夜のデート

 「やっぱり夜は寒いねぇ~」


 ゆっくりと夜道を歩いていると、隣を歩いている愛莉が呟くようにそんなことを言う。

 しみじみと呟くような愛莉の声。それは、すぐに白く染まり消えてしまう。だが隣を歩いている葵にだけは確かに届いていた。


 十一月とは言え、夜になればそれなりに冷え込む。コンビニに行くだけだったため、普通に出かけるよりも服装が軽装なのも冬の寒さを感じさせるのに一役買っている。


 さらには、数分前まで暖房の効いた部屋でまどろんでいたのだから、寒さもひとしおだ。

 だが、そんな寒さのことを、葵はあまり嫌いではなかった。


「そうだな……それに暗いからか、心なしか寒さ増してる感じする」


「あ!なんかわかるかも」


 夜は寒いもの。そんな固定概念に後押しされるように、気持ち的にも寒さを感じる。


 葵の右手は、寒さに凍えるようだった。右手とは反対に、コートのポケットに突っ込まれた左手はポケットの中でぬくぬく、とまではいかないものの寒さは感じていない。

 左手と同じように右手もポケットに入れれば寒さから解放されることは容易に想像できたが、葵は右手を襲う冬の夜の寒さを甘んじて受け入れていた。


 確かに右手は感覚的には寒かったが、気持ち的には温かかった。

 何故ならば、葵の右手は愛莉の左手と繋がれているのだから。


 家を出る前に、葵は愛莉と手をつないだ。ただ一度手をつなぐと、手を離すタイミングと言うものはなかなかないものだ。特に手を離したいという気持ちのなかった葵は、そのまま愛莉と手をつなぎ続けていた。


 愛莉もまんざらではない表情をしてくれているため、手をつなぐということが嫌いじゃないのかもしれない。


 十分ほど歩いた頃だろうか。葵と愛莉の視界に、コンビニが映りこむ。


「私ここのコンビニ来るの初めてかも~。こんな場所にあったんだ」


「あれ?前に教えなかったっけ?ここにコンビニあるぞって」


「そうだっけ…………あ!もしかして、葵くんが昔バイトしてたコンビニだったけ?」


「そうそう。ここで数か月間働いたんだよ」


 目の前にあるコンビニ。それは葵が昔、しばらくの間働いていたコンビニだった。

 両親が急に明太子を食べたいといって福岡に引っ越したころ、葵はマンションでの一人暮らしが始まった。そのころは今のように愛莉が家に来てご飯を作ってくれるなんてことはなかったため、葵が家のことを全部やっていた。


 両親からの仕送りそれなりの額があり、何ら不自由のない生活を送ってはいた。ただ頼りっぱなしにはなりたくないと思った葵はバイトをすることにしたのだ。その時にバイト先として選んだのがこのコンビニだった。家から近かったという理由だけで選んだバイト先だったが、葵は気に入っていた。


