第一章:蜥蜴男に求婚されました

第三節:蜥蜴男と少女


 「俺の妻になってくれ」

 「…………は?」

 

 それは文字通り、青天の霹靂だった。

 街の外れにある小さな雑木林。

 向かい合う二人は、先ほどまでは互いの武器で火花を散らしていた。

 しかし片方――黒い剣を構えた少女は、思わず間の抜けた声を上げる。

 もう片方、青い鱗を纏う大柄な蜥蜴人リザードマンは、至極真剣にその言葉を口にした。

 一体、この蜥蜴は何を言っているのか。

 意味が分からない。いや、分からないわけではない。

 言葉の意味は分かるが、頭がそれを理解出来ずに停止してしまう。

 或いは、戯言で自分を混乱させる詐術の類ではないかと少女は勘繰った。

 それならば確かに効果は覿面であり、被害は甚大と言える。

 だが当の蜥蜴人の男は、わざわざ少女と目線を合わせる為に膝を付いたままだ。

 得物である長大な棍棒も、今は傍らに置かれている。

 明らかに戦いを続けるような空気ではない。

 むしろ、未だに剣を下げる事もしないでいる少女こそ、場の流れに取り残された体だ。

 

 「……ごめんなさい、よく聞き取れなかったのだけど」

 「そうか」

 

 きっと幻聴か何かだろう――少女は現実逃避気味にそう結論した。

 対して蜥蜴人の男は、変わらず真面目にうなずいて。

 

 「俺の妻となって、俺の子を産んで欲しい」

 「一体何を言ってるの貴方……!?」

 

 言い直すどころか、更に余計な言葉まで追加されてしまった。

 分からない。本当に意味が分からない。

 余りと言えば余りな発言に、少女は顔を真っ赤にして、思わず子供のように叫んでしまう。

 おかしい。ほんの数日前、自分は小鬼の群れを血の海に沈めていた。

 孤独な戦いと屍の山こそ自らが行く道だと、自嘲と諦観交じりに受け入れていた。

 そんな事を考えていたのに、何故だか今は怪しげな蜥蜴男に絡まれ、挙句大真面目に求婚されている。

 どうしてこんな事になってしまったのか。

 少女は眩暈を覚えながら、此処までに至る経緯を思い出していた。

 

 

 

     *   *   *

 

 

 

 ……やや薄暗い酒場に、弦を爪弾く音が響く。

 普段は酔客の騒がしい声も、今一時は密やかに抑えられていた。

 決して手狭というわけではないが、お世辞にも広いとも言い切れない店の中。

 時間は昼時。客は六か七割程度の入り具合だが、その顔ぶれは様々だ。

 この街で暮らしているだろう年配の男も多くいれば、明らかに冒険者らしき風体の者達もいる。

 各々麦や果実の酒を飲み、焼いた魚や揚げた芋を突きながら、その視線は店の中央を向いていた。

 店の床より少しだけ高く作られている、小さな円形の舞台。

 流れの詩人がたまに使うその場所に、今は小柄な姿が腰を下ろしている。

 組んだ膝に古びた弦楽器リュートを抱えて、外套は羽織ったままで、細い指が弦を弾く。

 

 ――始まりの夜よ、大いなる蛇よ。

 汝は如何なる過去まで微睡むのか。

 星の光よ、瞬く瞳よ。

 汝は如何なる夢を見るのか。

 汝は如何なる時を食むのか。

 

 穏やかな旋律に乗せて、古い詩が紡がれる。

 誰もが一度は聞いた覚えがあるだろう、世界の最初を物語る詩の一節。

 何もない虚無の夜空に、ただ一匹だけ在ったという混沌の蛇の詩。

 かつて世界とはその蛇の事だけを示し、その蛇だけが世界の全てだった。

 物珍しさはない、古ぼけた神話伝承。

 それを奏でる歌声を、酒場の客らはじっと聞き入っていた。

 

 ――始まりは過ぎ、宵の帳に立つ者よ。

 輝ける者、それは始原の訪れ。

 その手に大いなる剣を掲げ、その光は蛇の鱗を照らし出す。

 嗚呼、始まりの神よ。父なる始原よ。

 混沌は裂かれ、世に天地は生まれ出でん。

 

