第五節:和解と保留

 

 「……つまり、貴方の目的は、その……お嫁さん探しである、と?」

 「あぁ、そうだ」

 

 何故か。そう、何故かとしか言いようがないが。

 殆ど日の落ちた雑木林の真ん中で、少女と蜥蜴人は膝を突き合わせて言葉を交わしていた。

 どうしてこうなったのか――なんて、今日だけで何度考えた事か。

 半ば悟りに近い諦めの境地で、少女は一つ一つ確認を取っていく。

 

 「我ら蜥蜴人に、命としての期限はないが、戦いに生きるが故に短命である事が多い」

 

 それもまた、不確かな蜥蜴人の伝説の一つであった。

 竜――空を舞う万物の王者が数千年を超える時を生き続ける事は、誰もが知っているところだ。

 それと起源を同じくする(と本人らは信じている)蜥蜴人もまた、生きるだけなら寿命はないのだという。

 しかし戦いに生きる彼らの多くは戦場で命を落とす為、その寿命は決して長いとは言えなかった。

 

 「故に、子を産む伴侶を見つけねばならん。特に俺の氏族は、以前あった戦いで数を減らし過ぎてな」

 「……だから、お嫁さん探しが急務だった、と。ええ、それは分かったわ」

 

 理解はしたが、納得し難い事もある。

 何となくびしりと指先を突き付けて、その事実を確認する。

 

 「《魔剣砕き》の業はどうしたの」

 「それは氏族の使命であり、果たすべき仕事ではある」

 「じゃあ何で、その」

 「?」

 

 言い淀む少女の様子に、蜥蜴人は緩く首を傾げる。

 なんだかその姿が妙に愛嬌があるとか、関係のない思考まで挟まってくる。

 頭の中は混乱の坩堝であり、纏まりなんてものは一切ない。

 血が上ってしまっている事を意識しながら、少女は思わず声を荒げた。

 

 「それならっ! なんで私に、その……っ、妻になれ、なんて」

 「言ったな」

 「こ、子供を産んで欲しいとか、本気で言ってるの!?」

 「本気でないなら、それはお前に対する酷い侮辱になる。偽りはない」

 

 何処までも、語る言葉は真剣そのものだった。

 余りに真剣過ぎて、種族が違うのにどう子供を作るのだとか、真っ当な疑問さえ喉元で詰まってしまう。

 二の句が継げない少女に対し、ガルは更に続ける。

 

 「良き伴侶を得て、強い子を成すのもまた大事な使命だ。《魔剣砕き》の業にも劣らぬ」

 

 しかし、と。

 

 「仮にそれを抜いたとて、俺の言葉は変わらない」

 

 使命を負って、戦いに生きる。

 それが蜥蜴人で、その戦士たるガルも例外ではない。

 魔剣を砕き、その鱗を母なる「混沌」に還す。

 伴侶を得て強き子を作り、次代にその使命を繋げる。

 それらを是としつつも、それらとはまったく無関係に。

 ただ一人の男として、ガルは三度に渡ってその言葉を繰り返した。

 

 「その強さと美しさに、俺は惚れ込んだ。妻となり、子を産んで欲しい」

 「っ~~~~~……!」

 

 真っ直ぐに、本当に真っ直ぐに。

 それ以上でも以下でもない、本心をそのまま形にしただけの言葉。

 それに一体、何と返せばいいのか。

 嫌悪はなかった。

 ただ、名付け難い感情が胸の内を焼くばかり。

 

 「……本当に、本気で言っているの?」

 「疑うなら何度でも繰り返すし、足りぬのなら行動で示そう」

 「行動でって、何を……ああいえ、言わないで。有言実行もいいからっ」

 

 何かとんでもない事の引き金になりそうで、慌てて制止を掛ける。

 本当に、どう受け止めていいのか分からない。

 分からないままに、少女の口からは言葉ばかりが次へ次へと重なっていく。

 

 「そもそも、さっきまで殺し合ってた筈でしょう、私達!」

 「実に良い戦だった。素晴らしき伴侶を見つける事も出来たからな」

 「まだ貴方のお嫁さんになるとは言ってないから……!」

 

 もう、自分で自分が何を言いたいのかも把握出来ない。

 どうして、こんなにも心が千々に乱れるのか。

 血塗れの蜥蜴男を相手に、グチャグチャになった感情を吐き出し続ける。

 こんなにも、誰かに自分の言葉を向けたのは、果たして何時ぶりだろうか。

 

 「それに見て、この角と尻尾!」

 「よく似合っているが」

 「あ、ありがと……って、そうじゃなくって!」

 

 半ば勢いで示したのは、頭に生えた左右非対称の角に、尾てい骨辺りから伸びる黒い尾。

 それは一見するなら、何らかの異種族の特徴に見えるが。

 

