22話目:反宗教家タダノくんの覚醒

 それから数日後、勤労の祝祭としてオオガネ教によるお祭りが開かれた。

 大雨でも降れば中止になっただろうにと思いながらも、本日も快晴であった。


 水城さんの衣装についてはなんとか間に合った。

 様々な生地を使って色と花を主張するものだが、所々おかしかったりする所も見受けられた。

 だけど、そこは機転をきかせて花で隠すことにした。

 自分達で作った衣装だからこそ、簡単に衣装に穴を開ける決断ができたようだ。


 白を基調した衣装で、所々に花を模した色の刺繍も入れられている。

 そこに飾りつけた本物の花も合わさることで、どちらもよく映えるものとなっている。


「凄いな、まるでプロみたいだ!」

「そうでしょー。これでも演劇部で衣装を自作してたりしたからね」


 D子さんは演劇部だったのか。

 それなら腹芸なども出来るかと考えたが、演技が上手いのと腹芸が巧いのは別もののような気がするのでダークサイドに引き込むのはやめておくことにしよう。


 皆で教会に行くと、シスターからその日の予定を教えてもらった。

 水城さんの出番は後半なので、しばらくは遊んでいてもいいとのことだった。

 それを聞いた皆はお祭りということで大はしゃぎだった。


 一方、僕の気分は最悪な状態に叩き落された。

 皆でまとまってお祭りを楽しむとしても、バラバラになって楽しむとしても、誰かがおかしな言質を取られそうで怖かったからだ。


「あ、私はピアノの準備があるから」


 流石に多くのお客さんが来るからなのか、水城さんはピアノの調子を見ておきたいようだ。


「それじゃあ僕と…美緒さんも一緒についていっていいかな?」

「私も? 別にいいけど」


 恐らくエヴァンさんが僕らに接触してくると思うのだが、誰を狙ってくるかが分からない。

 だけど、一番まずいのが水城さんだ。

 うっかりキリスト的な洗礼でもされたら後には退けなくなってしまう。

 僕一人でも水城さんの護衛は足りているかもしれないが、シスター・ルピーから女性同士の話を持ち出されて分断されてしまうと手出しできなくなる。

 そういう場合に備えて、僕の考えを少しでも知っている美緒さんにフォローをお願いしたかった。


 皆と別れてからピアノの調子を確かめている水城さんの側にいると、知り合いの人達が声をかけてきてくれた。

 パン屋のフィーネさん、タイラーさん、街の子供達もだ。

 皆が水城さんの演奏を心待ちにしているようだった。


 他にも小腹を満たすために買い食いしたり、衣装の最終調整なども行った。

 流石に着替えなどは手伝わなかった。

 それでも心配だからと更衣室の外にいたのだが、美緒さんからおかしな言葉が飛んできた。


「…むっつり」

「うぇっ!?」


 待った、どうしてそういうことになったのだろうか。

 別に覗いてもいないし、おかしな行動も取っていないつもりだ。

 あれか、扉の一つ向こうで女子が着替えているだけで興奮するような男子だと思われているのだろうか。

 それは心外だ、世の男子のほとんどはそれで興奮するものだ。

 ただ、僕はエヴァンさん恐怖症のせいでソワソワしているだけなのだ。


 下手に弁明すると墓穴を掘りそうなので顔を一生懸命に横に振ることで否定したが、美緒さんから返ってきたのは信じられないという意思が込められたジト目である。



 しばらくして、水城さんの出番がやってきた。

 僕が驚いたのは、この間にエヴァンさんからの接触が無かったことだ。

 お礼を兼ねてこちらに話しかけてくるだろうと思っていたのだが、そういうのは一切無かった。

 何か予定外のことでも起きたのか、それとも僕が見てない所で何かを仕込んでいたのか?


