一つくらいは

 事件から数日。俺は未だに寝床に固定されたまま身動きもままならない生活を強いられていた。といっても傷の回復は順調で、獣に噛まれた割には変に傷口が膿むようなこともなく、日々回復を実感している。

 自宅ではなく西野邸で療養している俺がなかなか寝床を離れられない理由は怪我そのものではなく。


「あーん、です」


「いやあの、腕は使えるから自分で」


「いいえ、お兄ちゃんの怪我はわたしのせいです。傷が治るまでしっかりお手伝いさせて頂きますから、遠慮なさらないでください。はい、あーん」


 口元に差し出されたスプーンには今日の昼食であるオムライスが一口分乗っている。

 そう、俺が自分で何かしようにも、西野が万事この調子なのだ。いつぞやコンプレスとマザーの親バカあーん大会に辟易したのを思い出す。


 ……まぁ、美少女中学生に毎日甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは悪い気はしないんだが。とはいってもさすがにトイレまでついて来ようとするのはどうにかならないものか。足の方はまだ歩くと痛みがあるので自力で移動できないのが辛い。それをわかっているからか、西野は俺が移動しようとすると率先して俺から用件を聞き出し、なるべく自分が動こうとするのだ。


 気持ちは嬉しいのだけど、あんまり世話になってばかりというのも居心地がいいとは言えない。俺の世話を焼く西野を見る度にマザーさんや西野の爺さんがニコニコと微笑ましいものを見る目を向けてくるのが気恥ずかしくもあるし、ある程度は自分でやらせてほしいんだけどな。


「はい、口を開けてください。あーん、ですよ」


 何だかんだ、流されて口を開けてしまう俺も悪いんだけどね。

 繰り返し口元に差し出されるオムライスをもぐもぐやりながら、数日前の事件の顛末に思いを馳せる。


 正直、気分のいい終わり方ではなかった。


 ワイルドガウンはあのまま意識を取り戻すことも無く死亡した。せめてもの情けということで、俺たちは匿名で遺体を見つけたことだけを通報して現場を後にしたが、死亡記事は一部の雑誌に小さく掲載されただけで、ほとんど話題にならなかった。話題にならなかったのは、どういうわけか遺体がその地位を失ってから消息不明になっていたワイルドガウンだという情報が伏せられていたせいでもあるだろう。もっとも、死後にまで不名誉な笑いの種にされるくらいなら、闇に葬られた方が本人も嬉しかったかもしれない。


 グリーンミストの件については俺たちの他にはスミカ先輩、事情を説明したマザーさんと西野の爺さんしか知らない。スミカ先輩は一応ワイルドガウンとの繋がりを洗ってみるとは言っていたが、役立つ情報は恐らく見つからないだろうと予め釘を刺されている。


 バルクガールとの因縁については、西野の爺さんにも尋ねてみたが詳しいことは知らないらしい。本人に確かめるのは……時期を見て、ということで先延ばしにしている。


 すぐにでも事情を聞いてみたい気持ちはある。だが、あの晩に俺を抱きしめて、というよりは俺にしがみつくようにして震えていたバルクガールのことを思い出すと、興味本位で軽々しく口に出すことが憚られるのだ。


 結局、終わってみれば今後の問題ばかりが残った事件のような気がする。


 しかも解決の糸口が見えないどころか、問題そのものすら煙に巻かれて判然としない。実にスッキリしない結末だ。


「お兄ちゃん?」


 思考に耽って口が止まっていたらしい。スプーンを差し出したまま、西野が心配そうに覗き込んでくる。


「すまん、ちょっとぼーっとしてた」


「大丈夫ですか? やはりまだお体の調子が」


「違う違う、体調は悪くない。西野がこうして世話してくれてるしな」


「なら、いいのですが……心配事ですか?」


「……心配事というか、何が心配かわからないというか」


「大丈夫ですよ」


 漠然とした形容しかしていないのに、西野は微笑んで大丈夫だという。こいつはこいつで、やっぱりよくわからないヤツだ。グリーンミストがどうとか、そういう事情を脇に置いたとしても、その言動は理解し難いときがある。


