第11話


 診察室の扉を開けると、漣が居た。


「な、なんだ。き、君か。ひひっ」

「金を持って来た」


 カラス退治の報酬で、今までのツケを払いに来たのだ。数枚の紙幣を渡す(※注 青色地区では、未だに紙のお金が幅を利かせていた)。それを受けとると、漣は渋い顔をした。


「どうした?」

「き、君の首を借金で、回らなくして、お婿さんにするつもりだったのに。ひひっ」

「その寝言、まだ言ってんのかよ」

「ひ、酷いなあ……。本気だよ? ひひっ」

「余計に質が悪いよ」

「ん? そ、そう言えば、詩君は一緒じゃないのかな?」

「ああ」

「シ、シスコンの君にしては、珍しい。ひひっ」

「だから、シスコンじゃねえよ」


 リンゴが、例の吐血少女に会いたいというから連れて来たのだ。今頃、リンゴは少女の病室に居るのだろう。


「そ、そうか……」


 一瞬、漣の表情に陰が差した気がした。


「どうした?」

「い、いや。そろそろ、往診の時間だと思ってね。ひひっ」


 彼女は、なにやら機材を、ポイポイと俺に押し付けた。


「お、おい。何だよ、これ?」

「し、診察に使う」

「は?」

「お、重いから持って。ひひっ」

「あ、おい」


 漣はふらふらと病室を出てしまった。仕方なく、彼女の後を追う。辿り着いた先は個人用の病室だった。中からは騒がしい少女の声が聞こえてくる。漣が扉を叩くと、その声がピタリと止む。


「し、失礼するよ」


 扉を開ける。病室に居たのは、例の脱走少女だった。ベッドの脇にはリンゴも居た。おりがみに興じていたらしい。破いた雑誌でできたツルが、白いシーツの上に散乱していた。


 寝台の少女は俺に気付くと、上目遣いで言った。


「ごめんなさい」

「何を謝ってるんだよ?」

「……この前の、いたずら」

「別に、怒ってない」

「ごめんなさい……」


 少女は俯いた。後半、ほとんど消え入るように言った。


「だから、怒ってはない」

「う、うそだよ」


 嘘ではない。そういう顔なだけで。リンゴが、少女の耳元でそっと何かを囁く。少女は口元を手で隠しながら、えっ、という顔をした。別に、慣れっこだけど。


 ふと、リンゴが寄って来て、言った。


「あかりは、かおのほかは、へいき」


 全く。お気遣い痛み入ります。


 それにしても、随分と意気投合したらしい。途切れることなく、ポンポンと会話が続く。囁き合う彼女たちの声と、押し殺したような笑い声。妙にくすぐったい。


「あ、あの子が、こんなに楽しそうに笑うのは、久しぶりだよ。し、しばらく、このまま。ひひっ」


 漣は、俺にだけ聞こえるように言った。俺も、漣にだけ聞こえるように訊く。


「あいつって何の病気なんだ?」


 一瞬、漣の表情が曇る。


「ひひっ。な、なかなか、難しい。む、難しいんだ」

「そうか」


 やがて、漣は言った。


「め、面会の時間はそろそろ終わりだ。こ、これ以上は、身体に障るから。ひひっ」

「もう少しだけ」


 少女は悲痛そうな面持ちで言った。しかし、漣は首を振る。


「だ、駄目だよ。し、診察もしないと」


 少女はリンゴに向かって尋ねる。


「ねえ。また来てくれる?」

「うん。ぜったい、くる」


 約束、と言って、少女たちは小指を絡めた。


 彼女が血を吐いたのは、その時だった。


 濃厚な鉄の匂い。


 これは悪戯ではない。


「い、いかん!」


 漣が真っ青な顔で言った。彼女は少女の静脈に、注射器で薬を打ち込む。


 俺とリンゴだけが病室の外に追い出される。しばらくして、漣も病室から出て来た。


「ミユは⁉」


 リンゴが、漣に抱きつくようにして問う。


「ぶ、無事だ……。い、今は眠っている」

「よかった」


 リンゴは安堵した。目の端には涙が溜まっていた。そんな彼女を見下ろしながら、漣は言う。


「リ、リンゴちゃん。証君と、二人にしてもらえないかな。は、話が有るんだ。ひひっ」


 こくこく、とリンゴは頷いて、駆けて行った。彼女の背中が曲がり角の向こうに消えたことを確かめてから、俺は言った。


「話って?」

「あ、ああ」


 どう話すべきか、漣は思案しているようだった。彼女は廊下の隅の長椅子にどっかりと座る。白衣の内側から取り出したのはシガレットケース。


「この病院、禁煙じゃねえのかよ?」

「き、禁煙だよ。わ、私以外は」

「とんでもねえな」


 親指で弾いて蓋を開けると、一本、口で咥えて取り出す。


「ん」


 漣はシガレットケースを俺に付き出す。


「俺は吸わないよ。知ってんだろ」

「そ、そうだったね」


 ライターで火を点た。煙が一本、ユラユラと揺れながら天井へ登っていく。漣は深く吸い込んだ煙を、ぷはーっ、と一気に吐き出した。


「それで、話って何だよ?」

「り、リンゴちゃんに、聞かせたくない」

「だから、何が?」


 吐き出したタバコの煙に続けて、漣の口から、こんな言葉が零れる。


「あ、あの子、もうじき死ぬ」


 沈黙。


 遠く、セミの声。


「……今、なんて?」

「あ、あの子は、死ぬ」

「何の病気だよ?」

「し、心臓が悪い。移植しないと、だ、だめだ。ひひっ」


 心臓の移植。

 その予想外の病気に、俺は思ったままを答える。


「全然、大した事ないじゃないか」


 数十年前ならいざ知らず、現在、心臓の移植は格段に簡単になった。


 臓器移植の最大の障壁は、免疫だ。他人の臓器が移植されると、人体はそれを異物だと誤解してしまう。結果、免疫系は移植された臓器を攻撃する。例え、その臓器が壊れたら、自身が死ぬとしても。皮肉にも、人体を守るはずの免疫が、臓器移植を困難にしていた。


