第8話 「ありがとう」の意味

 俺達は目的の場所に辿り着いた。


 ひょろりと細長いビルだ。ひび割れた壁面と、そこから這い出した草木。青色地区では、珍しくも無い建物だ。しかし、消毒液の匂いがする。それにも関わらず、看板には「水浪みなみ商会」の文字。リンゴは明らかに怯えていた。


「大丈夫だ。取って喰われたりはしねえから」


 ビルの中に踏み込む。


 仕切りのないワンフロアに長椅子が並んでいた。過剰なくらいに利いた冷房と、消毒液の匂い。塗装の剥げた壁や、剥き出しの配管を除けば、そこは市街地の病院と変わらない。


 青色地区には、正規の医療を受けられない人間なんて幾らでも居る。


 戸籍を持たない者や、犯罪者、不法入国者などだ。だから、彼らの受け皿となる病院が存在した。もちろん不認可だ。わざわざ「商会」を名乗っているのも、そこら辺が理由だった。

 

 診察室に通される。


 そこには、白衣を羽織った女性がいた。年の頃は三十手前。茶色のショートボブ。目鼻立ちは整っているのだが、眼の下濃い隈が、それを台無しにしている。あと、胸が大きい。


 水波みなみ)れん。この商会を切り盛りしていた。


「だ、誰かと思えば、証君じゃないか。う、うちは美容整形はやって無いけど、な、何の用だろう?」


 そう言って彼女は、ひひひっ、と笑う。


「ご挨拶だな」

「そ、そう言えば、き、君の記録、塗り替えられたみたいだね」


 差し出された新聞は、二週間前のものだ。一面には「新・最年少律術士誕生」という文字が躍っていた。わざわざ取って置いたのか。


 その新最年少律術士は、名前をおきとり春譜はるつぐといった。


 俺が一級律術士の資格を取ったのは、中学最後の春休みだ。十五才と十一ヶ月。一方で新聞の彼は、十五歳と半月で資格を取ったらしい。


「か、彼は、なかなかの好青年だね。ひひっ」


 暗めの茶髪と、すっと真っ直ぐ伸びた鼻筋。そして、人好きする爽やかな笑顔。彼も詩と同じだ。一目で、他人に好かれる外見をしていた。


「お、おまけに、お金持ちだというじゃないか。ひひっ」

「招鳥の跡継ぎ候補だっけ?」

「そ、そうだよ。ひひっ」


 招鳥、と言えば、子供でも名前を聞いたことが有るだろう。日本を支える四大医療系コングロマリット。その一角を占める。


「に、苦虫をかみつぶしたような、顔をしてるね。ひひっ」

「元々こういう顔なんだよ」

「そ、そうだっけ? ひひひっ」


 そもそも、俺とは住む世界が違いすぎて、何とも思わない。


「じ、自衛隊に配属されたらしいよ。情報本部。ひひっ」

「じゃあ、高校は?」

「そ、早期卒業。だ、大学まで。ひひっ」

「それにしても、情報本部って……」


 諜報でもやらせるつもりか。万象律が使えれば、色々と出来そうではあるが。


「おや? き、君の事も、書いてある」


