死と幸せ

 丁度、その雑貨屋の隣は全国チェーン店系列のパスタ屋さんになっていて、彼女は黙ってあたしをそこに連れていった。連れていったっていう表現が正しいのかは知らない。視線であたしを呼んで、振り返って、頷いた。彼女は店員に二人だと告げ、指示された席に私たちは座った。店内は広く、喫煙席と禁煙席も分かれていて、ついでにお客さんも少なかった。窓からは駅とペデストリアンデッキが一望できて、それがポストカードか何かみたいに綺麗だった。


「ドリンクバー、二つ」


 彼女は綺麗な声でそう言って、店員が繰り返す言葉にも何の反応も示さなかった。それから退屈そうにくるくると毛先で遊び始める。あたしはどうしたらいいのかわからず、背筋を伸ばしてしゃんとしていた。


「ねえ、なんで切ったの?」

 彼女は手を止めて真っ直ぐにあたしを見た。頬杖はついたままだった。

「え、知らない」

「知らないのか。そうか」


 彼女はそう言ってまたくるくると毛先をいじって、もう一度真っ直ぐにあたしを見た。

「な、何?」

「精神に異常をきたしてる人には見えないなって。もしや、夢遊病とか?」

「それは違う。そういうことじゃない」

 そう、と答えた。彼女は本当に、あたしに興味がなさそうだ。自分で連れてきたくせに。少しだけ、むっとした。


「切りたくなったから切っただけよ」あたしは冷たく言い放った。「それだけ」

「どうして切りたくなったの?」

「知らないわよ」

「自分なのに」

「自分のことなんて、知ってどうするの? 気持ち悪い」

 言った。つい言ってしまった。本心。自分なんて、知らない。自分探しなんて、知らない。なにそれ。何だっていい。状況に流されて、生きてく。それが一番、楽。


「幸せなのね」

 彼女は初めて笑った。綺麗な笑顔だった。笑いなれた人の顔だ、と思った。あたしは対抗して笑ってみせる。「うん」と頷く。

「あたしもね、すごい幸せ」彼女は頬杖を突きながら言った。「努力しなくても周りに誰かが居て、何かしたわけじゃないけど友情があって、あたしは生きてるだけなのにあたしのこと好きだって言う人がいるのよ」

「ふうん、すごい幸せだね」

「うん」

 あたしたちはよく似ている。今の状況に、何の不満もないこと。不満を持たないこと。幸せだとわかっていること。

 普通に生きている。友達が居る。両親がいる。あたしが手首を切ったと言ったら、きっと心配してくれる。


「でもね、時々その全部が大嫌いになるの。うざいなあって感じるの。ああ、でも誰にも言わないよ。口にも出さないし、そんなに悩むわけじゃないの。でもね、なんか笑っちゃうの。全部が全部、馬鹿らしいなあって。そういうときなぁい?」

「ないよ」

「あるでしょ。わかるよ」

「あるかもしれないけど、あたしはそんなあたしのことは知らないし知りたくないから、あたしじゃない」

「ほら、一緒」

「一緒じゃないよ」

「一緒だよ」

「そう」

 鏡を見ているのかもしれない。あれは汚いあたし? 違う。あたしはあんなに綺麗じゃない。うそ、あたしなんていない。


 彼女を見てるとイライラする。この場所にあたしが手首を切ったカッターがあったら、あたしは彼女を刺すだろう。

 彼女が居なければ。

 手首を切るだけ?

 乱される。壊されそう。怖い。彼女がどこか愛しくて、彼女をただ殺したい。



 結局二人でコーヒーを一杯ずつ飲んで、その店を後にした。二人でリストバンド売り場へ向かう。あたしは結局、逃げなかった。

「ね。お互いに選ぼうよ」

 あたしは頷かなかったのに、彼女は何も言わずに選び始める。黒いまっすぐな髪が映った。その髪に触れてずっと撫でていたかったし、引っ張って引き裂いてやりたかった。

「お互いに選ぶなんて……どうして」

 勝手に声が漏れていた。あたしじゃないあたしの声だと思った。彼女はそっと振り向いた。

「もう二度と、会わない記念だから」

「会わないの?」

 あたしじゃないあたしは。彼女に少し好意を寄せていたらしい。

「世界には自分に似た人が三人居て、その人に会うと死んじゃうのよ」

「似てないよ。似てない」

 長い髪も、笑顔も、容姿も。瞳も、鼻も、眉も、手も、胸も。きっと、内臓も。心臓も。鼓動の音も。

「似すぎだよ。精神が」

 精神なんて、見えないじゃない、とあたしは言えなかった。

「じゃあ、今日は? 今、会ってるじゃない」

「今日は特別」彼女は笑って、自分の手首を指差した。「ほら、今日は二人とも死んでるから」


 明日になったら、あたしたちは生き返る。それぞれの場所で、周りの人々に笑顔を振りまくだろう。彼女はあたしじゃない誰かに。あたしは彼女じゃない誰かに。 

 あたしは黙って、黒に薔薇の模様が入ったリストバンドを選んだ。彼女はそれを見て「私、ロリータじゃないんだけどな」と苦笑いする。

 彼女は黄色のサイドに黒のラインが入ったリストバンドを選んだ。「工事現場みたい」と言うと「実際工事中じゃない」と言って笑った。

 真ん中に大きく髑髏が描かれている。左手が彼女で、右手があたしだと思った。

 生きてるなんて、とても、言えない。

 


 手は振らなかった。彼女の後姿を見つめたら、なぜか涙が零れそうになった。

 手元に残された、リストバンド。あたしはそれをつけて生き返るだろう。


 そうしてきっとあたしは、これから定期的に、左手に住む彼女を殺し続けるのだ。

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生きてるなんてとても言えない 御厨みくり @mikuri76

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