015 二人旅(6)

「……陛下!? 陛下では御座いませぬか! よくぞご無事で!」


「余の声が聞こえなかったか! いつまで余のともがらにエリクシルの切先きっさきを向けている!」


「はっ……これは大変なご無礼を。撃ち方、下げい! 陛下の御前ごぜんである! 皆の者、控えよ!」


 ルクレチアと呼ばれた将の下知が走り、五郎太に銃口を向けていた銃が一斉に下げられた。そればかりではない。下知を下した将を含め馬上にあった者全員が馬を降り、銃を地面に置いた鉄砲隊と共に片膝をつきこうべを深く垂れて身動きを止めた。


「……ううむ」


 北斗の背にあって事の一部始終を眺めていた五郎太は、その壮観に思わず唸った。


 戦場いくさばにあらば万の軍勢をも圧倒するであろう精強な部隊が、を前に平伏ひれふして動かなくなってしまったのである。これはいよいよこの正体不明の殿様に対する認識を改めねばならぬやも知れぬ、と五郎太が嘆息したところで、再びクリスの声がかかった。


「この者は異邦人でありながら一片の義侠心により余の命を救った大恩人である。そればかりか都までの道中における余の護衛を買って、身の危険を顧みず何度も余を助けてくれたのだ。その恩に報いるためどのような恩賞をとらせようかと頭を悩ませていたこの者に、あろうことかエリクシルを向けてくれるとはな。大恩あるこれがエスペラスの礼儀だと思われるのは甚だ不愉快だ」


「はっ……。総ては自分の不徳の致すところ……この罰はいかようにも」


 さきほどに比べ幾分抑え目な声で、けれども逆にあからさまな毒を込めて発せられたクリスの叱責の言葉に、ルクレチアと呼ばれた将は一層こうべを低くして応えた。


 そんな芝居がかった遣り取りを見るにつけ、五郎太は段々と居たたまれない気分になってきた。……だいたいクリスが言っているのは出鱈目もいいところである。確かに最初こそ義侠心から助太刀したが、道中の護衛など買って出てはおらぬし、クリスの危機を救ったなどということもない。むしろどこまでが本気かわからぬクリスの色仕掛けをいなしつつ、愚にもつかないことを駄弁だべりながら太平楽な旅を続けてきたと言って良い。


 それがこのような軍勢を前に一番槍の手柄をあげたが如く持ち上げられたのでは面映おもばゆいを通り越して背筋がむず痒くなってくる。敵でないとわかり、臨戦態勢を解いただけで充分ではないか――そんな五郎太の胸中に構わず、クリスは尚も続けた。


「あの者らのむくろは改めたか、ルクレチア」


「はっ……しかと改めまして御座います」


「見たところ回収してきてはおらぬようだが、野晒しのままにしておくつもりか?」


「いえ、陛下をお捜しするのが先決と判断いたしましたゆえ、ひとまずそのままにして参りましたが、いずれ都に持ち帰るつもりで御座いました」


「あれから何日経つと思っている。持ち帰るにはだいぶ傷んでいるのではないか?」


「精霊魔術師に命じ、防腐の処理までは施しております」


「ふん……まあ良い。それならば地竜の死骸も見たか」


「しかと拝見いたしました……あれは、陛下が御自ら?」


「ばかを言うな。余にあんなものをたおせるわけがなかろう。――皆も聞け! そなた達も死骸を目にしておろう。余の命を奪わんとしたあの恐るべき地竜を槍一本で屠ったのがこの男、サカモト・ゴロータ・シゲミツである!」


 高らかなクリスの宣言。その直後、眼前を埋め尽くす軍勢からうしおの如き歓声があがった。やおらクリスが振り返り、五郎太に向き直る。示し合わせたかのようにその背後で全軍が一斉に立ち上がり、五郎太におもてを向けて直立の姿勢を取った。


「リノ・エスペラス!」


 こぶしを胸にあてたクリスの一言に続いて、居並ぶ総ての兵が同じ仕草で「リノ・エスペラス!」と、同じ言葉を唱和した。その言葉がどのような意味を持つものか判然しなかったが、敬意の礼であることは五郎太にもわかった。


 意外な事の成行に呆然としていた五郎太であったがそれで我に返り、同時に馬上にあるのが己だけであることに今更ながら気づいた。慌てて馬を降り、クリス麾下の軍勢に対峙する。この際、名乗りを上げるべきかと思いはしたが、クリスの口上にをつけることにも成りかねないと思い、無言で頭を下げた。