 漣の示す文章を見る。確かに、「俺が律術士を取ったニュースは励みになった。ぜひ、会ってみたい」という趣旨の文章が書かれていた。


「ま、負けてるね。色んな意味で」


 漣は新聞のモノクロ写真と、俺の顔を見比べて言った。


「うるせえな」

「そ、そんな傷心中の君には、特別良く効くお薬を、処方してあげよう」

「何だよ?」


 ひひひっ、と笑ってから、得意げな顔で漣は言った。


「お、お姉さんの膝枕」

「悪い。吐き気に効く薬、くれるか?」

「うん。失礼だな。ひひっ。……ん? んん⁉」

「な、何だよ?」

「こ、ここの所、立て込んでいてね。少し、疲れが溜まっていたみたいだ。き、君の後ろに女の子が見えた。ひひっ。君が女の子を連れているのなんて、あ、あり得ないのにね」


 俺の背に隠れていたリンゴに気付いたらしい。


「いや。居るけど」


 瞬間、漣が白衣のポケットから端末を引っ張り出す。慌てて、取り落としそうになりながらも、通話機能を呼び出す。


「ひゃ、ひゃ、ひゃくとうばん。お、おお、お巡りさん。こ、この人です。ひひっ」

「誘拐じゃねえよ!」


 リンゴを事務所で引き取ることになった経緯を説明する。ただ、彼女の耳については伏せておいた。


「……な、なるほど。そ、それは大変だったね。み、水浪漣だよ」


 漣はそう言って、おずおずと右手を差し出す。顔はやや下に向けて、チラチラとリンゴの方を伺う。握手のつもりらしい。明らかに挙動不審だが、漣の場合はこれで平常運転だ。


 リンゴは差し出された手を取らなかった。


「リンゴ」


 それだけ言うと、下を向いた。帽子を深く被り直す。


「ひひっ。可愛らしい子だね。あ、証君に何かされてないかい?」

「しねえよ。それより先生。こいつの足、見てやってくれよ」


 リンゴは不安そうに、俺を見上げた。


「大丈夫。腕は確かだよ」


 医師免許を持っていないだけで。

 

 結局、漣も重度の捻挫という診断を下した。全治一ヶ月程だという。俺とは比べ物にならない手際の良さで、テーピングを施していく。


「こ、これで大丈夫」


 リンゴは警戒しながらも言った。


「ありがと」


 それだけ言って、俺の後ろに隠れてしまった。俺は彼女を、先に待合室に行かせる。


「ふ、二人きりで、何の話だろう?」

「……言いにくいんだけど、診察料は」

「ひひっ。わ、分かってる。か、貸しにしておくよ」

「悪いな」

「い、一応、一筆書いて。ひひっ」


 漣がメモ帳を一枚破ると、即席の借用書を作る。


「これ、高すぎないか?」

「レ、レントゲンのせい」


 仕方なく、俺はそこに自分の名前を記す。漣が朱肉を差し出すので、拇印も押してやる。


 完成した借用書を顔の前に掲げて、漣はにやにやと笑う。お菓子のおまけで、目当ての獲物を引き当てた子供のようだ(※注 こいつは三十手前だけど)。あまりに嬉しそうなので、俺は思わず訊いてしまう。