 しかし、現在では違う。


 個人の身体から細胞を取得し、臓器を造り出すことができた。皮膚を少し削ってくれば、臓器を培養できる。元々が自分の身体だから、免疫系も攻撃しない。


 人工幹細胞と、臓器培養。日本の得意分野だ。医療系コングロマリットが中心となって開発した。


 メガネが壊れれば、メガネ屋に行って新しい眼鏡を作る。


 心臓が悪くなれば、病院に行って新しい心臓を造る。


 メガネと、心臓。


 二〇五九年現在、物と者の境界はどこまでも薄れゆく。


「移植で済むなら、死ぬような病気じゃないだろ」


 漣は頷いた。


「しゅ、手術さえできれば、ね……」

「どういう事だよ?」

「ま、麻酔が品薄でね」

「この病院が違法だからか?」


 煙を吐きかけられた。


「こ、ここは商会だって言ってるだろう。……ふ、普通の薬なら、訳ないんだけどね」


 曰く、日本では処方箋が必要な薬が、海外ではドラックストアで売られているなんて事はザラに有るらしい。薬事法が国ごとに違うからだ。金さえ有れば輸入できる。

 

 他にも、期限が近い薬品を、病院や業者から回してもらうという方法も有るらしい。もちろん、違法だけど。


「麻酔は何で駄目なんだよ?」

「か、簡単に悪用できるから。ま、麻薬は、レイプ・ドラックにもなる。ひひっ」


 確かに、抗がん剤の、がんの治療以外の使い道は、ちょっと思いつかない。しかし、麻酔はそうではない。


「そ、それに、入手ルートに、危ない連中が絡んでる。ひひっ」

「ヤクザか?」

「そ、そう。ヤクザの縄張り」

「今までは問題なく手に入ったんだろ?」

「さ、最近、外国から来たヤクザが増えた。か、仮にこいつらを「マフィア」とでも呼ぼうかひ、ひひっ」


 そう言えば、春譜も似たような事を言っていた。外国由来の犯罪シンジケートが増えているだとか、何だとか。


「マフィアは何が違うんだ?」

「や、ヤクザはね、その辺は寛容だった。何なら、麻酔を融通してくれたりもしたよ。ひひっ。彼らだって、病院が無いと困るから」

「マフィアだって同じだろう」

「ち、違うよ。全然違う。や、ヤクザにとって、青色地区は家だから。ひひっ」

「なるほどね」


 ヤクザは十年前から青色地区に居たし、十年後も居るつもりだ。だから、余計な敵を増やすことは好ましくない。


一方、海外産のチンピラからすれば、青色地区は「仕事場」にすぎない。一気に稼いで、後は逃げ出すだけ。だから、敵が増えようと問題は無い。この街の住人がどうなっても構わない。


「い、一週間後、柴浦ふ頭に麻酔が運び込まれる」


 十中八九、マフィアはそれを奪いに来るだろう。


「俺にどうしろと?」

「ど、どうしろとも言ってないよ。ひひっ」

「相談する相手を間違ってんだろ」

「あ、合ってるよ。詩君なら、すぐに引き受けてしまうからね。ひひっ」

「一応聞くけど、報酬は?」


 漣はニヤリと笑うと、顔の前でピースを作る。


「二百万?」

「に、二十万。ひひっ」

「無理だ」

「や、安すぎた?」

「当たり前だろ」


 マフィアを敵に回すなんて、正気じゃない。報酬と危険がまるで釣り合ってない。


「ひひっ。き、君なら、そう言うと思っていたよ」


 漣と別れて病院から出ると、リンゴが泣いていた。ビルの前の石段に腰かけ、うずくまるようにして泣いている。セミの声がシャワーのように降りかかる。


「どうした?」

「ミユ、しぬの?」

「ミユ? ……ああ」

 

 病室の少女の事だと思い至る。


「聞いてたのか?」

「きこえた」


 灰色の鳥打帽が、僅かに動いた。


「お前さん、それ……」


 俺は気が付いた。多分、彼女の聴覚は普通と違う。俺達よりも性能が良い。思えば、その兆候は有った。あの時、扉に隠れたユキに気づけたのも、恐らく、聴覚によるものだろう。

 

 リンゴの頭に載った獣の耳は、本当に獣のそれだった。


「抜かったな……」


 俺と漣の会話は、彼女に聞こえていたのだ。


 リンゴはジッと俺を見つめている。


 何と言って、この場を治めようか。


 俺は頭を振った。幾つか浮かんだ言い訳の言葉を追い払う。真剣なリンゴを見ていると、適当に誤魔化してしまうのは卑怯な気がした。


「無理だ」


 ただ一言、俺は言った。


「……たすけられないの?」


 リンゴが訊く。


「ああ。助けられない」

「わたしのことは、たすけてくれた」

「今回は死にかねない」

「あかり、でも?」


 リンゴが縋るように俺を見つめる。


「誰かを助けるって事は、そんなに簡単な事じゃないよ」

「ごめん……」

 

 リンゴはポツリと言った。項垂れる彼女に、俺は酷だと思いながらも釘を刺す。


「詩姉にだって無理だ。この事は言うなよ」

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