 世界の最初に在った混沌の蛇を、父なる神がその剣で引き裂いた創世の詩。

 二つに裂けた蛇の死骸から天地が生じ、血潮からは生命が生まれた。

 それが世界の始まりで、今の世にも残り続ける呪いの起源。

 黒い外套姿の詩人――黒い魔剣の少女は、慣れた様子で歌い上げる。

 指先と声に淀みはなく、酒場の空気を静かに震わせた。

 ………遺跡に巣食う小鬼の群れを殲滅した後、少女はそこから一番近い街へと下りていた。

 その手には、遺跡に入る前にはなかった物。

 小鬼退治の依頼を受け、しかし全滅してしまった冒険者らの遺品を抱えていた。

 そんな事をする義理はないと、頭では分かってはいた。

 けれど気付けば少女は、冒険者組合ギルドの看板を掲げたその酒場を訪ねていた。

 

 

 

 「まったく、面倒をかけたみたいだね」

 「……いえ、別に。そんなことは」

 

 応対したのは、酒場の店主らしき人間の女性。年の頃は四十くらいだろう恰幅の良い女将だ。

 彼女は突然やって来た少女に対し、本心から労いの言葉をかけた。

 最初こそ驚き、訝しみながら迎えた女将であったが、品を確認した後は直ぐに態度を改めた。

 壊れた武器や防具など、明らかに嵩張る物は流石になかったが、それ以外の物。

 単純な金品や、売ればそれなりの価値もあるだろう魔術の装飾品。

 個人を示す品の他に、そういった物も拾えるだけ全て、少女は抱えて運んできたのだ。

 渡す遺品であるならば、故人を識別できる物だけでも十分だろう。

 むしろ少しでも金になる品であれば、懐に呑んでしまってもおかしくはない。

 けれど少女は、それらを一つとして手を付ける事なく、死者と縁のある場所まで持ち帰ったのだ。

 亡くなった者達の面倒を少しでも見た者として、女将は少女に心から感謝した。

 

 「遺品は確かに此方で預からせて貰うよ。こっちとしちゃ、是非ともお礼をしたいんだけどね」

 「別に、構いません」

 

 ふるふると、少女は首を横に振る。

 あえて人を遠ざけようとするような、頑なな反応。

 何やら面倒な事情を抱えているだろう事は、会ったばかりの女将から見ても一目瞭然。

 とはいえ、冒険者なんていう人種の大半は似たようなものだ。

 脛に傷の一つもなく、冒険譚に憧れて道に入る類が逆に稀なぐらいだろう。

 そしてお節介とは分かっていても、この手の人種に構いたくなるのが女将の性分だった。

 

 「まぁまぁ、こっちばかりに世話になっちゃ店の看板に泥が付く。

  今夜の宿が決まってないなら、良い部屋の一つぐらい用意させちゃ貰えないかね?」

 「…………」

 

 そっと押すように言われて、外套姿の少女は少し考え込む。

 出来れば遠慮したいが、流石にこれ以上断るのは失礼ではないかと、仕草から滲み出ている。

 そんな少女の態度に少し笑いながら、女将はもう一つ押し込む事にした。

 

 「その様子じゃ、長らく旅暮らしでまともな食事を取ってないんじゃないかい?」

 「……それは」

 「今晩の宿と、夕食にウチの名物料理。そのぐらいなら、遠慮する必要もないだろう?」

 「…………」

 

 拒否の声は上がらない。

 何やら葛藤があるようだが、フードが影になっているせいで表情は伺えない。

 室内であれば外套ぐらい脱いでも良さそうだが、少女はその素振りも見せていない。

 ちらりと見える顔は可愛らしいものだが、何かあるのだろうか。

 好奇心はあるが、それについて女将は何も言わなかった。

 厚い外套で隠したい程の何かが、この少女にはある。

 それを無遠慮に暴こうという考えは、女将の中には微塵もなかった。

 

 「……出来れば、もう一つ。お願いが」

 

 少しの間を置いてから、少女は小さく頷いた。

 