 そのため、バイトをやめた今でもよく利用している。


「私結局葵くんがバイトしてるところ一回も見れなかったんだよね~」


「見なくていいよ。大したことやってなかったし」


「え~見たかった!葵くんまたバイトしないの?」


「愛莉が家で美味しいご飯作って帰りを待ってくれてるなら考えないこともないかな」


 愛莉は葵のバイトしている姿を見たことは一度もなかった。


 そのころは、葵と愛莉の距離感が遠くなっていた時期だったと思う。別にお互いがお互いに嫌いになったとかそう言う理由ではない。


 ただただ、時間がなかっただけだった。


 愛莉は入りたての生徒会で忙しそうにしていたし、葵は初めてのバイトに初めての一人暮らしで、やっぱり忙しかった。

 だから次第に会う時間は短くなった。


 そして、そのころでもあった。葵と愛莉の距離が近づき、今の関係性に落ち着いたのは。


 今の心地の良い関係に落ち着いたのは。


「葵くん……」


 愛莉がいつになく真剣な表情で、葵の瞳を覗き込んでくる。愛莉が言いたいことが分かった葵は、愛莉の視線を甘んじて受け入れる。


「もし今度バイトするってなったら、私にちゃんと言ってね?」


 そう言う愛莉の瞳は少し不安げに揺れる。

 愛莉のそんな表情を見せられた葵は苦笑いを浮かべる。


「安心しろ。もう、愛莉を泣かせたくはないしな」


 葵はそう言うと、つないでいた手をより強く握る。

 すると、愛莉は葵の大好きな笑顔を見せてくれる。


「私あの時泣いてないんですけど~」


「いや、確かにあれは泣いてただろ。俺覚えてるし。寝てる俺に葵ぐぅんって抱き着いてきたじゃん」


「うぁぁ!だからそれは違うって何度も言ってるじゃん!」


「え~、嘘だぁ。あれ結構嬉しかったんだけど俺の勘違いだったのか?」


「ぅ!…………勘違いじゃないです」


 恥ずかしそうに顔を赤く染める愛莉を見ていると、葵はおかしくて思わず笑ってしまう。それにより、愛莉はさらに顔を赤くしてジト目で葵のことを睨んできた。


 これ以上笑って愛莉を不機嫌にさせるのもよくないと思った葵は笑いをこらえる。ただ、完全には抑えられなかったため愛莉は不満そうだった。


 ウィン


 そんな音とともに、コンビニの自動ドアが開く。それと同時に暖かな空気が体に触れ、先ほどまで寒さにさらされていた体を包み込んでくれた。


「ほら愛莉あんま怒るなよ。肉まん買ってあげるから」


「なぁ⁉私、葵くんに肉まん買ったら機嫌の直る女だとでも思われてるのかな?」


「え?治んないの?」


「治らないよ!第一私が肉まん好き、とか言った事あったかな?」


「や、それはあっただろ」


「ない……こともないけど、大好きっこではないよ!」


「ごめんごめん。冗談だよ」


 葵は笑って愛莉の頭を軽くなでる。すると愛莉は不機嫌そうに頬を膨らませつつも、しょうがないなぁといって笑ってくれる。


 愛莉の笑顔につられるようにして葵も笑ってしまい、傍から見たら笑われるだろうなと少し客観視したことを考えてしまう。


 少し冷静になったことで、葵はレジに立っている店員の存在に気づく。

 店員は葵と愛莉のほうを見ていたのか、レジのほうを見た葵と目が合った。

 葵と目が合った店員は軽くお辞儀をする。葵はその店員の顔を見てどこか引っかかった。


「葵くん?どうかした?」


 葵の表情のわずかな違いに気づいたのか、愛莉は棚に置いてあったお菓子を物色しながら聞いてくる。


「いや大したことじゃないんだが、レジに立ってる店員に見覚えないか?」


「店員さん?や、見覚えないよ?」


「そっか、ならいいんだ。変なこと聞いて悪かったな」


 愛莉は持っていたお菓子をいったん棚に戻し、レジに立っている店員さんのほうを見る。葵はどこかで見たことがある気がする。そんな風に思っていたのだが、愛莉には見覚えがないらしい。


 葵と愛莉は付き合いの長い幼なじみなので、葵の知り合いは愛莉の知り合いであることが多い。そのため、葵に思い出せない人だとしても、愛莉ならば、と思ったのだが愛莉の記憶にはないらしい。


「でも葵くん昔ここでバイトしてたんじゃないの?ならその時の同僚さんじゃない?」


「俺もそうかと思ったんだけどな。あの人とはここであったことはない気がするんだよな。ここじゃない、もっと頻繁に行くような場所で会ってる気がする」


 数か月ほど前だろうか。葵がコンビニでのバイトをやめたのは。仕事の内容や常連客の頼むたばこの銘柄なんかは忘れつつある葵だが、同僚の顔を忘れるほどの時間はまだ経っていない。


