第5話 就職と大学進学と運命の出会い

 4月になった。

藍子は1日から内定が決まっていた会社に就職した。自宅から車で20分ほどの距離にあるその会社に通うため、藍子は高校時代に教習所に通い、高校を卒業してすぐに運転免許を取っていた。大学受験出来なくなった瞬間、就職するなら運転免許を持っていた方がいいかもしれないと考え、すぐに教習所に通ったのだ。


 どうして藍子はいつだって気持ちをすぐに切替え、次の行動がとれるのだろうか?僕には到底できない技だった。藍子がスーツを着て車で颯爽と出掛けるのをベッドの上に座り、窓から見送った僕は、同い年のはずの藍子がずっと大人に見えてしまった。

改めて、別々の人生を歩むことを思い知らされた瞬間だったのかもしれない。


 僕の大学は8日が入学式だったので、藍子の入社からちょうど1週間後だった。僕は漠然と選んだ大学で4年間を過ごし、どこかの企業に就職することになるのだろう。高校を選んだ時には、藍子と同じ高校ってだけであの高校を志望校にした。大学は、藍子と同じところは残念ながら僕の成績では受験資格すらなかったので諦めた。


 結果的には、将来僕は大学が最終学歴になり、僕よりはるかに頭のいい藍子が高校が最終学歴になるという何とも皮肉なことになった。完全にすべてを藍子に抜かされ敗北感を味わったが、ここで何となく優位に立てたなんて、藍子にとってはどうでもいいことをふと考えてしまった。僕は心が狭いな。


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 藍子も僕もそれぞれの道で新しい生活が始まった。

藍子の配属先は資材管理部という部署らしい。高卒と言うだけで華やかな部署への配属がなくなるとは聞いていたが、あまりにも露骨すぎて驚いた。資材管理部という部署は地下にあるらしく、昼間でも日の光は入ってこないらしい。営業や製造が在庫の中から必要な製品をそこに発注すると、藍子たちの部署の人がすべてを揃えて発注してきた部署へ届けるという仕事らしい。


 藍子の能力ならば、もっと華やかな、例えば経理なんかだって余裕でこなせるはずなのに。藍子が大学受験出来なかったことを、僕はかなり悔やんでいたがきっと藍子は僕のようにいつまでも過去を悔んだりはしていないのだろうな。


 ちなみに僕は、昔から好きだった理化学を専攻した。

といっても、将来何になりたいかなんて、この時の僕には微塵もなかったが。そんな僕とは対照的に藍子は与えられた仕事を効率よくこなしていたらしい。社内での評判はたちまち上がり、入社1年目でその会社が扱う製品すべての在庫置き場を把握したらしい。


 会社では重宝され、連日残業をしていたみたいだが、それでも大卒者たちより給料は低かったらしい。これは、ちょうど入社2年目の昇給時に藍子と一緒に飲みに行った際、珍しく藍子が愚痴ったことだ。相変わらず「私の能力がもっとあったらお給料だってもう少し上がったのかもしれないなぁ」と自分の能力のせいで昇給が思ったほどなかったという愚痴だ。


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 そんな愚痴を聞いてすぐくらいに、藍子は会社の他部署の人と付き合い始めた。その人は営業で、発注の際の藍子を見て好意を持ったらしい。藍子がその人のことを好きだったかどうかは、付き合いたての頃は「自分でもどうなのか分からない」と言っていた。


 付き合い始めの頃、お父さんは以前勤めていた会社を早期退職していてずっと家にいる日々だった。藍子はしばらくお父さんに交際のことは言えずにいた。ただ、頻繁に帰宅が遅くなったことをお父さんが気にし出し、残業後に食事に行ったり飲みに行ったりする相手がいるとだけ伝えてあった。


 この頃はお父さんも料理を覚え、自分のものは自分で作れるまでになっていた。お母さんが生きていた頃には、こんな日が来るなんて誰も想像していなかっただろう。お父さんは料理に関して、意外に相性がいいことを知り、自分なりにアレンジすることもあったようだ。


 藍子はそんなお父さんを見て、ようやく自分のペースで生活ができるようになっていたのかもしれない。同じ家にいながら食事の時間もメニューも別々の生活ではあったが、親子の関係が悪いかといえばそうでもなく、それぞれが自分の生活を楽しんでいた時期だったのかもしれない。


 でも交際を始めた藍子は、ちっとも幸せそうに見えなかったのは気になっていた。

今思えば、藍子の交際とは、僕が知っている交際とは程遠いものだったのだが、それは後で分かることだった。”たられば”じゃないけど、この時事情を知っていたら、僕は藍子に相手と別れるように伝えられたかもしれない。僕が止めてれば、藍子の運命は変わっていたかもしれない。


 そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。

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