第四節:決闘と求婚


 街の外れにある、小さな雑木林。

 日が傾き始めた頃に、両者は対峙していた。

 先ず少女は、戦うのに邪魔な外套を脱ぎ捨てる。

 人目に晒す事を忌避していた、角と尾。

 それを見た相手は、「ほう」と小さく声を漏らした。

 一瞬、言い様のない感情が胸に沸き立つが、今はそれを封じる。

 黒い魔剣――《宵闇の王》の柄を強く握る。

 そして改めて向かい合う相手、蜥蜴人の姿を確認した。

 大きい。兎に角大きい男だった。

 手足は太く、胸板は厚い。

 上背は少女の倍に届く……というのは、流石に言い過ぎか。

 元の種族としての性質を加味しても、その身体は限界まで鍛え上げられている事は明白だった。

 鎧らしい鎧は身に着けていない、どころか殆ど半裸に近いような軽装だ。

 その身を覆う鱗の強靭さに、余程自信があるのだろう。

 しかし時季的にもやや肌寒いぐらいなのだが、蜥蜴人は寒さは平気だったろうか。

 爬虫類に似てはいても、全てが爬虫類と同じとは限らないが。

 

 「……こちらは、いつでもいいわ」

 「あぁ」

 

 ゆるりと、蜥蜴人の男――ガルもまた、その手に自らの得物を取る。

 それは飾り気のない棍棒、大金棒グレートクラブであった。

 少女の背丈と同じぐらいか、或いはそれよりも大きいかもしれない。

 鉄塊にも等しいソレを、蜥蜴人は軽々と肩に担いだ。

 その姿を観察しながら、少女は頭の中で自らが知る蜥蜴人についての情報を思い出す。

 戦場を住処とする蜥蜴人だが、その多くは剣や槍の類は余り好まない。

 大抵はガルが持つような棍棒か、大きな戦斧バトルアックスを用いる。

 蜥蜴人の間にのみ伝わる不確かな伝承によれば、それは彼らの「種の起源」に由来する。

 ――この世界の始まりに在ったとされる、大いなる蛇。「混沌」。

 それがある時に身震いをし、大小の「鱗」が虚空にばら撒かれた。

 散らばった鱗の内、小さなモノから「蜥蜴人」が生まれ、そして比較的に大きいモノは「竜」へと変じた。

 そして最も大きな鱗は、一振りの強大な「剣」となり――やがて始まりの神が手にし、「混沌」を二つに裂いた。

 これが蜥蜴人の間にのみ語られる、創世の神話。

 故に彼らは「混沌」を母なる蛇と信仰し、自らは竜と並ぶ「古き血」の一つと語り継ぐ。

 その種族的宗教観の中で、「剣」は始まりの神が母たる蛇より奪った物であるという認識が強い。

 だから彼らは奪われた「剣」の似姿、「混沌」の鱗の模倣である鋭い刃を備えた剣や槍を、あえて使わない。

 やがて奪われたモノはあるべき主の元へと還るのだと確信し、これを種族の使命とした。

 即ち、大いなる力を宿す「剣」の断片たる魔剣。

 これを砕いて、偉大な母である「混沌」の元へと還す。

 それこそが蜥蜴人が負う《魔剣砕き》の業であり、砕けぬ魔剣を砕く数少ない例外の一つ。

 あの肩に担いだ無骨な棍棒は、魔剣の使い手と同様に、主なき魔剣であれば破壊する事が出来るのだ。

 ――少なくとも、当の蜥蜴人達はそう信じている。

 けれど実際に「蜥蜴人が魔剣を砕いた」という話の多くはあやふやで、尾鰭の付いた武勲詩が大半だ。

 そもそも如何なる力の働きでそんな事が可能であるのか、少女の持つ知識にもなかった。

 

 「《宵闇の王》」

 

