第7話 白亜の街

 熱気と、ベタ付く汗で目が覚めた。冷房はゴウンゴウンと景気よく音を立てているが、いかんせんオンボロなので、吐き出す風は生温い。革張りのソファは、身体との間に熱気が籠る。おまけに固い。寝心地最悪だ。

 

 時刻は朝の七時。カーテンを開けると、青空が広がっていた。突き抜けるように青い夏の空。そして、白い入道雲。最悪な寝起きを嘲笑うかの如く、爽快な光景。本日も夏は絶好調に夏のようだ。


「お、おはよう……」


 いつの間にか、リンゴが起きていた。所在無さげに立つ彼女を、ソファに座らせる。


「うたは?」

「寝てんだろ。詩姉、朝は弱いから」


 トーストと目玉焼という簡素な朝食を用意する。


「食えよ」


 手を付けようとしないリンゴに、俺は言った。


「……くれるの?」

「当たり前だろ」


 その言葉を聞くなり、彼女は凄まじい勢いで、食物を口に詰め込んだ。リスか。


「誰も取ったりしねえから」

「ごめんなさい」

「別に、謝る事でもないけど」

「ご、ごめんなさい……」


 彼女は、常にビクビクとしていた。長年のスラム暮らしで染み付いてしまったらしい。今すぐどうにかなる問題でもない。


「それじゃあ、病院へ行くぞ」


 リンゴが朝食を食べ終えると、俺は言った。


「え?」

「お前さん、足を怪我してるだろ」

「でも、きのう、なおしてくれた」

「あんなの応急処置だよ。治したうちに入らない」

「いや」


 彼女は怯えた目で俺を睨む。考えが分かり易くて、結構だ。


「心配すんなよ。病院っていっても、青色地区の病院だ」


 半ば無理矢理、リンゴに顔を洗わせる。ついでに歯も。それから、彼女に鳥打帽を被せてみる。彼女の頭より一回り大きいが、耳が有るから返って丁度良い。


「あとは、服か……」


 詩の部屋に入ると、彼女はぐーすかと盛大に寝息を立てていた。へそが丸出しだったので、タオルケットをかけてやる。俺は詩のクローゼットの中から、白いワンピースを見つけた。


「これ、借りるぞ。問題が有るなら言ってくれ」


 すーすー、と寝息が返って来た。


「おーけー。問題無いんだな」


「……いいの?」


 不安そうにリンゴが訊いた。大丈夫、と受け合いながら、ワンピースを渡す。


「これなら、サイズが大きくても、多少は誤魔化せるだろ」


 引きずっていた裾は、安全ピンで留めてやる。


 リンゴをスクーターの後部座席に積み込む。しばらく走ると、青色地区を出た。路面が滑らかになる。スクーターの進む先、純白のビルが幾つも、天を衝くようにそびえていた。


 その時、服をギュッと引っ張られた。


「……びょういん、あおいろちくだって」


 ミラー越しに背後を見れば、リンゴが俺の背中にしがみついていた。片手で帽子を抑えながら俯く。


「通るだけだよ。こっちの方が早い」

「…………」

「大丈夫だよ」

「……ひとが、たくさん」

「大丈夫だ。多すぎて、誰もお前さんの事なんか見てない」

「ほんとう?」

「耳だって隠れてんだろ?」


 リンゴは恐る恐る、顔を上げた。


「……ここが、とうきょう?」

「ああ」


 右手を見れば、半分廃墟の街。左手には、世界有数の高層ビル群。隣り合った区だというのに、まるで別世界だ。行きかう大量の自動車。俺達の隣を、巨大なトラックが追い越して行った。ビクリ、とリンゴが身構える。頭上をモノレールが通り過ぎた。空を仰げば、航空機の白いシルエットが見える。


「すごい」


 溢れんばかりの物と者。リンゴは圧倒されていた。


「お前さん、こっち側に来たいか?」


 つまり、青色地区の外側に。


「やだ」


 即答だった。予想はしていたけれど。


 やがて、スクーターは青色地区に戻る。途端に、路はガタガタに変わった。両脇にひしめくのは鉄やコンクリートのビルではなく、樹だ。森特有の湿った匂いがする。


 ここは江戸河区。海抜が低く、加えて二つの河川に挟まれている。


 そのため、大雨が降るたびにゴミが流れつくのだ。堆積したプラスチックゴミは、やがて、土に還る。だから、この近辺は土壌が厚い。おかげで樹々が生い茂り、森のような様相を呈していた。


「知ってるか? 昔は、プラスチックは腐らなかったんだ」

「そうなの?」

「プラスチックを食べる細菌がいなかったからな。もっと昔は、樹だって腐らなかった」

「き、も?」

「昔って言っても、四億年くらい前だけどな。その頃は、樹のリグニンを分解できる細菌がいなかった。だから、枯れた樹は長い間そのままだった。そうやって積み重なった樹の死骸が、石炭の原料になった。……悪い。喋り過ぎた」


 しかし、予想外の答えが返ってくる。


「すっごく、おもしろかった。もっと、ききたい」


「え? あ、ああ。……それで、シルル紀に入ってようやく、樹を分解できる細菌が

進化した。樹が腐るようになったのは、それからだ」


「すっごく、おもしろかった。もっと、ききたい」


 なるべく分かり易く、掻い摘んで説明する。


 樹が地球上に現れてから、それを分解する細菌が現れるまで、数千万年はかかった。だけど、プラスチックが出現してから、それを分解する細菌が現れるまでは、僅か数十年だ。進化はこれほど早く起こらない。当然、人間の仕業だ。元々、石油の中でだけ生存する細菌が確認されていた。その細菌の遺伝子を組み替え、プラスチックを分解する細菌を造り出した。


 世界中に撒かれたプラスチック分解細菌に毒性は無いとされている。しかし、これが異常進化生物の原因なのでないか、と考える学者もいる。


「おもしろかった。もっと、ききたい」


 おかしい。さっきから、それしか聞いていない気がする。


「お前さん、言わされてないか?」

「うたに、いわれた。きのう、おふろで」

「何て?」

「あかりが、よくわからないことを、しゃべりはじめたら、「すっごく、おもしろかった。もっと、ききたい」っていっておけば、よろこぶって。あかりはは「おたく」だから」

「詩姉……」

「でも、すごいね。あかり、あたまがいいんだ」

「たくさん知っている事と、頭が良い事は違う。知識なんて幾らでも詰め込める」

「どういうこと?」

「知る事は誰にでもできる」

「わたしも?」

「そうだよ。お前さんが青色地区から出れば、幾らでも学校に通える。高校までは義務教育だしな」


 バックミラー越しにリンゴと目が合う。彼女は首を振った。


「やだよ。にんげんがたくさんいる」

「お前さんだって人間だろう」

「でも、にんげんには、みみがないよ」

 無意識だろうか。彼女は帽子を被り直した。



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