裁定を下すは人

【貸家】

 家に帰った者はみな口をつぐんでいた。

 お祭り気分で出て行ったこの家の者たちは、意思消沈して帰って来たのだ。


 誰も口を開こうとしなかった。

 夕食の時間になっても誰も動こうとしなかった。

 それでもお腹は空いてしまうものであり、誰かが料理を作るとそれに釣られて他の者もやってくる。

 和気藹々とした空気はなく、ただ淡々と料理という作業をこなしていた。


 料理が出来上がり、机に並べる。

 もしかしたらと思って、10人分の食器を用意する。

 黙々と食べ、空席の料理だけがそのままになっていた。


 誰かが言った。


「どうしよう」


 誰も答えられなかった。

 こんなこと、学校の授業じゃやらなかった。


 ただ一人だけ、口を開いた。


「…とにかく、変なことだけはしないようにしよう」


 皆の視線が一人に集まる。

 何かあった時、何かを起こす時に必ずその場にいたクラスメイトだ。


「僕らが暴力に訴えたところで意味がないよ。それどころか、水城さんの立場が悪くなるだけだ」


 それくらい、ここにいる全員が分かっていることだ。

 だが、その分かっているはずのことを本当に理解している者はどれだけいるだろうか。


「あっちの世界でもあったはずだ。ニュースで報道されていたはずだ」


 全員が遠い記憶を思い出し、解決策を探る。


「…デモ?」

「そうだね。ただ、ここは日本じゃないから大人の人にも話を聞いてみよう」


 やるべきことが見つかったからか、クラスメイト達の顔色が少しよくなった。

 ただ一人、目も顔も変化しなかった者を除いて。




【広場】

 朝早くから多くの人達が集まった。

 ハナミズキの集まりと、それを応援している人々だ。


 ハナミズキの皆は抗議したいと大人に相談しているが、それを止められてしまった。

 その抗議によって、他の者達も天秤にかけられる可能性があるからだ。

 無論、余程のことがなければ天秤にかけられることなどない。

 しかし、実際に天秤にかけられそうになっている女子がいるのだ。

 『もしかしたら』という恐怖のせいで誰もが怖気ついていた。


 ならば嘆願ならばどうかと誰かが言う。

 『彼女にそのつもりはなかった』

 『あんなに良い子なんだから、話せば分かってくれる』

 『もう一度チャンスを与えてみてはどうか』

 これならばオオガネ教としても批判には繋がらないだろうと。


 だがそれでも多くの人は躊躇った。

 それも当然のことだ。

 『もしかしたら』という恐怖は、それほどのものなのだ。


 結局のところ、ハナミズキの集まりだけが教会へと嘆願しにいった。

 エヴァンさんに会わせてくれと、釈明をさせてくれと、せめてこの教会に閉じ込められている彼女に会わせてくれと。

 だが、シスターはその願いを聞き入れなかった。

 その権限が無いからだ。


 ただ、彼らのリーダーである彼女の現状については伝えることを許されていた。

 ある一室に閉じ込められてはいるものの、そこまで不自由はさせていないと。

 確かに彼女は大きな罪の疑いをかけられているが、まだ裁きは下っていないからだ。


 あなた達が来たことを伝えることはできる、何か伝言があるなら聞こうとシスターが言う。

 それを聞いて皆が思い思いの言葉を伝えようと迫ってくる。

 あまりの勢いにシスターがたじろぎつつ、明日も来ていいということを伝える。


 それを聞いたハナミズキの集まりは喜んだが、これはエヴァンから言われたことであった。

 『もしも彼らが教会に来ても無碍には扱わないように。嘆願や伝言なども許可する』

 シスターは真鍮の位を持つ彼が何を考えているかは分からなかったが、そこで自分で思考することを止めた。

 少なくとも彼らがここに来るためにはお布施が必要になる。

 ちょっとした小遣い稼ぎのようなものだろうと思っていたのだ。




【教会内】

 真鍮の役職、エヴァンは用意された部屋で仕事をしていた。

 天秤を行使するとなると、それなりの準備が必要になるからだ。


 ちなみに彼は彼女を処刑するつもりはなかった。

 今でも取り込む気でいるのだ。


 ならばなぜ天秤などという大袈裟なものを引っ張り出したかといえば、力の差というものを見せるためであった。

 彼らはまだ若い、教会の持つ力というものを理解していないのだろう。

 力を持つものは、より大きな力の流れに巻き込まれて流されるものだ。

 彼らの持つ力が大きいがために、我らという濁流を呼び寄せてしまったのだ。


 毎日飽きもせず教会へ彼女への伝言を願う彼ら、そして街の人々がいた。

 本来、関係のないはずの人たちもそれに加わっているところを見ると…なるほど、彼女の人徳なのだと得心した。

 これこそがエヴァンの狙いであった。


 天秤の儀式の折には、彼女にある選択肢を突きつけるつもりであった。

 すなわち、己の過ちを認めるか、断罪されるかだ。


 過ちを認めるならば、その証明としてオオガネ教にて贖罪を。

 断れば…いや、そこまで愚かではないだろうと考える。

 彼女達は生死を賭けてまで何かを成そうとしている者ではない、目を見れば分かる。

 ならば、命がかかっている状況になれば助かる方へと流されるものだ。


 そして彼女を許すことで、民衆の求心力をも集める。

 人々に願われ、望まれる彼女を救うことで、我らの慈悲深さを心に植えつけるのだ。