 頭を悩ませながらも曲を聴くために席に着くと、後ろから肩を叩かれた。

 エヴァンさんは貴賓席にいるため、違う人だ。

 誰かと思い後ろを向くとコートと三角帽子を被っている人、つまりエヴァンさんが連れて来た暴力装置の人である。


 予想外の出来事に、一瞬呼吸が止まってしまう。

 何も悪いことは…いや、バレるような悪いことはしてないのにどうして僕に接触してきたのだろうか。

 混乱する僕のことを意に介せず、その人はジェスチャーで来るようにとこちらに伝えてきた。

 わざわざ僕だけを指名して呼んだのだ、何かあるには違いないと思いながらその人に着いていくことにした。



 教会内の奥にある通路に行くと、水城さんの曲が聞こえてきた。


「曲が始まりました。用があるのであれば、手早くお願いしたいのですが」


 本当なら用事があっても明日にしてほしいと言いたいところだが、一応はオオガネ教が主催しているお祭りに僕らが参加しているという体裁だ。

 こちらからあまり強く出ることはできない。


「その前に、一つ聞く。エヴァン様についてどれだけ知っている?」

「…どれだけも何も、ほとんど知りません。真鍮という役職を持っており、結構偉い人であるということくらいしか」


 僕がそう言うと、その人は三角帽子を取って顔を見せる。

 その顔には痛々しい傷跡が残っていた。


「あの人は若くして真鍮の位となっているが、上にはまだ青銅や白銅がある。あの人はそのために様々な施策を施している。何故だと思う?」

「それを教えるためにあなたが話しているのではないのでしょうか」


 ばっさりと相手側の会話を切る。

 こうやって自分達の情報を喋っているように見せているが、実際は喋りたいことしか喋らないものだ。

 僕が知りたい情報と、向こうが喋りたい情報は別なのだから。

 とはいえ、なにかしらの手掛かりが欲しいのが本音だ。

 こういう同情をひこうとしている話では、基本的に嘘はつかないはずだ。

 だって嘘だと分かればそれまでに蓄積した同情という感情が裏返り、一気に騙されたという悪感情に変換されるのだから。


「貧困の改善、弱者の保護、画一的な幸福だ。意外だったか?」

「世界征服とかだったら面白かったんですけどね」

「そこまで夢想家ではないよ。あの人は現実として叶えられる境界線をしっかりと見定め、それを叶えようと努力しているのだ」

「充分に神の領域に手を突っ込もうとしているようにしか思えませんが…」


 建前なのか、それとも本気なのか。

 どちらにしてもあまり関わりあいたくないタイプの人のように聞こえる。


「全ての問題を解決できるとは思っていないだろう。だが、それでも救われる人がいるならば意味があることだ。それとも、解決できなければ全て無意味だと考えているのか?」

「その辺りは人によると思います。僕からすれば関わり合いにならなければどちらでもいいと思っていますが」


 人による…人と人との間で諍いが発生する根幹的な問題である。

 人の価値観は千差万別だ。

 自分が許容できることでも、他の人が許容できないということはよくある話だ。

 僕の父さんと母さんもそういうことがよくあった。

 しかも、お互いがその溝を埋めようとして言葉を重ねているのに、余計に溝が深まっていったのが皮肉であった。

 二人とも僕の前では良い父親と良い母親であった。

 だけど、良い両親であったことを見たことはなかった。


「これから先、多くの苦難が待ち受けているだろう。その試練を乗り越えるためにも、あの人には手を取り合える味方が必要なのだ」

「そのために、わざわざ首都からここまで来られたのですか?」

「キミたちは若い。だが、若いからこそ分かり合えると思っている。特別な何かを持っている者同士としてな」


 特別、なんていい言葉だろうか。

 僕がまだ中学生だったらころっと騙されてたかもしれない。

 自分が世界の中心であり、自分の見聞きしたものだけが世界の真実なのだと思い込んでいた時期ならば。


 だけど、数年前にそんなものは無いことを思い知らされている。

 両親が別居し、僕だけが溝に取り残されていたあの日に。

 その報せを聞いて、寝込んでしまったお婆ちゃんに何もできなかったあの日に。

 もしも本当に僕が特別な存在だったというのなら、どうしてあの日に誰も助けられなかったというのか。


「キミ達の力を、あの人は必要としているのだ。この国に住まう人々のためにも、腹を割って話をしてみてはどうか」

「僕のような若輩者にそこまでの過分なお言葉、気持ちが引き締まるような思いです」

「ならば」