 「私は人間なのに、こんなものがあるのはおかしいでしょうっ?」

 「俺は蜥蜴人だ、よくは分からんが」

 「呪われてるのよ、私はっ!」

 

 叫ぶ。誰にも話した事のない、自分自身の事を。

 

 「自分のことなんて殆ど覚えてない! あるのはこの魔剣と、呪われてるという事実だけ!」

 「そうか」

 「呪ったのは誰で、呪われた理由も分からない! 残っているのは――っ」

 「…………」

 

 痛みは言葉にならず、涙だけは呑み込んでしまおうと、少女は胸を強く押さえた。

 ガルは、その溜め込まれた感情の激流を静かに受け止める。

 その細い身体で、どれだけの戦いの夜を越えて来たのかを思った。

 同情はない。する意味がないし、戦いに生きた者に対してこれ以上の侮辱はない。

 あるのは偽らざる賞賛の念。そして、魂を捕らえた熱い恋情だけだ。

 

 「俺は、お前がこれまでどう生きていたかは知らない」

 「…………」

 「それを敢えて問おうとは思わん。もし話したくなれば、それを聞くぐらいはしよう」

 「……何が、言いたいの?」

 「口下手だ、迂遠な物言いは許せ。ただ一つ、此方から聞いておきたい事がある」

 「……何?」

 「名を、まだ聞いていない」

 

 言われて、ようやく少女はその事実に気付いた。

 ガルは最初にその名と身分を明かしたのに、自分はそれに何も答えていないのだ。

 

 「……ごめんなさい」

 「良い。此方の都合に付き合わせたのだから、非は此方にある」

 

 酷い非礼を働いてしまった気がして、少女は短い謝罪を口にする。

 それに寛容な態度を見せるガルだが、当人の言う通り、今の状況はほぼ十割が彼の都合だ。

 ……本当に、どうしてこんな事になってしまったのか。

 混乱と困惑は未だに晴れず、目の前の重傷蜥蜴にどんな思いを向けるべきかも定かでないが。

 今は、答えるべき事を答える事にしよう。

 

 「……クロエ」

 

 それが、黒い剣を携えた少女の名。

 何もかもを奪われた彼女の内に残された、数少ない「自分」の断片。

 

 「私は、クロエ。家名はあっても、覚えてないわ」

 「クロエか。良い名だ」

 「……お世辞でも、ありがとう」

 「世辞のつもりはないのだが」

 

 少女――クロエの名を口にして、ガルは満足げに頷いた。

 惚れた女の名前も呼べぬのでは、余りに不便だ。

 

 「……そんな事より、傷は平気なの? 私が言うことじゃないかもしれないけど………」

 「平気なわけではないが、直ぐに命に関わる程ではない」

 「それはそれで信じがたいのだけど……」

 

 むしろ今、何ともない顔で会話をしている事こそ不可解だ。

 片腕を半ば斬られて腹もザックリと抉られてと、一度死んでもお釣りが出るレベルの重傷だ。

 

 「このまま一晩放置すれば流石に分からんが、幸い仲間には徳の高い司祭がいる」

 「司祭って……貴方、仲間なんているのね」

 「いて困るものではないし、実際に助けられてもいる」

 「……そうなの」

 

 小鬼の拠点で孤独に耽っていた記憶が、何やら今さら猛烈に恥ずかしくなってくる。

 黒い歴史に悶える少女の内心など知る由もなく、ガルはもう一度その名を呼ぶ。

 

 「クロエ」

 「っ、な、何?」

 

 呼ばれた方は、見て分かるぐらいにビクリと跳ねた。

 単に名前を呼ばれただけなのに、過剰な反応だと分かってはいる。

 分かってはいるのに、何故だか妙に取り乱してしまうのだ。

 そんな自分を悟られまいと、クロエは何とか取り繕おうと考えはする。

 するが、紅潮した頬の一つも上手く隠せないのが現実だ。

 肝心のガルの方は、そんな少女の様子は余り気にせず言葉を続けた。

 

 「先ほどの言葉、もし嫌ならば断わってくれて良い。 お前の魔剣を狙う、という真似もすまい」

 「……そう」

 「そうでなくと、直ぐに答えは求めない。即断、というわけにもいかんだろう」

 「……それは、そうね」

 

 頷く。実際、伴侶とか子供とか、直ぐに決めろと言われる方が困る。

 そう、そんな人生そのものに関わるような問題を、直ぐに決める事は出来ないが。

 

 「……別に、貴方の言葉は、嫌ではないわ。良い、とも言えないけど」

 

 我ながら、何とも及び腰で情けない答えであろうか。

 こんなにも弱々しい言葉では、勇猛果敢な戦士の気分を損ねてしまわないかと。

 ちらりと視線で様子を見れば、ガルの尾はパタンパタンと揺れていて。

 

