朝の事件

 授業の終わりを告げるチャイムが学園内に響き渡る。


 金曜日の一限目。月曜日からの疲労感が蓄積され、葵は今にも崩れてしまいそうな体を必死に動かす。

 生徒会での仕事は今日が最終日だった。もっとも、ほとんどの仕事はもうすでに終わっているのだが。


 昨日までにほとんどの仕事を終えたのだ。そのため今日の仕事は最終チェックと、先生にチェックを貰うことだけ。

 予想ではもう少し仕事が残っていると踏んでいたのだが、思ったよりも作業がはかどったため早く終わったのだ。


 仕事を早く進めた分、体に無理を強いたことになるので体は倦怠感と疲労感、さらには襲い来る睡魔と戦うことを強いられるのだが。


 「うぉぉ……」


 今も下まぶたと上まぶたがくっつきそうになるのを、葵は気合で阻止していた。


 このままだとそう遠くないうちに寝てしまうと考えた葵は、少しでも目を覚まそうと顔を洗いに席を立つ。

 しばらく歩くと洗面台がある。普段は何とも感じない距離なのだが、今日の葵にはその距離すらとても遠く感じた。


 「っと……あっぶね」


 唐突に足が悲鳴を上げ、葵は一瞬ふらついてしまう。運よく周りに人がいなかったためぶつかるようなことはなかったが、少し危なかった。


 洗面台につくと、蛇口をひねり水を出す。葵の前に使った人物はよほど力自慢なのか、蛇口がいつもよりも固く締められていて無駄な体力を消費させられる。

 両手の手のひらを桶のように使い、冬の冷たい水をパシャパシャと顔にかけていく。

 

 顔に触れる水の冷たさで、少し意識がはっきりとしてきたのを感じた葵はハンカチで顔を拭きつつ自動販売機の下へ向かう。


 少し歩きたかったのと、缶コーヒーのカフェインを求め、葵は歩いた。

 自動販売機までの距離は、洗面台までの距離よりも長いはずなのだが、葵は短く感じた。


 たどり着いた自動販売機には先客がいた。蓮だった。

 人の気配を感じたのか、蓮が葵のいる方を見てきたため目が合う。


 「葵じゃん」


 「……よ」


 明るい様子であいさつをする蓮とは対照的に、葵の態度は酷く暗い。疲れている今の葵には蓮の前で取り繕う元気はなかった。


 「俺はお前じゃなくて自動販売機に用がある。退くかおごれ」


 葵と自動販売機の間にいる蓮に、葵は言う相手によっては怒られても文句が言えないようなことを言う。

 ただ葵の言葉を受けても蓮の笑顔は崩れなかった。

 それどころか、蓮は嫌な顔一つせず自動販売機で缶コーヒーを買う。それは葵が買おうと思っていたものだった。


 「ほれ」


 そんな声と一緒に葵の下に缶コーヒーが緩やかな放物線を描いて飛んでくる。葵は軽く片手を上げると、それを受け取る。葵の手に収まったそれは、とても冷たかった。

 葵は目を細め、自動販売機を見て舌打ちする。


 「アイスかよ……ホットにしろよ」


 自身の手に握られているコーヒーがアイスコーヒーであることをしっかりと確認した葵は、不機嫌さを隠す様子もなくため息をつく。そんな葵を蓮は苦笑いして見ていた。


 「葵知ってるだろ。この自販機にゃホット売ってないって。だから不機嫌そうに俺を睨むな」


 「これはおごりか?」


 葵の質問に蓮が答える少し前に、葵は自身の手に握られている缶コーヒーのプルタグを引き、開ける。そのまま黒くて苦いその液体を口の中に流し込んだ。

 ちなみに、葵の質問に対する蓮の行動は肩をすくめただけだった。


 「じゃ、残り千三百八十四円な」


 「分かってるから言わなくていいぞ~」


 蓮の葵への借金。その総額が千五百四円だった。それが今回の缶コーヒー代がマイナスされ、千三百八十四円まで減額された。


 顔を洗ったり、軽く歩いたり、無駄話をして缶コーヒーを飲みカフェインを摂取したからか、葵の意識はだいぶはっきりとしてきた。流石に疲労感や倦怠感をごまかすことは出来なかったものの、睡魔に打ち勝つことくらいは出来たらしい。


 すでに空になった缶コーヒーの空き缶を手のひらで遊ばせること数秒、葵は一呼吸置くと空き缶を投げ捨てる。葵の投げた空き缶は吸い込まれるようにしてごみ箱に吸い込まれていった。


 「俺は教室戻る。蓮はどうする?」


 「あ~俺も帰るわ」


 「んじゃ、帰るぞ」


 「……葵、お前も苦労するな」


 少し間が空いた後、蓮は何とも言えないような表情を浮かべていた。恐らく、最近の葵と愛莉の絶えることのない噂話や、生徒会のことについて言っているのだろう。


 「お前にだけは言われたくないよ」


 葵はそう言い捨てる。


 「……そりゃそうだ。ま、死なない程度に頑張れ~」


 いつも明るいイケメンなチャラ男には真面目な空気は似合わない。蓮はすぐに明るい調子を見せると、どうでも話を始める。葵はその話を聞き適当に相槌を打つ。


 教室に戻ると、教室にいた愛莉と目が合った。


 その瞬間、葵は何故だかすごく嫌な予感がした。それは、愛莉の表情がいつもと違って見えたからかもしれない。

 次の授業の準備をするために立ち上がった愛莉だったが、次の授業の準備をすることはなかった。


 ドサ


 糸の切れた人形のように、愛莉はその場に倒れこむ。

 一瞬、教室のなかを静寂が支配した。


 「愛莉‼」


 静かな教室に、葵の叫び声だけが響いた。

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兄妹のように育ってきた幼なじみが、気づいたら彼女になっていた件 雪月涼夜 @shikkoku

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