「何だよ?」

「き、君の首を、借金で回らなくして、お婿にする。ひ、ひひっ」


 チラリ、チラリ、と俺の事を見ながら恐ろしい事を言う。


「絶対に払う。内臓売ってでも払うからな」

「ひ、ひひっ。幸せに、するよ?」

「ほざいてろ」

「し、シスコン」

「そんなわけねえだろ」

「じ、自覚無いの? ひひっ」

「有るわけないだろ。そもそもシスコンじゃない」


 漣は借用書を白衣のポケットに仕舞う。


「こ、これで五枚目だね」


 俺が顔をしかめる。


「じ、事務所は相変わらず、儲かっていないのかな? ひひっ」

「ああ」

「じ、事務所家業なんて、や、止めれば良いのに」

「止めてどうすんだよ?」

「ど、どうにでもなるよ。君の才能なら。ひひっ」

「才能ね……」

「き、君の成績なら、跳び級もできるはず。す、好きな大学にだって入れる。その才能で、いくらでも成り上がれる。ひひっ」


 ふと脳裏に浮かんだのは、青い空の下、厳めしくそびえ立つ白亜の塔だった。


「興味無いね」


 俺は言った。




 待合室に戻ると、部屋の隅っこにリンゴが居た。文字通り隅っこだ。不安そうに、周囲の様子をせわしなく伺っている。


「お前さん、椅子に座ってれば良いのに」


 リンゴは首を振る。


「……おかね、ない?」


 不意に、リンゴが訊いた。


「まあ、そうだな」


 突然だったせいで、思わず肯定してしまった。


「いや、お前さんが気にする必要はねえよ」


 と付け足しておく。リンゴが頷いた。


 おかしい。俺は彼女に、金に困っている事を教えていない。詩だろうか。いや。彼女がわざわざ、リンゴに気を遣わせるような事を言うとは考えにくい。


 俺達の暮らしぶりがそれほど酷かったのか。


「昨日のカレーは悪かった。今日はもう少し、マシなものを作るよ」

「おいしかった」

「え?」

「また、たべたい」


 あのもやしカレーを美味いと言う彼女が、不憫に思えてきた。


 俺達が帰ろうとした、その時だった。


 目の前に、少女がふらふらと歩み出て来た。歳はリンゴと同じくらい。入院患者だろうか。白いパジャマを着ている。移動式の点滴を、杖替わりに掴んでいた。色白で、薄幸という言葉が似合いそうな少女だ。


「はじめまして」

 

 唐突に、彼女が言った。リンゴは俺の後ろに引っ込んでしまう。


「お、おう」


 俺が答えると、彼女はうっすらとほほ笑んだ。


「お兄さんは、何度か見たことがある。……後ろの子は、初めて?」

「ああ。お前さんは、長いのか?」

「うん。なかなか退院できないんだ」


 唇を尖らせて言う。


 なるほど。大方の事情は把握できた。長引く入院生活で、退屈を持て余した彼女は、歳の近いのリンゴを見つけて声を掛けたのだろう。そうだとすると、無下にあしらうのも悪い。


「なあ、リンゴ?」


 肩越しに後ろを覗いてみると、縮こまったリンゴがいた。話したくないです、と全身を使って表現していた。


「……悪い。こいつ、ちょっと体調が良くないんだ。また機会が有ったら、話し相手になってくれよ」

「うん。分かった」


 そう言って、少女ははにかむ。

 

 そして、両手で口元を抑えた。


 大量の赤い液体を吐き出す。


「はあ⁉」


 吐き出された液体が床に落下した。ビシャッと周囲に飛び散る。


「……お、お前さん、大丈夫か⁉」


 くらり。


 そんな擬音が似合いそうな動作で、彼女は床に倒れ込んでしまう。


「お、おい! しっかりしろ!」


 リンゴなどは驚きの余り、壁際までサッと後退していた。待合室も騒然としている。患者達は遠巻きに様子を伺うばかり。かく言う俺も、どうすれば良いのか分からない。


「先生! 大変だ!」


 助けを求めて叫ぶだけで精いっぱいだった。


 勢いよく診察室の扉が開く。漣が飛び出して来て、


「つ、捕まえて。は、早く」


 そんな意味不明な事を言う。


「あんた、何言って――え?」


 一瞬遅れて、少女が居ない事に気付く。赤い血の跡が残るばかり。視線を上げれば、あの病弱そうだった少女が、脱兎のごとく駆け去って行く所だった。


「は?」


 ピタリ、と少女が足を止めた。振り向くと満面の笑み。大きな声で叫ぶ。


「お馬鹿さん! 引っかかった!」


 なるほど。


 俺達は悪戯ドッキリに引っかかったみたいだ。赤い液体はインクか何かだろう。血液特有の生臭さが無い。


 横を見れば、リンゴは未だに事態を呑み込めず、オロオロと辺りを見渡している。彼女の気弱そうな感じが、カモとして選ばれた理由かもしれない。


「あ、証君! は、早く!」


 漣が、駆け去って行く少女の背中を指さして言った。


「はいはい」


 答えながら、俺は既に駆けだしていた。


 少女は階段を駆け上がる。


 全力で追った。


 しかし、


「……見失った」


 寸前まで、目の前を走っていた少女の姿が無い。


「なあ、あんたら。今、ここに女の子が走って来なかったか?」


 近くに居た患者に話しかける。しかし、首を振った。やがて、漣も上がって来た。


「い、いた?」

「悪い。見失った」

「そ、そうか」

「何なんだよ、あいつ?」

「……た、退屈なんだろうね。……と、時々、ああやって、いたずらするんだ。ひひっ」

「悪趣味だろ……」


 その後、手の空いている看護師と、歩ける患者が手分けをして吐血少女を探し回る。どうやら、彼女はいたずらの常習犯だったらしい。誰もが、またか、といった様子で少女の事を探す。しかし、見つからない。やがて、諦めかけた雰囲気が漂い始めた頃だった。