 「今は、その言葉だけでも十分だ」

 

 感情の色を読み辛い爬虫類の表情に、一目で分かるぐらいの喜びを浮かべて。

 ガルは大きく頷いた。蜥蜴人からの求婚なんて、肯定的になる要素なんてないはずなのに。

 それを嫌とは言わなかったクロエの言葉に、一先ずガルは満足げだった。

 今はまだ完全に届いていなくとも、必ずやその心を掴んでみせる。

 手応えを感じればこそ、男の闘志は熱く燃え滾っていた。

 

 「……ねぇ、その。ガル?」

 「む、どうした」

 「いえどうした、じゃなくって」

 

 言いながら、クロエが指で示した先。それはガルの身体に刻まれた刀傷。

 大きさに反して量こそ少ないが、出血は今も止まったわけではない。

 

 「話が少し逸れちゃったけど、その傷。治せる人がいるなら、早く治した方がいいわ」

 「あぁ、それはそうだな。実際、少し血が足りなくなってきた気がする」

 「少し……?」

 

 繰り返すが、あくまで出血量が少ないのは傷の大きさを考えた場合の話だ。

 やはり常人なら失血死でもおかしくない状態だが、ガルはそれを微塵も感じさせない。

 大金棒を支えにしつつも、平然とその場に立ち上がった。

 

 「クロエ、そういうお前も無傷ではあるまい。頼めばついでに治療をしてくれるだろう」

 「いえ、私は……」

 「仲間に紹介もしたい。来てくれるか」

 「……わ、分かったわ」

 

 反射的に拒否しようとしたが、あっさりと押し切られてしまった。

 いやそもそも拒否する理由もなかったし、これは別に問題のない答えではないか。

 また頭の中をグルグル回しながら、クロエは男の後に続こうとする、が。

 

 「っ……」

 

 痛み。今までは意識の外に放り出されていた、四肢の痛み。

 それが一気に押し寄せて、クロエはその場に膝をついてしまった。

 

 「どうした?」

 「あ、いえ、これは……」

 

 考えるまでもない、《宵闇の王》の力を使い過ぎた結果だ。

 腕や脚に受けた損傷ダメージが予想外に大きく、今になって影響が出たようだ。

 手足がろくに動かせなくなってしまった事実を、どう口にするべきか。

 自分の強さに惚れたと言ったガルは、弱さを見せてしまった事に何を思うか。

 

 「ふむ。……すまんが、少し我慢してくれ」

 「へ? っ、きゃ……!?」

 

 一瞬思い悩んだクロエの身体は、大きな腕に力強く抱え上げられた。

 突然過ぎて少女が目を白黒させる間にも、ガルはのっしのっしと街の方へと歩いていく。

 思いのほか揺れた為、クロエは痛みの残る腕を太い首に回した。

 回して、しがみ付くような姿勢になってから、改めて自分の状態に気が付いた。

 思いっきり、抱っこされている。初対面で殺し合い、そのまま求婚してきたような相手にだ。

 

 「ちょっ……ガル……!?」

 「問題ない」

 「問題なくないでしょ……! このまま街に入る気……!?」

 「流石に置いていくわけにもいかんし、あの場に留まっては俺が先に血を失い過ぎて死にかねん」

 

 のっしのっしと。

 走る程ではないが、歩幅は広く早足気味にガルは雑木林を進む。

 

 「俺との戦いでそうなったのなら、俺が最後まで面倒を見るのが道理だろう」

 「……私は、その」

 「俺は身体は強いと自負しているが、術の心得はないし、頭も良いとはとても言い切れん」

 

 いっそ胸を張るぐらいに、ガルは躊躇いなく己の弱さを口にした。

 虚を突かれたか、きょとんとした表情のクロエの様子に、蜥蜴男は喉の奥で小さく笑う。

 

 「強いだけの者などいない。弱さは誰にでもあるものだ。俺もお前も、それは変わらんだろう」

 「……慰めてるつもり?」

 「さて、俺は事実を口にしているだけだ」

 

 はぐらかされてしまっては、お礼を口にするのもおかしな話だろうか。

 或いは、顔色を読まれ過ぎてる自分の分かりやすさを恥じ入るべきかもしれない。

 何にせよ、クロエもそれ以上は何も言わなかった。

 何も言わず、今はただ包み込むような腕に身を預ける事を良しとした。

 

 「……もう」

 

 正直、このまま街中に入る事は色々と文句を言いたくなるが。

 今は疲れ切っているし、言いたい事は後でまとめて言えば良いかと。

 そんな風に考えながら、クロエは身体の力を抜き、少しだけ目を閉じた。

 

 

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