 だからこそ、多くの者から嘆願に来てもらいたい。

 人が関われば関わるほど、我らの慈悲を乞う者が増えるのだから。




【教会前】

 天秤の儀式が始まる二日前、事件が起きた。

 子供達が教会の屋根にあるモニュメントに傷をつけ、ステンドガラスも割ってしまったのだ。


 子供達の言い分としては『教会の悪い人にミズキおねーちゃんが捕まっている』というものであった。

 大人と違って真っ直ぐな批判になりえるものだと判断されるかと思われたが、厳重な注意だけで済んだ。

 何故なら祭りの日にエヴァンが行った演説のせいであった。


「これが無知な子供であればまだ温情の余地はありました」


 彼のこの言葉により、子供に対しては強く出られないのだ。

 まさか被害が出てからその言葉を翻すなど、恥知らずだと喧伝するようなものである。


 モミュメントについては塗装し直せば大丈夫だろうと考えていた。

 だが、新しいステンドグラスの用意にはかなり時間が掛かることは確実だ。

 天秤の儀式は教会内で執り行うのだが、今のままではあまりにも見栄えが悪い。

 延期すべきかどうか迷っていると、ある商家の者がやってきた。


 曰く、教会の前でするのはどうかと。

 そのための設営なども依頼してみてはどうかという打診をしにきたのだ。

 シスターが自分だけで判断できるはずもなく、上司となるエヴァンに話をしにいった。


 結果的にその話は通った。

 儀式の延期は極力避けたいことと、値段が適正だったこと、そして教会内で執り行うよりも多くの人々がその場に来られるという理由が大きかったからだ。

 話がまとまると、商家の者はすぐにその準備のために戻っていった。


 そしてその商談を取りまとめている間に、教会にいる信徒の一人がモニュメントの塗装を行おうとしていた。

 塗料を持って倉庫から出たのだが、そこで一人の男子とぶつかる。

 それは今話題になっているハナミズキの集まりの一人であった。


 彼は急いでいたせいでぶつかってしまったことを、何度も頭を下げて謝った。

 こぼれた塗料の掃除も手伝い、もしも塗料が足りないのなら自分が弁償するとまで彼は言った。


 幸いまだ倉庫に予備があるので大丈夫だと信徒は言うが、それならお詫びのためにも自分が手伝うと言う。

 何度も頭を下げる彼を不憫に思い、塗料を運ぶ手伝いだけをお願いしてしまった。


 倉庫で塗料を探し、それを教会の鐘がある場所まで持って昇ってもらい、作業を手伝ってもらった。

 結果的に普通よりも早く仕事が終わったおかげで信徒は彼に感謝を述べた。

 それでも彼は自分が悪かったのだと何度も謝り、その場から去っていった。


 そういえば何か用事があったんじゃないかと不思議に思ったが、他の仕事もあったのでそのことは頭から次第に消えていった。




【審判の日】

 その日は多くの人が教会の前へと集まった。

 ただの見物客もいれば、儀式に連れて行かれる女子を味方する人もいる。


 儀式そのものは外野からの声がありながらも粛々と進行していった。

 彼女の味方が声をあげて許しを請う。

 大声をあげて彼女の素晴らしさを謳う。

 それでもなお儀式は進んでいく。


 暴れそうな観衆が立ち入らないように、神殿騎士達は道を塞いでいる。

 いざ彼らが乱入しようとしたところで、その全てを地面に叩き伏せる暴力が守護していた。


 儀式の終盤、遂に裁定が下ろうかとしている時にそれに待ったをかけた者がいた。

 あろうことか、この天秤を画策したエヴァンである。


「これほど多くの者から慈しまれている、そなたの無事が祈られている。我が信心が揺るぎそうなほどに」


 喧騒に包まれていた裁定の場が、どよめいた。

 つまり、この裁定を覆えさせられると彼が言ったのだ。


「これほどの者達に望まれているあなたを裁くことは大きな損失になりうる。ならば今一度、神の慈悲が与えられるべきか問いましょう」


 突然ことに誰もが混乱していた。

 人々にとって、天秤というものは絶対のものであった。

 それを真鍮の位を持つ者が、慈悲で覆そうとしているのだから。


「汝…これまでの行いを省み、贖罪の機会を願うか?」


 エヴァンが問うが、彼女の喉から声が出なかった。

 先ほどまで自分がどのような目にあうのかと震えていたのだが、突然助かるかもしれないという事実に動揺しているからだ。


「皆があなたが助かることを望んでいます。これを無碍にすることは、大いなる過ちとなるでしょう」


 他の者達の思いを無駄にするのか、そう言われて断れる彼女ではない。

 そもそも、断ることに何のメリットもないのだ。

 彼女が折れることは当たり前のように予測できることであった。


「あなたが贖罪を求めるならば、一つの罰を持ってこの裁定に幕を閉じましょう」


 そう言って彼は隣にいた騎士から腰に刺してあった棒を引き抜く。

 つまり、この棒での一打で全てを許そうというのだ。


「わ、分かりました…」


 彼女はその提案を飲み、わずかに頭を垂れた。

 そして、大いなる裁きともいえる大きな音がこだました。


 裁定は下された。

 その場には、潰れた裁定人の体が遺された。

 文字通りに、裁きが下されたのだ。

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