 「おぉ、なんだい? こっちに出来る事なら、遠慮せず言っておくれよ」

 「はい。……出来ればで、良いのですが」

 

 そう言って、少女は背負っている物を示す。

 それは剣――ではなく。良く使い込まれた、古い弦楽器。

 

 「少しの間、こちらの酒場で歌わせて貰えませんか? 宿や食事の代金は、それで支払います」

 

 

 

 ――父なる神の血肉を分けて。

 父なる神の呪いを継いで。

 生まれたるは神々よ、始原の仔らと混沌の仔ら。

 相容れぬが運命ならば、相争うは宿命か。

 剣の縁に導かれ、奪い合うのが必定か。

 

 締め括りは、大いなる神の死と、その屍から異なる神々が生まれた下り。

 父の意思を継ぐ者達と、混沌の呪いを宿した者達。

 砕けた剣を奪い合う、それが始まり。

 余韻を残すように弦を弾き、一度詩を切り上げる。

 そしてゆっくり頭を垂れれば、拍手と口笛がそれに応じた。

 

 「いやぁ、良い声してんなお嬢ちゃん! 思わず聞き惚れちまったよ!」

 「流行りもいいが、こういう古い奴も偶には悪くねぇな」

 「続きもまた聞かせてくれよ!」

 

 賛辞の言葉と共に、置かれた篭に思い思いに銀貨が投げ入れられる。

 一日の稼ぎとしては、十分過ぎる程の額だろう。

 それを外套の下、視線だけで確認しながら、少女は小さく吐息をこぼした。

 見れば、店のカウンターで様子を伺っていた女将も、満足そうに笑っている。

 人前で歌うのは久しぶりではあったが、上手く行ったようだ。

 女将の好意をただ無碍にするのも失礼かと思い、半ば思いつきで言い出した事ではあった。

 これなら暫く歌で日銭を稼ぎながら、この店を拠点に動いても良いかもしれない。

 

 「…………」

 

 そんな思惑と、密かな緊張を悟られまいと。

 手にした楽器を軽く弄るフリをしながら、改めて店の中に視線を向ける。

 やはり冒険者組合の宿だけあって、冒険者らしき者の姿は多い。

 人間の街ではあまり見かけないような、亜人デミヒューマンの姿も珍しくはない。

 先ず目につくのは森の貴人と称されるエルフの狩人に、山と地の精とされるドワーフの戦士。

 種族的に反りが合わない両者だが、どうやら同じ一団の仲間であるらしい。

 エルフの狩人が何やら議論を吹っ掛けているのに対し、ドワーフの戦士は酒を呷って受け流している。

 少し珍しいところでは、不可思議な旅人たるコービットがいた。

 見た目は人間と殆ど変わらないが、そのサイズだけ普通の人間の半分程度という亜人種。

 東方の言葉では「小人」などとも言われるが、当人らは余りその呼び名は好まないとされる。

 大きな鞄を肩から下げた、コービットの青年。

 彼は何やら楽しそうな様子で、同席している司祭姿の女性と麦酒エールを傾けていた。

 

 「……賑やかな場所」

 

 普段は、必要がなければ余り足を踏み入れない。

 過去の経験から、人を避ける動きが自然と身に沁みついていた。

 多くの者の縁が交わるのが冒険者の店であれば、自分は其処に相応しくはないのだと。

 彼らの声はあんなにも近いのに、それを感じる心は何処か遠くに感じてしまう。

 

 「すまない」

 「? 何か……」

 

 その声は、不意に頭上から落ちてきた。

 低く重い男の声。思考に沈みかけていた為、気付くのが遅れたようだ。

 応じて顔を上げたところで、少女は思わず目を見開いた。

 其処に立っていたのは、一匹の蜥蜴人の男だった。

 比喩や誇張抜きの、正に見上げるような体躯。鍛え抜かれた肉体は、さながら巌の如し。

 その身体を更に頑強な青い鱗で覆い、首から上は蛇や蜥蜴に似た亜人種。

 歌と演奏の最中もその巨体は目に付いていて、気にはしていたが。

 