 あくまでも葵の知っている範囲でだが、今レジに立っている人はこのコンビニに居なかった気がする。

 もちろん、葵と働いている時間が違ったため会ったことがなかっただけかもしれないが、少なくとも葵はそうではない気がした。

 出そうで出ないことにもどかしさを感じずにはいられなかった。


「もっと頻繁に行くような場所?じゃあ学園?」


「学園か……それはあるかもな。一回廊下ですれ違っただけの人の可能性もあるしな」


「きっとそうだよ。それよりもこっちのカカオ濃いめのチョコと、ミルクの甘めなチョコどっちがいいと思う?」


 魚の骨がのどに刺さっているかのような不快感を葵は覚えていたが、自身に覚えのない人物についての質問に愛莉は飽きたのか、チョコを物色し始める。

 気になりはしているものの、あまり気にし過ぎるのも良くないと思った葵は店員のことをいったん記憶から排除する。


「生徒会の仕事は結構頭使うし、ミルクのほう買って糖分取った方がいいんじゃないか?」


「え~、でも夜に甘めのチョコ食べるのは罪悪感あるし……カカオ濃いめのほうにしよ!」


「……何のために俺に聞いたんだよ」


「葵くんは分かってないなぁ~。女の子がどっちがいいと思うって聞くときは大抵、どっちがいいかは自分の中では決まってるけど一歩踏み出せないから背中を押してほしいって思ってる時だよ?もっと女の子の気持ちを汲んであげないと、モテないぞ?」


「なんで愛莉相手にそんなめんどくさいことをしなきゃならんのだ。あと俺は顔がいいからそんな面倒くさいことしなくてもモテるんだよ」


「葵くん優しくな~い」


 文句を言いつつも、愛莉はちゃっかり葵の持っている買い物かごにチョコレートを放り込む。かごに入ったチョコレートは二個。


 愛莉が買うと言ったココア濃いめのチョコレートと、葵が選んだミルクの甘めなチョコレートだった。


「両方買うのかよ……」


「チョコはあって困らないよ?」


「そりゃそうだが」


 愛莉の言いたいことは分かる。チョコレートはいつも冷蔵庫に入っているイメージがある。集中したいときや、ちょっとお腹が空いたときに口に放り込んでおくとなかなかいいのだ。


 葵も冷蔵庫のチョコレートは切らさないようにと思うほどには重宝していた。

 しかし、それでもどっちで買うか迷っていたのに最終的に両方買うというのは少し欲張りな気もする。


「私夜のコンビニって初めて来たんだけど、なんかテンション上がるね!」


 その気持ちは葵にも覚えがあった。

 葵が一人暮らしを始めて間もないころ、初めて夜に一人でコンビニに行ったときはテンションが上がったものだ。


 だが、コンビニでバイトしたり、何度も夜に行ったりしていたためそんな気持ちは忘れていた。だがら夜にコンビニに来たことでテンションが上がっている愛莉を見て、ほほえましく思う。


「っと、缶コーヒーを五本と、エナド三本くらいでいいかな」


 飲み物コーナーの前まで移動した葵はいくつかの飲み物を見繕う。缶コーヒーはお気に入りのメーカーがあるためそれをがばっと取り、エナジードリンクはどれにするか少し迷う。


 何度も言うようだが、葵はあまりエナジードリンクを飲まない。だから特にお気に入りと言ったものがない。お気に入りはないのだが、嫌いなものはある。エナジードリンクと言う飲み物は、随分と飲み手側を選ぶ飲み物だと思っている。

 そのためあまり適当に買うと口に合わないこともあって悩むのだ。


「愛莉。エナドリの中だとどれがいいと思う?」


「ん~、葵くんにはあんまりこういうの飲んでほしくない……って言うのは駄目?」


「駄目。どれがいいと思う?」


「しょうがないなぁ~。じゃあこれ」


 愛莉はそう言うと、数あるエナジードリンクの中から一番内容量の少ないものを選んだ。

 おそらく、葵の健康を気遣ってくれたのだろう。


「ほ~い」


 葵は特に迷うこともなく愛莉の指さしたエナジードリンクを三本取ると、かごの中に放り込んでいく。


「わぉ。即決だね」


「飲めればどれでもよかったし。ま、こんなもんか」


 入った時よりも明らかに重さの増しているかごを見ると、かごの中にはそれなりの量の商品が入っていた。


 葵が入れた缶コーヒー五本にエナジードリンク三本。愛莉が入れたチョコレート二個に、いつの間にか入れられていた食パンがあった。


 ちらっと愛莉のほうを見ると、パン切れてたからちょうどよかったよと言って笑っていた。チョコレートを買うためについてきたのかと思っていたのだが、明日の朝食用の食パンを買うためについてきたらしく、葵は少し感心する。