 と、軍勢からルクレチアと呼ばれた将が進み、五郎太の前に立った。よく見れば女性にょしょうのようで、黄金色の甲冑に、それよりは白銀しろがねに近い色に輝く長い髪がかかっている。そしてこれは何とも奇妙なのだが、甲冑と同じ色の面頬めんぼおがその顔の左半分だけを覆っている。


「これなるはルクレチア、余の婚約者である」


 いつの間にか隣に来ていたクリスからそんな一言を告げられ、五郎太は我知らず問い返した。


「今、何と?」


「こいつはルクレチアって名前で、オレの婚約者だって言ってんだよ」


「婚約者!?」


 いきなり言葉遣いが砕けた感じになったクリスの一言に、五郎太は思わず素頓狂すっとんきょうな声を出した。


(……いや、違う)


 だがすぐに、五郎太はそれが驚くべきことでも何でもないことに気づいた。先程まで小川で見ていた女体がまだ目に焼き付いていたから驚きに声も出たが、クリスは。男であるクリスに女の許嫁がいて何の不思議があろう。


 失態を取り繕うため五郎太は普段にも増して鹿爪しかつめらしい顔をつくると、兜を脱いで腕に抱え、深々と頭を下げて言った。


「ご無礼つかまつった。故あって遠国より参った坂本五郎太重光と申す者に御座る」


「こちらこそ先程は大変なご無礼を。コロネイア大公が娘、ルクレチア・フィリス・ラ・コロネイアに御座います。以後お見知りおき下さいますよう」


 五郎太に倣ってかルクレチアも頭を下げた。やがて五郎太が頭をもたげたとき、同じく頭をあげたルクレチアと目が合った。


(――おや)


 一瞬、目の前に立つ女の瑠璃色の瞳の奥に垣間見えたものを、五郎太は見逃さなかった。……それは嫉妬であった。


 もとより男女の道に暗い五郎太に悋気の眼差しなどわかるべくもない。だが、嫉妬ならばわかる。嫉妬は何も男女の道に限ったことではないからだ。孤児同然で拾われたものがお屋形様に引き立てられ異例の出世に預かった五郎太にとって、嫉妬の眼差しはごく見慣れたものだったのである。


 だから当然、対処の仕様も心得ている。嫉妬の眼差しを受けた場合、それが嫉妬の眼差しであると五郎太が見抜いたことを相手に気取られぬことが肝要なのである。その点、五郎太は慣れもあって半ば無意識にそれをする癖がついている。此度も、その眼差しが己に向ける嫉妬を孕んだものであると悟ったなどとは微塵も感じさせぬ仏頂面を崩すことなく、何事もなかったかのように五郎太は視線をクリスに戻したのであった。


「……というわけだから、苦労かけてわりいが、親衛共の骸と地竜の死骸を回収して引き上げてこい、ルクレチア」


「はっ、かしこまりました! しかし、陛下はこれからどのように……」


「オレはこれまで通り、コイツと二人で都へ向かうさ」


 そう言ってクリスは馴れ馴れしく五郎太に肩を組んでくる。状況をわきまえないその振舞いに辟易しながらも、五郎太は内心、己がこうして女に組み付かれても悪心おしんを催さないことに改めて驚きを覚えていた。


 同時に五郎太はルクレチアを一瞥し、既にその目に嫉妬の色が浮かんでいないことを認めた。……クリスとの間に衆道を疑っての悋気かとも思ったのだが、無用の勘ぐりだったようである。……となるとお屋形様や筑前守がかつて右大将様に見出された如く、成り上がる恐れのある新参者をクリスが拾うたとみなしての漠とした嫉妬であったか……。


「畏れながら、それでは陛下の護衛が手薄かと存じます」


「手薄ってこたねえだろ。地竜を仕留めた手練れが護衛についてんだぜ?」


「せめて錬金術師を十人……いえ、二十人なりともお連れいただかないことには」


「だから、こいつ一人でいいって言ってんだろが」


 そう言ってまたぐいと首を抱き寄せてくるクリスに、五郎太は好い加減鬱陶しくなってきた。ルクレチアは半分面頬に覆われたおもてに氷のような表情を浮かべ、只淡々と護衛の増補を説いている。その表情からはどのような感情をも読み取れない。あるいは内心に渦巻く何かしらの嫉妬を押し殺しているだけなのかも知れない。


 やれやれ面倒なことになった。これだから宮仕えは……。言い合いを続ける二人を眺めて、五郎太は大きくひとつ溜息をついた。


 けれども真に面倒なことになるのは目指す都に着いた後だということを、この時の五郎太はまだ知る由もなかったのである。

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