 「……貴方、は?」

 「うむ」

 

 果たして緊張と警戒は、悟られてしまっただろうか。

 人間とはかけ離れた爬虫類の表情からは、その意思や感情を読み取る事は難しい。

 赤い瞳は真っ直ぐに、少女の心臓を射抜くように向けられる。

 

 「俺はガル、ガル=ロゥ。剣鱗ソードスケイルの氏族の戦士であり、大いなる蛇の仔」

 

 礼儀正しい――彼らの文化においての礼儀に則った名乗りを口にして。

 鋭い爪を備え、槍の穂先にも似た太い指が少女の持つ楽器を示す。

 

 「その道具、魔剣と見た。氏族の業、《魔剣砕き》の為、一手付き合い願いたい」

 「…………」

 

 《魔剣砕き》。その言葉が意味する厄介さに、少女は小さく唸った。

 まったくもって迂闊な話ではあった。

 蜥蜴人が持つその独自の風習は、彼女も知識としては知っていた。

 けれど今までに蜥蜴人自体に出くわした経験もなく、頭から完全にすっぽ抜けていた。

 《魔剣持ち》にとって、関わるだけ損な面倒の種。

 目立たぬよう姿形を偽っていた魔剣さえも、まったく初見で看破するとは。

 

 「……断る事は?」

 「それは困るな」

 

 念のためと聞いてみれば、蜥蜴人――ガルは大真面目に答える。

 

 「こればかりは氏族の使命、見つけて見過ごしたのでは祖霊に顔向けが出来ん」

 「こちらは良い迷惑なのだけれど」

 「すまなくは思っている」

 「…………」

 

 爬虫類の表情から、感情を読み取る事は難しい。

 けれど口にしている言葉に、冗談や皮肉が一切混じってない事ぐらいは分かる。

 はぁ、と。己の不運さの嘆きを、大きなため息に乗せて吐き出す。

 流石に酒場のど真ん中で暴れるわけにもいかないと、少女は覚悟を決めた。

 

 「良いわ、付き合って上げる。けれど、後悔しても知らないわよ」

 「感謝する。なに、戦いで果てるのならばそれは血の誉れだ」

 「……戦士の生き方、ってやつかしら?」

 「理解は求めんが、付き合わせてしまう事は謝罪しよう」

 「…………もう」

 

 謝るぐらいなら、と返そうと思ったが、この男にとってそれとこれとは別なのだろう。

 蜥蜴人とまともに言葉を交わしたのは、これが初めての事だ。

 彼らは誰もがこんな調子なのだろうかと、内心首を捻りつつ、少女は立ち上がった。

 

 「連れはいるのか」

 「いないわ、一人旅よ。そちらは?」

 「いるが、此処で待たせてある。やるのは俺だけだ」

 「それなら安心ね。……場所は、街の外れにある林でどう?」

 「問題ない。行こうか、日が落ちても面倒だ」

 

 のしり、のしりと。立派な体躯に見合った歩幅で、蜥蜴人は歩き出す。

 少女は自然と小走りになって、その背を追う形となった。

 

 「む」

 

 それに気付いた蜥蜴人が、自然と歩くペースを落とした事を、果たしてどう評価すべきか。

 離れた隙に逃げられる事を案じたのか、それとも純粋に気を使ったのか。

 何だか聞くのも癪な気がして、少女は何も言わぬ事にした。

 

 「ちょっと、アンタっ」

 

 酒場を出る前に、少し慌てた様子の女将が声をかけてきた。

 純粋に、好意から自分に気を掛けてくれている彼女を、これ以上心配させたくはない。

 故に少女は小さく頭を下げて、

 

 「……大丈夫です、喧嘩とかではないので。直ぐに、戻りますから」

 

 聞いて誰が信じるのか、殆ど嘘のような言葉だけを残して店を出る。

 止める間もなく出て行ってしまった二人を見送って、女将は困ったように頭を掻いた。

 

 「そういうことじゃなくて……ああ、本当に大丈夫かね。 あの子」

 

 あの蜥蜴人――ガルの「個人的な目的」を耳にしていた女将は、ため息と共に呟いた。

 


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