第9話 招鳥春譜《おきとりはるつぐ》

「あーちゃん。おかえりー」


 事務所に帰ると、見覚えのある奴が居た。そいつは応接ソファに腰を下ろし、麦茶を飲んでいた。グラスの氷が、からん、と音を立てる。向かいに座った詩と、歓談にふけっていたらしい。俺に向かって笑いかける。その爽やかな笑顔。鬱陶しい。


「帰れよ」

「一言目がそれ⁉ 酷くないですか⁉」


 今日、この顔を見るのは二度目か。一度目は新聞の見出しだった。何でも、最年少で律術士一級の免許を取り、自衛官として配属されたらしい。


「春譜。お前、何しに来たんだよ?」

「友達が会いに来たのに、何しに来たっておかしいですよね⁉」

「友達? 誰が?」

 

友達ではない。せいぜい、中学校の同級生という間柄だ。その頃から、やたらと俺に付きまとって来た。面倒な奴だったと記憶している。どんなに適当にあしらっても、こいつは懲りずに俺に絡んでくる。整った見た目とは裏腹に、気味の悪い奴だ。


「ほら、証。春ちゃんから、モナカ貰ったよ」


 応接机の上には、和紙で包まれた高価そうな菓子折りが置かれていた。しかし、既に半分は空だ。


「このモナカ、美味しいって評判なんですよ」


 春譜が言った。


「知ってる! 一度、食べてみたかったの」


 詩が答える。春譜の中性的な顔立ちと相まって、女の子が二人いるようにしか見えない。うるさい。


「詩姉、食いすぎんなよ……」

「相変らず不機嫌そうな顔してますね。友達できませんよ?」


 何が面白いのか、春譜が笑う。


「不機嫌そうじゃねえよ。不機嫌なんだよ」

「どうしてですか?」

「お前が来たから」


 不意に、背筋が凍る。


 この感覚、覚えがある。


 それは、殺気。


 しかし、何故。


 一瞬遅れて、殺気の出所が、春譜の後ろに控えた女性だと事に気付く。

 

 スーツ姿の彼女は、足をスッと揃え、背筋はピンと伸ばしている。手は柔らかく、下腹部で組まれていた。その立ち姿には気品すら感じる。歳は二十代半ば。整った精悍な顔立ちをしているが、それ故、近寄り難い印象を受ける。


「……さっきから気になっていたんだけど、アンタは?」

「自衛隊情報本部所属、松島三尉と申します。自己紹介が遅れて申し訳ございません」


 申し訳なさの欠片も感じられない、冷たい声で言った。


「星川証だ。軍人が、何だってうちの事務所に?」

「うん。ボクの上司」


 しれっと春譜が言った。


 足を組んでソファに座り、冷えた麦茶を飲む部下。

 

 一方、その後ろで姿勢を正す上司。


「お前、何だよそれ?」

「……お前、ですか。先ほどから、随分と親し気ですね」


 まるで親の仇だとでも言わんばかりに、憎々し気な声。それでも澄ました表情は崩さない。それが却って、凄みを醸し出す。普通に怖い。何だよ、この人。


「松島」

「はい」

「構わない。彼は友人だからね。ですよね?」


 違う、と言ってやりたかったけれど、無言で笑うだけにとどめる。多分、その笑いは引き吊っていた。


「彼女は、ボクが小さい頃から、うちに仕えてくれています」


 なるほど。それで、この待遇。


「自衛官を私兵扱いかよ」


 皮肉を込めて言ってやると、春譜は笑顔で受け流した。


「招鳥を守る事は、国を守る事ですから」


 舌打ちでもしようとして、止めた。松島さんが怖い。


「それよりお前、何しに来たんだよ?」

「それはもちろん、あーちゃんに会いに」

「はあ?」

「だって、自衛官になってから、会うの初めてじゃないですか。自衛隊情報本部所属、招鳥春譜曹長です」


 春譜は得意気な顔で、敬礼なんてして見せる。


「……自衛官ってのは、よっぽど暇らしいな」

「まあ、それは冗談ですけどね」

「冗談かよ」


 春譜のこういうところ、嫌いだ。


「一応、任務の一環ですよ。松島」


 松島が俺の前に歩み出る。その威圧感に、思わず身構えた。しかし、意外なことに、差し出されたのは表彰状だった。


「……何だよ、これ?」

「昨日、高校生助けたでしょ? モグラ型の異常進化生物を倒して。その感謝状です」


 よくよく文面を見れば、確かに、その事が書かれていた。詩に渡してやる。彼女はそれを眺めると、複雑そうに笑った。


「役に立ったのかな? 私たち」

「まあな」


 しかし、気になる事が有る。


「昨日の今日だろ。流石に早すぎないか?」

「あーちゃんに会いたくて、持ってきちゃいました」


 春譜がニコニコと笑う。


「……持ってきちゃったって、大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。だってボクは、招鳥ですよ?」


 実際、日本経済が回っているのは、招鳥を始めとする医療系コングロマリットのおかげだ。東京エリアにそびえ立つ白亜のビルは、文字通り、この国の屋台骨だった。春譜のワガママくらい、どうとでもなるのだろう。


「あーちゃん、不機嫌そうですね」

「よく分かったな」


 俺とは対照的に、春譜は嬉しそうだった。


「ここのところ、忙しくて。こうでもしないと、君と会う時間が作れませんでしたから」

「それはご苦労なことで」


 その時、春譜が立ち上がった。


「じゃあ、目的も果たしたので、ボクはここら辺でお暇させてもらいます」

「モナカ、ありがとう。また遊びにおいで」


 詩が言った。


「はい。また寄らせて貰います」

「いや、来んなよ」


 という俺の言葉は完全に無視しながら、二人は言葉を交わしていた。笑いながら。


「あ、そうそう」


 去り際、春譜が振り向いた。


「まだ何か有るのかよ?」

「一つ、忠告を」

「何だよ?」

「最近、青色地区に、妙な連中が増えているみたいです。恐らく、海外に母体を持つ犯罪シンジケートです。要は海外産のヤクザですね。青色地区で活動をするのであれば、くれぐれもご注意を」


 バタンと閉まったドアを、俺達は見つめていた。

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