 手にした魔剣の銘を唱え、少女はその身に「帳」を纏う。

 透明な力のヴェール。遺跡で小鬼から略奪した対価のおかげで、その魔力は充実している。

 偶然出くわした蜥蜴人に《魔剣砕き》の標的にされるなんて、まったく予想していなかった面倒事ではある。

 けれども、少女はこれを御伽噺の一節に巻き込まれた程度に考えていた。

 魔剣を持つ者が、魔剣を持たぬ者に負ける事はない。

 慢心や油断の類ではなく、ただ純然たる事実としてそう認識していた。

 ただの小鬼ですら、魔剣を手にしていれば場数を踏んだ冒険者を一方的に嬲り殺すように。

 既に他の魔剣も幾つか砕いている自分が、負ける道理はないと。

 油断はしていなかった。

 例え魔剣を持たぬ徒人であるとしても、この蜥蜴人が強者である事は一目瞭然だったからだ。

 ――だが、その認識さえまだ甘いのだと、目の前に迫った大金棒が吼えた。

 

 「っ!?」

 

 油断はしていなかったからこそ、反応は紙一重で間に合った。

 防御に構えた黒剣に、大金棒が正面からぶち当たる。

 衝撃が破裂し、大気が爆ぜる。

 少女の矮躯では踏ん張る事など敵うはずもなく、勢い良く雑木林の間を吹き飛ばされた。

 

 「むっ……!」

 

 大金棒を振り抜いた姿勢のまま、ガルは訝し気に小さく唸った。

 今のは間違いなく会心の一撃クリティカルヒットだ。

 過去に見上げる程の岩鬼トロールの頭蓋を首まで押し潰した時も、これと同じ手応えだった。

 しかし手元に残る感触、衝撃の余韻に違和感がある。

 何やら柔らかいが、同じぐらいに硬い壁を叩いたような未知の感覚。

 

 「……良し」

 

 一人頷き、蜥蜴人の戦士は地を蹴る。

 今の一撃を、相手は恐らく耐え切っている。

 良き相手だ。自らの渾身の一振りでも仕留めきれない。

 それだけ分かれば十分だった。

 ……一方、少女は地を転がりながら己の迂闊さを呪っていた。

 凄まじい、という言葉では足りない威力。

 剣での防御が間に合っていなかったら、「帳」が持たずに破られていたかもしれない。

 大抵の物理攻撃を完封する、《宵闇の王》の「帳」。

 これが此処まで破壊された事など、過去に経験がなかった。

 幸いと言うべきか、打撃の力と身の軽さが合わさり、相応の距離を飛ばされている。

 視界の端で既に青い鱗が迫りつつあるが、立て直す時間は十分だった。

 転がる勢いのままに、少女も地を蹴る。

 同時に「帳」の魔力がその身を奔り、彼女を一時だけ疾風へと変えた。

 恐らくガルの目には、少女の姿が突然消えたようにしか見えなかっただろう。

 人体の物理的限界を超える速度で、黒剣の少女は木々の隙間を駆け抜ける。

 

 「(さっきの攻撃で、「帳」も大分削られている。時間は掛けられない……!)」

 

 他に対価を奪えない状況で、魔剣が力を失えばどうなるか。

 それはあの小鬼剣士の末路が何より物語っている。

 走る。棍棒を構えていない、相手の左側面に回り込むように。

 魔剣による加速状態にある間は、自分以外のすべての動きが遅れて見える。

 相手の眼は、まだ此方を捉えていない。

 仕留められる――そう確信し、少女は大きく跳んだ。

 木の幹を踏み台代わりに、大柄な蜥蜴人の更に頭上を取る。

 狙うべきは首だ。骨まで断つ必要はない。肉に刃が半ばでも入れば、それだけで致命傷だ。

 

 「恨みはないけど……!」

 

 振り下ろす。

 黒剣の一閃は断頭台の刃に等しく、ガルの首へと真っ直ぐ落ちる。

 相手は此方を見ていない。この斬撃は完全に知覚の外だ。

 硬い鱗を裂き、肉を断つ感触。赤い血が刀身を濡らす。

 少女の魔剣は確かに蜥蜴人を切り裂くが、しかし。

 

 「嘘……っ!?」

 「見事……!」

 

 響くのは驚愕の叫びと、賞賛の言葉。

 切り裂いたのは首ではない。

 首を斬られるより一瞬早く、割り込まれた左腕だ。

 剣は間違いなく強靭な鱗を斬り、分厚い筋肉すらも断ち切った。

 けれども骨まで砕くには至らず、必殺の刃は完全に防がれた形だ。

 まったく此方の速度に反応し切れていなかったはずなのに、どうして……!