「ですが、残念ながら僕は…そして水城さんは、救世主<イケニエ>なるつもりはありません。他を当たってください」


 人の世を救う、それがどれだけ難しいことかよく知っている。

 恐らくこの世界で一番知っていると言ってもいいかもしれない。

 だから僕は突き放すように言う。


「貧困の根絶も、幸福の均一化も不可能です。やるならもっと現実的なものに見据えたほうがよろしいかと」

「この国に広まっているオオガネ教という信仰の力。これを以ってしても不可能だと?」

「無理ですね。賭けてもいいです」


 場が静まり、相手は僕を見定めるような目で見つめている。


「…そこまで断言するとは、キミには何が見えているのだ?」

「ざっと、二千年ほどの歴史でしょうか」


 キリスト教というものが誕生して、人類は救われたのか。

 いや、西暦前から宗教というものが存在して歴史がどうなったのか。

 僕はこの世界の人達よりも、それを熟知している。


 信仰によって人が救われる場合もあるだろう、助けになることもあるだろう。

 だけど、貧困や不幸の特効薬には成り得ない。


 宗教が原因で戦争が起きたり、人が死んだりしている。

 僕はそれでも宗教が悪いものだとは思わない。

 問題は、人間なのだ。


 宗教だろうが、倫理だろうが、道徳観だろうが、それを手にして武器にするのが人間だ。

 人間が進歩しないかぎり、その仕組みは変わらないのだ。


 それが両親を助けるために宗教にすがりそうになり、倒れてしまったお婆ちゃんを助けるためにそれについて調べた僕の宗教感だ。

 だからこそ僕はこの世界で宗教家であるよりも、宗教屋になることを選んだのだ。


「…キミの目には何が写っているかは気になるが、それを見るのは次の機会にしておこう。私の役目は終わった」


 気がつくと既に演奏が終わっており、ピアノの音が止んでいる。

 だが会場のざわついた声がここまで聞こえている。

 どうしたんだ、何があったんだ。


 慌てて駆けつけると、そこには水城さんの腕を掴んでいるエヴァンさんが見えた。


「皆様、お聞きになりましたでしょうか?彼女は今、我らがオオガネ教を間違っていると断言いたしました!」

「えっ! そんな、私そこまで…」


 水城さんが何か言おうとするが、エヴァンさんの声量に打ち消されてしまっている。

 どうしてこうなったのかは分からないが、少なくともよくない状況であることは確かだ。

 急いで彼女の元に駆け寄ろうとするが、その行く手をコートを着た神殿騎士達に防がれる。


「これが無知な子供であればまだ温情の余地はありました。しかし、彼女はまだ若いながらも立派な大人…オオガネ教を否定するということはこの国の根幹を否定するということになります!」


 強行突破は無理だ。

 ならば股下をくぐって向こう側に行こうとするが、行動を読まれていたのか片手で地面に押さえ込まれてしまう。

 声を出そうにも、口に手を突っ込まれたせいで何も喋れない。


「彼女は本当に悪なのか、それとも唆されたのか、そして救われるべきなのか。それを確かめるために、天秤を用意しなくてはなりません!」


 僕は口の中に突っ込まれた手を思いっきり噛むが、それでも手は離れなかった。

 なので、そのままアゴごと地面に叩きつける。

 僕のアゴの力と地面に叩きつけられた衝撃によって生まれた力で手が噛み千切れるほどの痛みがあったのか、なんとか口の中の手を引っ込ませることに成功した。

 だが取り押さえられた手足は一向に自由にならない。


 そんな僕を心配したのか、フリンさんが慌ててこちらに駆け寄ってきた。

 僕を押さえ込んでいる人を押しのけて、僕を地面から持ち上げてくれた。


「おい、タダノ! どうしたお前!」

「…フリンさん、天秤ってどういう意味ですか?」

「あ、あぁ…天秤ってのは簡単にいえばその者の罪を計るってことだな。つまり、どれだけ天秤が傾いたかによって、処遇が決まるってことだ」


 最悪だ、ここは日本じゃない。

 政治と宗教が混在している世界なのだ。

 こういう事態は予測できていたはずだ。


「その処遇って、どういうものですか?」


 だが、オオガネ教は財貨を基にした宗教である。

 罰金やなにかしらの懲罰程度ならまだ何とかなるかもしれない。


「…天秤ってのはよっぽどのことがない限り用意されないものだ。つまり、処刑の可能性もある」



 その言葉を聞き、僕の目の光は失われた。

 全てが暗闇に覆われたような錯覚に襲われた。


 その漆黒の闇の中で、僕の心が怪物に飲み込まれるのを感じた。

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