エピローグ

仕組まれた運命

「これも全て計画通りかね、神酒洲くん」


 大学の一室で、いつもと変わらぬ和装の西野老人は豊かな口髭を撫でながらモニターに向かって問いかけた。


『まっさかぁ。ウチかて人を好き放題自分の思い通りに動かせるほど人間辞めてへんよ。ま、いまはもう人間ちゃうけど』


「そのようじゃな。さすがに自分が殺されるのは計算の外かの」


『計算外やけど想定内って感じやな、シシシ』


 画面の中でケラケラと軽薄に笑う神酒洲灘女に、西野老人は苦笑を返す。年の功とはよく言ったものだが、自分より年若いはずのこの少女には、人間のままでも電子の存在になっても敵う気がしない。西野老人の本音だった。


『ウチかて驚いたんやでー? ワイルドガウンは思った以上に行動を急ぐし、そーなると神酒洲灘女として二人を引き合わせる予定を繰り上げなアカンし、ちゅーことは朝霞ちゃんと和解させる余裕が無くなってまうからマザーとコンプレスを頼って救出してもらう羽目になったし? コンプレスはともかく、マザーに借りは作りとうないねんけどなぁ……』


「ほっほ、彼女は何かと鋭いからのう。なぁに、コンプレスくんが関わらん限り、彼女は必要以上の干渉をしてはこんじゃろ」


『行動原理が単純すぎるのも困りもんや。操ろうにもこっちの思惑を挟み込む隙が無いんやから、ウチにとっては天敵みたいな女や』


 暗に事件の渦中にいた三人については操っていたと認める発言だったが、そんなものは今さら隠すまでもない。


「そもそも今回の一件、どこからが君のシナリオだったのかの?」


『いやいや、ウチはなーんもしてへんよ? ちょーっとワイルドガウンに復讐相手の情報を流したり、路地裏でバルクガールにリジド・ボムが有効やってとこを見したったり、偽もんのリジド・ボムを送りつけたり、オリジナルを襲うよう仕向けたり……まぁもちっと時間かけてくるやろと思っとったら殺されてもーたわけやけどな?』


 それはほとんど最初から操っていたのと同義ではないか、と思った西野老人だったが、決して口にはしない。言うだけ無駄だということがよくわかっているのだ。


「リジド・ボムか。あれを開発したのも君なのか?」


『まっさかぁ。ウチがわざわざヒーローを不利な状況に追いやるわけないやろ』


 どの口が言うか、と突っ込むのも老人は自重する。


『アレの開発元は多分、グリーンミストやろね』


「根拠はあるのかの?」


『や。無いでそんなん。ただのカンや。ま強いて理由を挙げるんやったらアレやな、女の子の筋肉の動きまで調べ尽くして痺れ玉作るなんて、よっぽど執着心のある変態やないと出来ひんやろ』


「ふぅむ、それでグリーンミストか」


 なるほどそれなら証拠が無くても納得できる、と老人も頷く。

 西野老人がバルクガールこと西野朝霞と暮らし始めたのはここ数年のことだ。それ以前に因縁があったであろうグリーンミストとの関係については、実際のところ老人も断片的な情報しか持ち合わせていない。目の前の少女ならあるいは詳細まで掴んでいるのかもしれないが、必要と判断しない限り彼女がそんな貴重な情報をほいほい開示することはないだろう。


 だが、仔細を知らずとも一度ならずグリーンミストにまつわる断片的な言葉を朝霞の口から聞いたことのある西野老人にとって、バルクガールの自由を奪う道具を開発したのがグリーンミストだというのは十二分に説得力のある仮定だった。


『ちゅーかそのバルクガールやけど、あれホンマに大丈夫かいな。正直聞いてた以上やで、あれは』


「そこは可愛い孫娘のことじゃからのう。お主に育ててもらうために多少扱いやすそうに事情を話したんじゃよ」


『……食えない爺さんやなぁ』


「それでも、一度計画に組み込んだらお主はキッチリ育てるんじゃろ?」


『ま、せやね。想像以上に空っぽだった、ってだけやし、ちょいと手間が増えるだけでやることは変わらへん』


「空っぽ、か」


 西野老人は苦々しい表情を作る。顔こそ笑っているが、モニタの中の神酒洲も心境は似たようなものだった。


『正義って言葉を植え付けたんは、あんたなんか?』


「植え付けたとは人聞きが悪い。そうでもしなければあの子は道を踏み外しておったじゃろう」


『仕方なく植え付けた、と』


「……ふむ。残念ながら反論できんのう」


『まー、結果的には正解やったみたいやな。正義っちゅーもんに格別のこだわりがある相方が見つかったわけやし』


「あの少年か。あれはあれで危なっかしいようにも見えたがのう」


『今回の一件で多少はマシになるはずや。そのために仕掛けた事件だったわけやしな』


 二人の脳裏に同じ少年の顔が浮かぶ。


 正義のヒーローを何よりも憎んでいながら、その実誰よりも純粋にヒーローに憧れている少年。その憧れがあまりにも純粋過ぎて、現実に存在する全てのヒーローを否定してしまう、そんなジレンマを抱えた少年が、バルクガールの相方に相応しいと選ばれたのだ。

 勿論、本人たちの与り知らぬところで。


『他人の正義を借りないと力を振るえないヒーローと』


「自分の正義を通すだけの力を持たない凡人、か」


『問題は山積みやなぁ、シシシ』


 神酒洲の愉快そうな笑い声に、西野老人は重ね重ね苦笑をこぼすことしかできない。この少女がこんな風に笑うときはロクなことを考えていない。そこまではわかるのだが、何を考えているかを正しく想像できたためしがないのだ。


 だが、西野老人は考えが読めないからこそこの少女を信頼している部分もあった。


 思考が読み取れる相手からはいつも欲望や悪意が透けて見える。だが神酒洲灘女、あるいは水澄奏という名で呼ばれる少女は考えが読めない代わりに、そういった邪念を感じさせない。


 それすらも上手く覆い隠しているのかもしれないが、それでも結果がついてくるのなら西野老人に不満は無い。欲望が見えて不愉快にならない分だけ、他の人間と関わるより幾分か気分が良かった。


 あるいはこの少女こそが、本当に空っぽなのではないかと疑ったことも一度や二度ではない。だがその度に西野老人は同じ結論に至る。

 彼女は空っぽなのではなく、彼女という器には混じりけゼロ、純度百パーセントの理想だけがなみなみと注がれているのだろう、という結論に。


 社会に、ヒーローに対する理想。


 その全容は老人にも見通せない。だがそれは、あの少年のように純粋では無いのだろう。少女は少年よりも社会に毒されていて、泥にまみれている。社会の汚さを織り込んだ上での理想は、空っぽのヒーローに注ぐには汚れ過ぎていた。


「二人には、酷な運命を背負わせようとしておるのう」


『それを酷と感じさせへんように気を揉むのも、ウチらの役目や。ええやろ別に、他人から見てどんなに不幸でも、本人達が納得して、幸福なら』


「幸福。そう感じられる結末に、キチンと辿り着けばよいが」


『へーきやって。ウチを誰やと思うとんねん』


 そう言ってシシシと笑う理想家に、老人は今日何度目になるかわからない苦笑で応えた。

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