「あの、おんなのこ、さがしてる?」


 いつの間にか、隣にリンゴが居た。


「あ、ああ」

「いるよ」

「何が?」

「あの、おんなのこ。こっち」


 案内されたのは、階段の踊り場だった。その片隅に、段ボールが無造作に積まれている。其中に、幾つか空の段ボールが有った。


「だ、誰が、いつの間に置いたんだろう? ひひっ」


 空の段ボールだけを退けてみれば、その奥に扉が有った。消火器や消火ホースを収めるスペースらしい。しかし、流石は青色地区。空っぽだった。代わりに、人間が一人入れる程の空間が有った。そして、実際に一人、入っていた。


「こんな所に……」


 俺が少女を見失ったのは、彼女がこの扉に逃げ込んだからだった。


「ほら。お前さん。遊びは終わりだ」


 俺が言った。


 しかし、返事が無い。


「お前さん、どうした?」


 少女は胎児のように身体を丸めていた。良く見れば、小刻みに震えている。漣が駆け寄って言った。


「いかん! 発作だ!」



 漣の素早い処置で、少女は一命を取り留めた。今は落ち着いて、冷房の効いた病室で、ベッドに寝かされている。彼女は発作のせいで上手く呼吸が出来ず、自ら隠れた扉の中、助けを求められずにいたらしい。


「馬鹿な事をしたな」


 俺が言う。


「ご……」

「ご?」

「ごべんなざあいー!」


 少女は泣き出した。ボロボロと大粒の涙を零しながら、ワンワン泣く。その盛大な泣きっぷりに、俺とリンゴは顔を見合わせる。その時、腹に鈍い衝撃。少女が、俺に飛び付いて泣いていた。よく聞き取れないけれど、「ごめんなさい」と「ありがとう」を繰り返しているようだ。どうでも良いけど、俺のシャツで鼻水を拭くのは止めて欲しい。


「……お前さん、礼なら、こいつに言えよ」


 背後に隠れていたリンゴを引っ張り出す。再び引っ込もうとする彼女を押しとどめながら、俺は言った。


「リンゴが気付かなきゃ、お前さんは見つけられなかったよ」


 少女が泣き止む。リンゴと目が合った。数瞬、見つめ合う二人。


「ありがとう!」


 少女がリンゴに抱き着いた。彼女はリンゴの胸に顔を埋めながら、ありがとう、と言って泣く。抱きすくめられたリンゴは、困った顔をしていた。


「ねえ、あかり」

「ん?」

「ありがとう、ってなに?」


 ふと、リンゴはそんな事を訊く。


「ありがとう?」


 俺は思わず繰り返していた。


「うん」

「……そりゃ、ありがとう、って事だろ」


 我ながら答えになっていない。リンゴが首を傾げる。


「お前さん、本気で訊いてんのか?」

「うん」

 

 リンゴの様子を見て、俺は彼女の戸惑いの理由に思い至る。きっと彼女は、ありがとう、と言われたことも、言ったことも無い。

 

 当然だ。何故なら彼女は、獣の耳のせいで、人を避けるように生きていたのだから。誰かに感謝したり、感謝される機会なんて無かった。


 リンゴにとって、その言葉は外国語と変わらない。俺がhaveとtakeの微妙なニュアンスの違いを理解できないように、リンゴは「ありがとう」を理解できない。俺はため息を吐いた。


「なあ、リンゴ。昨日の夜、詩に助けられただろ?」

「うん。だきしめられた」

「嬉しかったか?」

「うん」

「そういう時、ありがとう、って言うんだ」


 リンゴが、ジッと俺の事をみる。


「ありがとうって、いわれたの? わたしが?」

「ああ」

「そうなんだ……」


 リンゴは戸惑いながら、自分の手の平を見た。その手が、そっと、泣きじゃくる少女の背中を撫でた。それは無意識だったのか。リンゴはしばらく、少女の背中を撫でていた。

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