第8話 幼馴染として…なのか?

 どれくらい藍子を抱きしめていただろう?藍子の身体から力が抜けて僕にその身体を素直に委ねているから、僕もそのやつれた身体が折れないように、でも僕の手から抜け出さないように微妙な力で抱きしめ続けた。


「ねぇ。琉生って私のこと好きだった?」


僕の背中の方で藍子の声がした瞬間、僕の力は一気に抜けた。僕の腕から解放された藍子は、今度はまっすぐ僕の目を見て言った。


「琉生って私のこと好きだった?」


その目は、冗談ではなく真剣に聞いてるんだから真剣に答えろと言っているようだった。僕は迷った。幼馴染として好きなことは間違いない。いつまでも一緒にいたいと思っているのも事実だ。でもこれが恋愛感情なのかと聞かれたら、即答で「そうだ」とは言えなかった。


 僕は、藍子のことを恋愛対象として見たことがあっただろうか?思い返しても、今まで自分がしてきた恋愛とはまるで違う感覚だから、恐らく恋愛感情はなかったような気もした。


しばらく黙っていた僕に、藍子は


「私、なんか困らせてる?」


と聞いてきた。


「いや…困らせてはいないけど、僕が勝手に困ってるだけだ」


何を言ってるんだ?僕…困らせてないけど困ってるって意味分からん。それを聞いた藍子は、


「琉生は私のことが好きなのかと思ってた。いじめても、ちょっかい出しても離れていかないから」


と笑いながら僕に背中を向けるように向きを変えて言った。僕は、


「多分、幼馴染として一緒にいるのが心地良かったんじゃないかな?」


と答えてしまった。藍子の体が一瞬固まり、横顔が一瞬曇ったのを僕は見逃さなかった。

〈もしかしたら藍子は僕のことが好きだったのか?男として?だとしたら僕の今の答えは大間違いじゃないか!〉

僕は内心、失敗したと後悔していた。でも次の瞬間藍子は、


「なるほどね。幼馴染として好きだったのか。私、勘違いしてたかも。琉生は私のことが好きで、私に誰か付き合う人がいたらヤキモチとか妬いてくれるのかと思ってた。どおりで、あの日彼に会っても平然としてたわけだ。私のうぬぼれだったわ」


と笑いながら言った。

〈僕は本当に幼馴染としてしか藍子を見ていなかったのか?〉

頭の中ではこの言葉が何度も繰り返されていた。


 藍子の笑い声がやんでしばらく沈黙が続いた。藍子は急にその場に座り込んで、下を向いたまま動かなくなった。いや、正確には、小刻みに震えていた。

〈泣いてる?〉

藍子のその様子を見た僕はそう感じた。こういう時に僕は気の利いた言葉が浮かんでこない情けないやつだ。今までも気の利いた言葉が出て来ないせいで何度も振られてきた。とはいえ今は何か言わなくちゃいけない気がしていた。


「結婚式で、僕が藍子を奪って逃走したらどうなる?」


僕は自分でも驚くセリフが飛び出したというのに、心はやけに穏やかだった。穏やかというより、もしかしたら本気で奪おうと思っていたのかもしれない。その言葉を聞いた藍子は一瞬ピクリとした。そして、ゆっくりと顔を上げた。やはり泣いていた。顔を上げたあとでも涙は止まらず流れていた。


「奪ったりしたら、結婚なくなるかな?私、お父さんや琉生と連絡取れなくなるの、ホントに嫌なんだよ。なんで、結婚するだけで家族や幼馴染とまで連絡を絶たなくちゃいけないの?そんなしきたりがあるなら、もっと早く言えばいいのに…結婚が決まってからそんなこと言われたって…」


珍しく藍子の口から自分を悲観する愚痴ではなく、明らかに彼氏に対する不満の愚痴が漏れた。さすがに、今回ばかりは藍子には非はない。藍子自身どう考えても自分が悪いとは思えなかったのだろう。


 そんな藍子を見ながら、僕は


「結婚、なくなるかもしれないけどそのあと僕たちが考えてるような常識が通用しそうにない気がする。なんか、さっきの結婚に当たっての注意事項みたいのだって普通じゃないし。藍子に危害が加わるなら、それはイヤだからなぁ」


と言った。藍子の顔はさらに悲しそうな顔で、


「だよね…もう結婚をやめることはできないと思う。言われた通り早く子供を産んで、私の役目を終わらせない限りはこの結婚を終わらせることはできないんだよね」


と言った。そんな顔を見て僕は、心臓が何かに強くつかまれたような痛みに襲われた。


 この痛みは、なんだ?幼馴染として…?本当に幼馴染として好きなだけなのか?藍子のこんな辛そうな顔をみてても僕にできることはないのか?僕の本心は、どう考えているんだ?…と、僕の頭の中は、心臓の痛みと藍子の悲しそうな顔とでぐちゃぐちゃになってしまった。うまく整理できない…そんな感じだった。


〈幼馴染として…なのか?イヤ、これは違う!僕は藍子のことがずっと前から好きだったんだ!女として、とっくに恋愛してたんだ!〉


僕の頭はそう結論に達した。

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