013 二人旅(4)

「その通りよ。正直に申さば、お屋形様が真にご自身のお志で右大将様に謀叛なされたのか、そのあたりからして俺は疑問に思うておる」


「なんでまたそう思うんだ?」


「どう考えても筑前の動きが早過ぎるからよ。右大将様を亡き者にせんとて筑前が裏で糸を引き、お屋形様はまんまとそれに乗せられたのではないかと、そう思えてならぬのだ」


「……ふうん」


「そればかりではない。仮にご謀叛がお屋形様ご自身のお志であったとしても、なぜそれをなされたのかがわからぬ。『浪々の身であった自分を引き立てて下さったは上様、そのご恩をゆめゆめ忘れてはならぬ』いつかお屋形様はそう言っておられた。そのお言葉が嘘であったとは到底思えぬ。それがなぜ……」


「ゴローがここでそんな話するってことは、その件についてオレの意見を聞きてえってことか?」


「……ああ、そうだ」


「なら言うけどな、まずはその羽柴ナントカってのが黒幕かどうかって話。ぶっちゃけその情報だけじゃなんとも言えねえが、たぶん噛んでねえってのがオレの見解だな」


「なぜゆえにそう思う」


「オマエの言ってた『兵を戻すのが早過ぎる』ってのがその証拠だ」


「それが証拠で、なぜ羽柴が噛んでおらぬと言えるのだ」


「そいつが黒幕だったら、逆にそんなあやしまれるほど早く引き返したりしねえさ」


「……」


「陰謀をくわだててるやつってのは、たいてい自分の陰謀の中で疑心暗鬼になってんだよ。どうしたらあやしまれないか、そんなことばっか考えてる。そんなやつがわざわざ『あいつ早すぎる、あやしいんじゃね?』みたいに言われる可能性があることすると思うか? 多分しねえよ。それが、羽柴黒幕説をオレが否定する理由だ」


「……」


 なるほど一理ある。クリスの見解に、五郎太は素直にそう思った。それはこれまでの五郎太の考えに欠けていた視点だった。絵を描いたのが筑前であればわざわざ疑われるような振舞いはするまい――単純だが鋭い。五郎太は改めてクリスの慧眼に感じ入る思いであった。


「んで、オマエのお屋形様ってのがなぜ右大将信長様を裏切ったか。その理由だが、そいつも簡単だ」


「その理由とは」


「裏切りたかったからだ」


「なにをばかな。理由になっておらぬぞ。そんなもの子供でも答えられるわ」


「だったら逆に聞くけどな。オマエはそのお屋形様ってのに心酔してて、そいつのためならいつ死んでも良いと思ってんだよな?」


「ああ、そうだ」


「それってなんでだ? こないだ言ってたように、小さかった頃に命を救ってくれたからか?」


「それもある。だが、そればかりではないわ」


 三日間の道中、五郎太はクリスに問われるままにお屋形様との出逢いを語り聞かせていた。


 右大将様が第六天魔王の名をほしいままにすることとなった叡山焼き討ち。まだ幼かった自分がそこで僧侶諸共に殺されるところをお屋形様に拾われ、養育される身となったこと。後日、それが叡山に住まう者を皆殺しにせよという右大将様の下知に背いてまで行われたものであると知り、お屋形様を深く敬慕するに至ったこと。


 五郎太がお屋形様の御為ならいつでも死ねると思い定めていた理由の根源には、確かにその出逢いがある。だが、決してそればかりではない。


「お屋形様はのう、俺をそれこそ我が子のように養うてくだされたのよ。刀槍、弓馬の道ばかりではない。読み書きそろばん、礼儀に作法、詩歌にえきに、果ては茶の湯の手ほどきまでしてくださってのう。『槍働きばかりの猪武者にはなるな。花も実もあるひとかどの武士になれ』と、それがお屋形様の口癖であった」


「へえ。それで?」


「……孤児にも等しきこの俺に、お屋形様はいつも優しかった。無論、俺の働きを期待なさってのことであろう。それは重々承知しておる。だが、俺はそれで良かったのだ。お屋形様に死ねと言われれば、俺はいつでも喜んで死んだ。俺にとって、お屋形様はそれほどのお方だったのだ」


「つまり、オマエがお屋形様のためなら死ねるのはなぜかって理由はひとつじゃない。いくつもの理由が重なり合ってはじめてそうなった……ってことか?」


「ああ、そうだ」


「オマエのお屋形様が右大将様とやらを裏切った理由も同じだ。理由はひとつじゃない。いくつもの理由が重なり合ってはじめてそうなった」


「……」


「だからお前の問いに対する回答はひとつだ。オマエがお屋形様のためなら死ねるのは、お屋形様のために死にたいからであってそれ以上でもそれ以下でもない。それと同じように、オマエのお屋形様が右大将様とやらを裏切ったのは、裏切りたかったからであってそれ以上でもそれ以下でもない」


「……」


「終わっちまったこといつまでも悩んでても仕方ねえだろ。これからのこと考えようぜ、これからのことを」


 そう言われて、五郎太はクリスに打擲ちょうちゃくされたような気がした。


 己がお屋形様のために死にたいと願った理由がひとつではないように、お屋形様が右大将様に謀叛なされた理由もまたひとつではない――確かに、それはその通りなのであろう。


 あの思慮深いお屋形様がなぜひと月をたず羽柴筑前ごときに討ち果たされるような悪手を打つに至ったのか……打たざるを得なかったのか。その疑問に囚われる余り、俺は子供でもっている人の心の有りようさえ忘れていた……そんな悔恨の情が胸に沸き起こり、五郎太はしばし言葉を失った。


 ……クリスの言う通りだと思った。既に決着したことをいつまでも思い悩んでも詮無きことだという指摘も含めて。


 だが、と五郎太は更に重ねて思う。寸鉄人を刺すげんは流石だがその実、クリスもまた人の心の有り様を解していない。いくら理屈でそうとわかったところで、俺のような凡夫がそう簡単に気持ちを切り替えられるはずもないではないか……。

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