この前みたいに」


「冗談ではない。あのような恐ろしい化物を相手にするなど二度と御免だ。この前とて九死に一生を得たのだぞ」


「そんなことねえって。もっかいやりゃまたオマエが勝つさ」


「第一、槍がないではないか」


「そいつはオレが直してやるって言ってんだろが」


「信用ならぬ。あれほどの槍、そう簡単に鍛えられる道理がないわ」


「だったらオマエの満足いく槍ができたらまたオレのために戦ってくれる、ってことでいいよな?」


「それとこれとは話が……」


「おんなじことさ。槍は直す、手厚くおもてなしもする。こないだ言ってた礼ってのは別だぜ? ちゃんとそれも考えてる」


「……」


「なんならこのオレもオマケしてやろうか? 今からここで青姦アオカンとシャレこんでも構わねえぞ?」


 扇情的な笑みを浮かべクリスはそう言うと、まだ水の滴る白い胸をいやらしい手つきで揉みしだいて見せた。流石に鼻白む思いで、五郎太は溜息をついた。何を思ってのことかわからぬが、この者はどうも俺に対しこの手の挑発が多過ぎる。


 そう思ってクリスの裸身から目を逸らした――そこで、五郎太は異変に気づいた。


「――クリス、急ぎ服を着ろ」


「お? なんだよ。男の裸なんざ平気じゃなかったのか?」


「違う。なにか来る」


 五郎太の口調が変わったことに気づいたのか、クリスは無言で川から上がると、濡れたままの身体にさらしを巻き、装束を身に着けていった。五郎太に至っては褌だけ締めると裸のまま具足を装着し、瞬く間に戦支度を調えた。


 五郎太の耳が拾ったのは遠いひづめの音だったのである。一つ二つではない、優に百はあろうかという蹄の音だ。仮に敵襲であった場合、一丁の鉄砲と折れた槍では如何ともし難い。己一人であれば北斗の脚で逃げおおせるが、クリスという荷を加えてそれが可能だろうか……。


「真ん前に出てっていいぜ」


 そんな懊悩をいだきつつ馬に跨がった五郎太であったから、背中合わせに同じく馬上の人となったクリスから唐突に告げられたその一言には面食らった。


「今、何と?」


の真ん前に出てっていい、って言ったんだ」


「味方――で間違いないのか?」


「たぶんな。まあ違ったら違ったでいいじゃねーか。オレら、二人揃ってこの世に未練があるわけでもねえようだし」


「……未練がないわけではないわ。まったくどうなっても知らぬぞ――」


 言いながら五郎太は川縁かわべりの傾斜を駆け上がった。視界がひらけ、平地に馬を進めたところで五郎太達を待ち構えていたものは、予想通り二百騎はあろうかという騎馬武者と、そのぐるりを固める雲霞の如き鉄砲隊であった。


(何という鉄砲の数だ……!)


 その光景に、五郎太は瞠目した。南蛮鉄と思しき甲冑に身を包み馬上にある者達はまあ良い。問題は周囲に展開された夥しい数の鉄砲隊である。


 鉄砲は日ノ本のそれのように一様に黒い筒ではなく、あるものは黄金色、またあるものは赤銅色というように色彩に富んでいる。長さも多様で、遠町筒とおまちづつのように長いものもあれば、馬上筒ばじょうづつのような短銃もある。


 だが何より驚嘆すべきはその数だ。五百……いや、千はいようかという兵が何れも鉄砲を手にしているのだからその数は途方もない。なまなかな戦であればこの数の鉄砲を揃えるだけで趨勢は決する。お屋形様が手塩にかけたご自慢の鉄砲隊も、この部隊には及ばないかも知れない……。


(矢張り、ここはイスパニアであったか)


 目の前の威容は、五郎太をしてそう思わしめるのに充分だった。そんな感慨に耽る五郎太の眺める中、金色こんじきの甲冑を纏い馬上にある将と思しき一人が腕をもたげ、甲高い声で取り巻きの兵に下知を下した。


「撃ち方、構えい!」


 無数の銃が一斉に構えられ、その銃口が等しく五郎太に向けられた。突如出現した軍勢の謂われなき殺気を全身に浴びながら、五郎太はおそれることなく背後の同行者に語りかけた。


「味方にしては随分な歓迎ぶりよな」


「まったくだ――」


 言いながらクリスは馬を飛び下り、そのまま軍勢に向かい進み出た。その放胆な振舞いに「ほう」と感嘆の声を漏らす五郎太の前で、クリスは威風堂々たる大音声で吼えた。


「ルクレチア! 弓を引く相手を間違えてはおらぬか!」

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