 その疑問の答えを探る暇もなく、状況は動き続ける。

 腕が半ば切断されているという重傷にも関わらず、ガルの戦意は留まる事を知らない。

 すぐさま無事な右腕で大金棒を構え、宙に浮いた状態の少女へと叩き込んだ。

 

 「そんなもの……!」

 

 片腕で繰り出される一撃は、最初の万全な打撃に比べれば格段に遅い。

 少女は未だ加速したまま、切り裂いたばかりの蜥蜴人の腕を強く蹴飛ばした。

 その反動で宙をくるりと回れば、ギリギリのところを大金棒の軌道が掠めていく。

 そして着地。加速の反動がジリジリと身を削っているが、今はまだ解除するわけにはいかない。

 武器の距離は危険過ぎる。多少長引くだろうが、距離を開けて呪いで少しずつ削るべきだ。

 そうと決まれば――っと、動こうとしたところで、身体が強く引っ張られる。

 

 「なッ……!」

 

 何が起こったのか、一瞬理解出来なかった。

 しかし引かれる方に視線を向ければ、何が起こったのか明白だった。

 尻尾だ。蜥蜴人が持つ、長い尻尾。

 死角から迫ったソレが少女の足首を絡め取り、その動きを阻害していたのだ。

 加速した知覚が、相手の次なる動きを捉えている。

 大上段。捕まえた獲物に向けて、大金棒の一撃を振り下ろす。

 例え片手であろうと、勢いよく落される棍棒の威力がどれ程のものか、考えるまでもない。

 《宵闇の王》の「帳」がなければ、下にあるのは柔らかい少女の身体のみ。

 耐えられない――ならば、その鉄槌を素直に受けるわけにはいかなかった。

 

 「むっ!?」

 

 今度はガルの方が驚愕する。

 決着の瞬間。再び渾身の一撃を放つところで、不意に身体に痺れが走ったのだ。

 その痺れは速やかに全身へと広がり、ガルの全身を縛り付ける。

 見れば、睨む少女の赤い瞳が、何やら妖しげに輝いているではないか。

 

 「これは、妖術の類か!」

 「呪術よ!」

 

 《金縛り》の呪い。

 万一弾かれたら最悪だったが、幸運はまだ少女の頭上にいたらしい。

 どうにか相手の動きを縛り付けている間に、足に絡まった尻尾も振り払う。

 呪い、特に《金縛り》の持続には高い集中力が必要だ。

 また維持していられる時間もかなり短く、距離を稼ぐ間に呪いは解けてしまうだろう。

 先ほど脳裏を掠めた安全策。果たしてそれで、この恐るべき戦士を自分は仕留めきれるのか。

 

 「ヌ、ゥゥゥゥ……ッ!!」

 

 《金縛り》を受けても尚、ガルは自由を取り戻そうと足掻く。

 その意志力が呪いによる拘束を上回ってしまえば、直ぐに彼は解き放たれる。

 ならば今、決断するべき事とは何か。

 

 「――穿て!」

 

 縛る呪いは維持したままに、更に別の呪言を重ねる。

 その言葉に従って、不可視の矢が幾つも連なって、動けぬガルの身体を貫いた。

 鋭い呪いの切っ先は、頑丈な鱗だろうが構わずに射抜く。

 

 「オオォォォォッ!!」

 

 蜥蜴人は吼える。そして《金縛り》に対する抵抗が、更に強まる。

 致命傷ではないにしろ、相当な重傷ではあるはずなのに。

 戦士の意志は萎えるどころか、逆境に対して更に燃え上がっているようだ。

 これを断ち切る為、少女は魔剣を振り被る。

 此方も加速状態の影響で、身体は軋むどころか悲鳴を上げつつある。

 目や口元から赤い血を溢しながら、それでも力を振り絞る。

 この一刀で狙うのは腹部だ。

 首は位置が高すぎるのもあり、今の状態では直ぐには狙えない。

 肋骨のない腹部、かつ《金縛り》が有効な今ならば筋肉で止められる心配も少ない。

 腸まで引き裂いてしまえば、流石に耐え切れまい。

 