「愛莉。ほかに買うものないか?ないならレジ行っちゃうけど」


「もうないかな~。これが夏だったらアイスでも買って帰るんだけどね」


 そういう愛莉の視線の先にはアイスのコーナーがあった。確かに今が夏だったらまず間違いなく買って帰っていただろう。冬の今ですら買いたいと思ってしまうのだから。


「アイスと言うわけじゃないけど、肉まんでも食うか?」


「いいね~って言いたいところなんだけど、もう夜遅いよ?こんな時間に食べたら太っちゃう」


「一個買って、それを分ければ量は半分になるぞ」


「ぅ!葵くんが悪魔のささやきをしてくる!そんなに私を肥えさせたいの?」


「そう言うわけじゃない。分かった。要らないんだな?」


「要りません!」


「おお~。よく誘惑に打ち勝ったな」


「いつまでも欲望に忠実な私じゃないんだよ」


 どこか誇らしげに胸を張る愛莉。どうやら誘惑に打ち勝ったのが嬉しいようだ。

 ほかに買いたいもののなかったため、ふたりはレジに向かう。


「あ!ごめん葵くん。私お財布家に忘れちゃった……」


「別にいいけど。元々俺が払うつもりだったし。って言うかほとんどが俺のだし気にすんな」


 かごに入れていた商品のバーコードが次々とスキャンされていくのを見つつ、葵は財布を開く。合計金額は二千円に届かないくらいだった。


「あと、肉まん一個ください」


 葵の肉まん注文を聞いた愛莉が驚いた表情で葵のほうを見てくる。


「私食べないよ?」


「分かってるって。俺が食いたかっただけ」


 ほどなくして、商品と肉まんの入った袋を店員から受け取る。

 最後にもう一度だけ店員の顔を凝視して記憶をさかのぼるも、名前も場所も浮かんでこなかった。最後にもう一度だけ店員の顔を凝視して記憶をさかのぼるも、名前もあった場所も浮かんでこなかった。


 それなりの量の買い物だった為、ビニール袋は葵の手にずっしりとした重量を伝えてくる。ただ、愛莉と買い物に行った帰りに比べれば、軽い方だった。

 葵はビニール袋を漁り、未だ温かさの残る肉まんを取り出す。


「いただきます」


 ホカホカと温かい肉まんは再び外の冷気にさらされた葵を温めてくれるようだった。

 皮はふわっとしていてやわらかく、中の餡は肉がじゅわーっとしていておいしい。


 最近は生徒会の仕事が忙しい影響で夜ご飯が早い。なるべく早い段階で食事などを済ませ、生徒会の仕事に集中できるように配慮した結果なのだが、夜ご飯を食べる時間は早くなったのに、寝る時間は遅くなっているのが現状だ。

 当然お腹が空いてしまうものだろう。


 美味しそうに肉まんを食べる葵のことを、なぜか愛莉はじーっと見つめてきた。その表情はどこかうらやましそうだった。


「食うか?」


 葵がそう言って肉まんを愛莉のほうに差し出すと、愛莉は表情を明るくさせる。それは一瞬のことで、先ほどの葵とのやり取りを思い出したのか、愛莉は食べる気配がなかった。食べたそうに見ていたが。


