第10話 怪鳥


 一件の依頼が舞い込んだのは、次の日の事だ。


 夕方にはまだ早い。夏空の青に、僅かに夕焼けのオレンジが混じり始めたくらいの時刻。入道雲の端が、ほんのりと赤く染まっていた。


 詩と俺は、広がる一面の畑を眺めて居た。


 一面の畑と言っても、ここも青色地区だ。


 東京二十三区でいう所の港東区。かつて、この辺も日本有数の都市部だった。廃墟になった現在、それらのビルの屋上は、畑として再利用されていた(※注 違法に)。どのビルの屋上も畑に改造されているため、一見すると、一面の畑のように見えるのだ。


「すごいね」


 詩が呟く。空中庭園ならぬ、空中農園だ。トマト畑のその先に空が続いている様は、壮観かもしれない。違法だけれど。


「でも、何でわざわざ、ビルの屋上なの?」


 詩が至極当然の事を訊いた。


「土地が無いからだろうな」


 廃墟だらけの青色地区に、三百万から五百万の人間(※注 推定が大雑把なのは、余りに混沌としていて、政府も全容を把握できていないため)が暮らしているのだ。土地は足らない。


「後は、品種改良のおかげだな」


 足元のトマトを拾い上げる。一見トマトだが、トマトと呼んでいいのか自信が無い。痩せた土壌でも育つように、他の植物の遺伝子があちこちに組み込まれているはずだ。そんな継ぎ接ぎだらけの、ミュータント・トマトだ。

 

 結局、このトマトも本質的には、あのモグラと同じ異常進化生物だ。ただ、そう思われていないのは、その進化が人間の意図したものであって、有益だから。異常と正常の境目なんて、結局、そんなところだ。


俺達、律術士は、果たしてどちら側だろうか。


「しっかし、酷いな」


 周囲を見渡すと、収穫も間近だっただろう夏野菜が、地面に散乱していた。


 今朝、事務所にジャージを来た中年男性が駆けこんで来た。褐色で彫りが深く、南米系の顔立ちをしていた。そして、何故か詩の知り合いだった。詩は至る所に知り合いがいる。


 まあ、詩はこの見た目だから、「はじめまして」の前には人に好かれている。


 この中年ジャージ氏は、青色地区で農業を営んでいた(※注 違法)。しかし、最近、何者かに畑を荒らされるらしい。その退治が、俺達に舞い込んだ依頼だった。


「詩姉。やっぱり帰って良い?」

「ダメ! おじさん、困ってたじゃん!」

「だけどさ……」


 畑を荒らした犯人は、どうも人間ではないらしい。それどころか、普通の生き物なのかも怪しい。地面を見れば、「↓」のような足跡が無数に残されていた。ただ、そのサイズが異様に大きい。加えて、散乱した黒い羽。

 

 嫌な気分になる。


 確実に、異常進化生物だ。多分、鳥系の。


「ねえ。鳥って、野菜も食べるの?」


 詩が訊いた。


「カラスなんかは雑食だしな。野生のは木の実なんかを食べたりする。現に、こうやって畑は荒らされてるわけだし」


 ため息を吐く俺を後目に、詩は軽やかに、貯水タンクに登る。


「うん。遠くまで見える」

 と、呟いた。


「白か」


 見上げながら言うと、詩はスカートを抑えて、冷ややかな目で俺を睨む。


「変態」

「今更、何言ってんだよ」


 星川家では、洗濯は当番制だ。


「詩姉。何か見える?」

「んー、何も」


 貯水タンクの上から周囲を見渡して、詩は言った。こうして張り込んでいるが、黒い犯人は現れそうにない。暇だ。


「ねえ、証。前から気になってたんだけどさ、どうして、春ちゃんのこと、嫌いなの?」


 ふと、詩がそんな事を訊く。


「別に。何となく気に食わない」

「向こうは証の事、あんなに気に入ってるのに」


 詩は無邪気にも言う。


「何言ってんだよ。あいつは、俺の事なんか好きじゃないぞ」

「だって、わざわざ感謝状持って来てくれたんだよ?」

「好きだったら、わざわざ感謝状なんて持ってこないんだよ」


 沈黙。


 詩が理解していないようなので、俺は説明する。


「俺は春譜が好きじゃない。だから、俺はあいつに会うのが嫌だ。でも、春譜は会いに来る。つまり、俺が嫌がることを進んでやってる訳だ。春譜が俺を好きなはずがないだろ?」