 「ああああぁぁぁっ!!」

 

 少女もまた吼えた。黒い刃が横薙ぎに走る。

 切り裂く。再びその切っ先は蜥蜴人を捉え、今度は狙った通りに腹を裂く。

 だが、指先に伝わる感触で、直ぐその事実を悟る。

 

 「(浅い……!)」

 

 確かに腹部ならば骨もなく、麻痺している状態では筋肉の防御力は落ちている。

 だが、まだ相手には鱗があった。

 強靭でしなやかな鱗は、蜥蜴人の身体の比較的に柔い部分を特に分厚く覆っていた。

 万全ではない少女の一刀では、切っ先が腸にまでは届いていない。

 一つで足りないならば、二つ三つと重ねればいい。

 そう考え、すぐさま魔剣を構え直す。

 そうして再度放たれる黒い刃だったが――それは二度、狙った場所に届く事はなかった。

 

 「ッ、この……!」

 「流石に、そう何度もな」

 

 ギリッ、と。魔剣と大金棒が噛み合い、硬い音を響かせる。

 寸前で《金縛り》の呪いを振り解いたガルは、危ういところでトドメの一撃を防いでいた。

 

 「(本当に、強い……!)」

 

 最早認めざるを得ない。

 少女のまだ短い人生において、この男こそが最強の敵手であると。

 魔剣の力に驕っていた。同じ魔剣持ち以外に、然したる脅威を感じた事はなかった。

 だがどうだ、この男の恐るべき戦士たる様は。

 《宵闇の王》の力の精髄である「帳」は破れかけ、度重なる加速の行使で四肢はボロボロだ。

 ガルも深手を負っているが、その立ち姿からは死の気配は感じられない。

 剣でもう一度、弾くように大金棒を叩き、その反動で僅かにでも距離を取る。

 加速は解除した為、少女は鈍い動きで地を転がる。

 呪いの行使は、既に二度。理に抗う神秘たる魔術は、そう気軽には使えない。

 特に強力な《金縛り》と《見えざる矢マジックアロー》を立て続けに使った消耗は大きい。

 あと何度、過たずに呪いを発動できるか。

 それを頭の中で組み立てながら、少女は油断なく相手を睨んだ。

 それに対し、ガルは、

 

 「待て」

 

 斬られた方の左手を軽く掲げて、制止の言葉を口にした。

 ぽたり、ぽたりと。傷の深さに比べれば、随分と少ない血が地面に落ちる。

 少女は剣を構えた姿勢で、訝しむように眉根を寄せた。

 この状況、一体何を待てと言うのか。

 意味が分からず困惑の気配を隠せない少女に、ガルは一つ頷いて。

 

 「実に良い戦だ。俺自身、此処まで追い詰められた事はそう記憶にない」

 「……それで?」

 「これ以上続ければ、どちらかが死ぬだろう」

 「それは、そうでしょうね」

 

 何を当たり前な事をと、少女はやや首を傾げながら応じる。

 負傷や消耗の具合から、お互い同程度には満身創痍と言っていい。

 恐らく決着は間もなくだ。その覚悟も既に決まったというのに。

 ガルは小さく首を横に振った。

 そうして何を思ったのか、その場に膝を付いて、

 

 「それは困る」

 「……困る? 何故」

 「この戦いで、俺はお前の強さと美しさに惚れ込んだからだ」

 「……ん?」

 「己の死は恐れぬが、俺はお前を死で失う事を恐れよう」

 「ちょっと待って」

 

 何を言っているんだ、この蜥蜴は。

 言葉が頭に入ってこない。耳を潜ってはいるが、肝心の脳を上滑りする。

 あまりにも突然の事に、混乱するばかりの少女。

 ガルは、得物である大金棒を一旦自分の脇に置いた。

 それからもう一度頷いて、

 

 「お前の強さと美しさに惚れた」

 

 蜥蜴人として、最上級の賛美。

 更に重ねて、自らの一番の目的である言葉を口にした。

 

 「俺の妻になってくれ」

 「…………は?」

 

 正に晴天の空で、唐突に稲妻に打たれるが如し。

 それは少女の人生に、最も凄まじい衝撃を与えた。

 

 

 

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