「あ~、愛莉。俺だけじゃ食べられそうにないからちょっと食べてくれって言ったら、食べるか?」


「⁉……葵くん、最初っからそのつもりだったでしょ」


 少し驚いた表情を浮かべたが、付き合いの長い幼なじみである愛莉にはやはり、葵の考えていることなどすぐにばれてしまうようだ。


 愛莉は少しだけ笑うと、肉まんにパクっと噛みつく。

 意識したわけではないのだろうが、愛莉がかみついたその場所は、ちょうど葵がかじったところと同じところだった。


「間接キス……か」


 肉まんに噛みついた愛莉を見た葵は、小さく呟いた。


「ん?葵くんってそういうこと気にするタイプの人だっけ?」


 葵のつぶやきが聞こえたのか、愛莉は不思議そうに首を傾げる。


「そう言うわけじゃないんだけど、今日散々学園で言われたなと思ってな」


「あ~そう言えばそうだったね……」


 学園での出来事を思い出してしまったのか、愛莉は少し苦い表情を浮かべる。自分の表情を確認することは出来ないが、葵も恐らく同じような表情を浮かべていたことだろう。


 今日の朝は寝坊してしまったこともあり、葵と愛莉はふたり一緒に、揃って登校した。手をつないだままだったのは後になって後悔した。


 ただ、何よりも言及されたのは間接キスをしたことだった。


 寝坊したことで朝食を食べられていなかったため、葵も愛莉もゼリー飲料で朝食を済ませたのだが、それが間接キスだったと言われたのだ。


 確かに間接キスをしたかどうかと問われたら、間接キスをしたことになるだろう。

 これが小学生や中学生のころだったらと言った子供のころならば納得できるのだが、まさか未だ言われると思っていなかったため葵は少し驚いた。


「愛莉、学園での俺たちの関係は……生徒会役員同士ってことでいいんだよな?」


「…………葵くんはどうしたい?やっぱり学園でも幼なじみとしていたい?」


 葵の問いかけに対し、愛莉は少し困ったように笑っていた。


 つい最近まで、葵と愛莉は学園では会話すらしていなかった。それはお互いのことが嫌いだったからとか、話したくなかったからと言ったような理由でのことではない。


 本音を言えば学園でもたくさん話をしたり、一緒にお昼を食べたりと言ったことがしたかった。ふたり一緒に居る時が最も安心するし、楽しいから。


 しかし、そう言うことを実際にすることは決してなかった。


 理由はありふれたものだった。


 自慢するようなことではないが、葵は幼いころから他の人よりも優れていた。頭は良かったし、容姿だって多くの女子から好意を寄せられるくらいには整っていた。


 愛莉だって似たようなものだった。頭はそこまでよくなかったかもしれないが、容姿は優れており、愛莉に好意を寄せていた男子はクラス内だけにとどまらなかっただろう。


 そんな注目の的ともいえるふたりは幼なじみで、いつもとまではいかないものの、一緒に居るのだ。美女と野獣のような関係ではなかったため、嫉妬されると言ったことは少なかったものの、よくからかわれたものだった。

 それがずっとだった。


 今だったら笑ってすますことも出来たかもしれないが、心も未発達な子供のころに周りからからかわれ続けたのだ。

 いつしか、葵と愛莉の関係は離れてしまった。


 そのころは今のように葵が一人暮らしをしているというわけでもなかったため、愛莉が頻繁に家に来るということもなかった。


 昔のような事態を避けるため、学園では距離を取っていた。だが、葵が生徒会の仕事を手伝ったことで学園での距離が近づいてしまい、今では付き合ってるのではと聞かれるほどになってしまった。


 今が、ふたりの関係の転換期なのかもしれない。

 ただ、葵の思いは昔から全く変わってなかった。


「俺は正直どうでもいいかな」


「どうでもいい?」


「うん。俺はさ、学園で愛莉と話せなかったとしても、今みたいに話せたらそれで幸せなんだよ。家に帰ったら愛莉にただいまと言える、家でゆっくりしてるときに愛莉が帰ってきておかえりと言える。これで充分なんだよ」


「……葵くん」


「ま、学園でも話せたらもっと幸せだけどな」


 葵のその言葉を最後にして、しばらくの間ふたりの間を静寂が支配する。

 それは、苦にならない静寂だった。


「もうちょっと……待ってほしい」


「いつまで?」


「生徒会の仕事が終わるまで……うんん、やっぱり文化祭が終わるまで。それまでに学園での私たちの関係性を、決めよ?」


「ん、分かったよ」


 少し話し込んでしまったからか、葵の手に握られている肉まんはすっかり冷めきってしまっていた。

 冷めきってしまった肉まんを、葵は口の中に放り込む。


 冷めきってしまったはずの肉まんは、何故だか少し温かく感じた。

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