「人の好意を素直に受け取れなくなったら、人間おしまいだと思う……」


 詩は真顔で言う。


「だから、好意じゃないんだって」


 また、会話が途切れた。


 畑荒らしの犯人は現れない。照り付ける西日に、目を細める。こうも暑いと、犯人も休業中かも知れない。俺はそんな下らない事を考えていた。だから、少しだけ気づくのが遅れた。


「詩姉。来てる」

「え?」

「あの背の高いビル」


 既に降り立っていた。人の背丈ほどある、黒い鳥。形だけは、ゴミ捨て場で見かけるカラスと同じだ。その怪鳥が、畑をぴょんぴょんと跳ねては、実った夏野菜を啄む。距離は有った。まだ、こちらには気づいていない。


「いつも通りに」


 詩が頷いた。


 俺は走り出す。


 ビルの縁。


 蹴り飛ばし、跳んだ。


 ビルが密集しているせいで、その間隔は広くない。


 夕焼けが、遥か地面に、俺の影を映す。


 まだ少しも行かないうちに、カラスが気づいた。


 この勘の良さ。


 嫌になる。

 

 怪鳥は飛び立とうとしていた。


 たわめた両翼を、振り解く。


 暴風が作物をなぎ倒し、怪鳥の巨体がふわりと浮く。

 

 もちろん、逃がすつもりなんて無いけど。

 

 俺のポケットにはヘアピンの束(※注 詩の提供)が入っていた。それを空中にぶちまける。瞬間、ヘアピンが次々と連結して鎖を成す。


 帯磁たいじ万象ばんしょうりつそう


 原子は磁力を持つ。しかし、あらゆる物体は原子から成るのに、必ずしも磁石ではない。それは原子の向きのせいだ。大抵の物質では、原子の向きがバラバラなので、磁力が打ち消し合ってしまうのだ。


 もしも、モノのバラバラな原子の向きが、偶然、揃ったとしたら。


 例えば、千個のサイコロを振って、全て一の目が出るように。


 万象律は、そんな偶然を引き起こす。


 人間の秩序と引き換えに、ヘアピンの原子が向きを揃える。


 今や、一つ一つのヘアピンは、即席の磁石と成っていた。それらが磁力で繋がり、鎖を編み上げる。鎖は、周囲の鉄屑を巻き込みながら、一直線、カラスへ伸びる。

 

 しかし、カラスの方が速い。


 黒い鳥は、殆ど垂直に飛翔する。

 

 伸びる鎖は、カラスの脚をわずかに掠めるばかり。 


 怪鳥は、勝ち誇ったように鳴く。


 しかし、甘い。


 くんっ、と鎖は宙空で軌道を変えた。訳も無い。磁力の向きを、ほんの少し変えるだけで良い。怪鳥も対応できなかった。鉄屑の鎖が、首に巻き付く。


「っおら!」


 背負い投げの要領で、鎖を引っこ抜く。


 カラスは懸命に翼を動かすが、虚しくも地面に墜ちた。


 ただ、そいつにとっては幸いなことに、落ちた先は畑の柔らかい土だった。鎖が解けた途端、足をたわめ、姿勢を低くする。飛ぶつもりだ。


「頑丈過ぎんだろっ!」


 ナイフを引き抜きざまに投げた。回転する黒い刀身は、円となってカラスに迫る。しかし、見切られた。彼がお辞儀でもするようにヒョイと頭を下げると、刃はその上を通り過ぎる


 カラスは飛び上る。


 重力を引きちぎり、一直線に空へ。


 瞬間、バラバラに千切れた。


 紅い血がバシュッと飛び散り、肉塊がボタボタと墜ちる。遅れて、黒い羽毛がふわふわと舞う。黒い雪のようだ。


 瞬閃の万象律


 黒い鳥を切り裂いたのは、ビルの間に張り巡らされた、極細の刃だった。


「……間に合ったか」


 俺が呟く。


 振り向けば、貯水タンクの上、詩が緋兎丸を抜いていた。


 風になびく亜麻色の髪。


 納刀。


 鞘に呑み込まれる寸前、刃が夕焼けを弾いて赤く光る。

 

 ふう、と詩が息を吐く。トンッ、と貯水タンクから跳び降りた。


「詩姉。お疲れ」

「うん。……それより、これ、どうしようか?」

「これな……」


 畑に散乱したカラスの死骸。というより、肉塊。


「……このまま放って置けば、肥料にならないかな?」


 結局、見なかったことにした。

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