 どうにもこいつは、無条件に俺を信用し過ぎている。それ自体は決して嫌ではないのだが、その理由が判然としないせいで、少々据わりが悪いのだ。


「なにが大丈夫なんだ?」


 だから聞いてみる。こちらから歩み寄れば、見えてくるものもあるだろうか。


「今回はお兄ちゃんの正義が、事件を解決しました。わたしとスミカさんとを繋いだのもお兄ちゃんの正義で、ワイルドガウンを降したのもお兄ちゃんの正義です」


 西野の目にはそう見えているらしい。実際のところ俺たちを繋ぎ合わせたのはスミカ先輩だと思うのだが……まぁ最終的な提案をしたのは俺だけど。


「だから大丈夫です。お兄ちゃんが正しいと思うことは、きっと本当に正しいとわたしは信じています」


 随分ぶっ飛んだ意見だ。けど、やっぱり悪い気がしないからタチが悪い。

 無条件且つ全幅の信頼に応えるというのはかなりの重荷だが、やりがいはある。どちらにせよ今さら切り捨てられない関係だ。こいつが信じてくれるというのなら、俺も少しは自分を信じてみようと思える。


 事態は何も解決していない。次に迫ってくるであろう問題は未だ明確な形を取っていない。わからないこと、できないこと、知らないことだらけだ。


 それでも、西野がいて、スミカ先輩がいる。


 ワイルドガウンのようにならないために、俺なりに彼女達の信頼に応えたいと思う。そう考えると理屈なんか抜きに前向きな気持ちになるのだ。

 ワイルドガウンがそうだったように、俺も、スミカ先輩も、西野も、一人の人間だ。

 ならこの無条件の信頼に応えるために、俺はまず彼女達自身と向き合わなければならないだろう。


 特に西野とは、バルクガールではない西野朝霞という少女と、きちんと向き合わなければと思う。いや、違うか。向き合わなければ、なんて義務感ではなく、俺自身が彼女ともっと関わりたいと願っている。


「なぁ、西野」


「はい」


「俺の足が治ったら、どっか遊びに行こう」


「…………?」


 え、なんで首かしげられるの? 何言ってんだこいつみたいな顔しないで傷ついちゃう。なんだよ、遊びに誘うくらいは許される仲だと思ってたの俺だけ?


「それは、デートのお誘いですか?」


「いや、まぁ……そう、なのかな」


 素直に認めるのもなんだか照れくさいが、まぁ二人で遊びに行こうってのはそういうことになるのかな。あれ? それで首かしげられたって「あなたと二人で遊びに行く理由があるんですか?」みたいなことなの? なにそれ悲しい。


「デート、デートですか」


「いやあんまり繰り返されると恥ずかしいんだけど……なんだ、その、俺も少しはお前のことを知りたいと思ってな」


「わたしも、お兄ちゃんのこともっと知りたいです」


 そこは即答なのかよ。もうお兄ちゃん西野との距離感がわからないよ。


「わかりました。デートのお誘い、お受けします」


 なんだか神妙な調子で了承されてしまった。なんだろう、実は面倒だと思ってたり――。


「楽しみに、してますね」


 ――思ってたり、しないみたいだ。


 花が咲くようなその笑顔を見た途端、あれこれ考えていたのが馬鹿らしく思えてくる。

 ……とりあえず、食事が終わったらスミカ先輩にも相談してデートプランを練ることにしよう。もう一度この笑顔を見るためなら、慣れないデートの準備も心躍るってもんだ。


 ほんの少し期待に高鳴る心臓を感じて、心地よい高揚感に身を委ねる。


 なるべく早く怪我が治って、その日を迎えられるといい、なんて。柄にも無くそんなことを考えるくらいには俺の頭もほどよくイカれていた。


 問題も疑問も山積みで、解決の糸口は見えないけれど。

 心から楽しみだと言えることが一つくらいあってもいいだろうと、そんな風に思った。



******


あとがき


以上で完結となります。

最後までお付き合い頂いたそこの貴方、こんなごく個人的な思い出投稿作にお付き合い頂いてありがとうございました。


本作は読み返すと未熟という言葉では足りない箇所が多く、またweb小説という形態をまったく想定していない状態で書いていたものなので、間延びしていたりいわゆる「引き」が無かったり、気になる部分もあったのではないかと思います。

ただ作者的には「空っぽの器に注がれる正義という理想」というテーマが好きだったり、エピローグのシーンが気に入っていたり、無かったことにしたくない作品でありました。こうして発表する場を見つけられただけでも幸運だったと思います。


普段はこんななんちゃってヒーロー物ではなく百合ばっかり書いています。よろしければ他の作品も覗いてもらえたら嬉しいです。

それではまたご縁がありましたら、どこかでお会いしましょう。

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俺と彼女のジャスティス・コンプレックス soldum @soldum

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