第3話

「ていう訳だ、ステラ。オーロラと子作りする薬ほしい」

「………………このバカ犬は頭でも打ったのかい?」


 美しい男には基本甘い――何故か僕一人を除く――金色の魔女も、さすがにこの頓珍漢なお願いには困惑を隠さなかった。でかい身体でのしのし楽屋を突っ切って魔女の研究室へ突進する狼が心配でついてきた僕とヘレンに、ステラの菫色の瞳が注がれる。代表して僕が解説を引き受けた。


「エレンのことをオーロラと見間違えて僕を叩き起こしに来たんだ。で、違うよって彼女を紹介したら、一目ぼれしちゃったんだって」

「そうかい。それじゃお前の仕事さルイ、力いっぱい殴り殺しておやり」

「なんでそういう過激なことすぐ言うかなあ!?」

「ルイ、俺死にたくないぞ」

「お前はちょっとお黙んなさい。だいたいなぁ、ヘレンの意思も聞かずに強引すぎると思わないのか。彼女は慎み深い幽霊だぞ。狼の交尾とは違うんだ。彼女のことを知ろうともしないで、失礼だろう!」


 思わず僕の実績のない恋愛美学が炸裂する。

 ユーリは間の抜けた顔のままぱかっと口を開き、頷いて手を打った。


「そっか。幽霊と交尾するには順番があるのか」

「違…………まあ、いいか、うん……」

「だめルイ、あきらめないで……助けて」


 怖がってほとんど床に埋まったヘレンが弱々しく言った。


「そもそも彼……人間なの? それとも、あなたたちみたいな何かなの……?」

「あれ、言わなかったっけ。彼は人狼ってやつ。半分狼、半分人間見習い。脳みそ5歳児くらいのでっかい子ども」


 ヘレンは疑り深い目だけ出してユーリを観察している。

 ユーリは元気よく頷いてしゃちほこばってみせた。


「次の満月見せてあげるよ」





 賑々しい歓楽街であるモンマルトルも、午前三時にはおおよそ酔い潰れて大人しい。喧噪の遠ざかった薄闇に浮かび上がる街並みを眺め、白いドレスの幽霊と毛布を被った銀髪の美丈夫は露台に並んで座っていた。


 劇場にたむろする連中の中では比較的まともな吸血鬼──つまりは僕の発案でお膳立てされた満月の逢瀬である。あまりに空回りするユーリにうんざりした僕は、噛み合わない彼らにまともな場所を作ってやった。蜘蛛の巣だらけでガラクタの積み上がった窓際を片付けてレースのカーテンや舞台用の天幕、蝋燭なんかで飾り、クッションを積み上げてあげてある。僕は恋人と窓辺で語らったことなんてないが、小説で読んだから悪くないはずだ。


 ステラはユーリが狼に戻ると言った途端興味を失くし、部屋に戻って眠ってしまったようだ。お子様の身体のせいなのか、昔より長く眠る。

 僕はと言えば部屋のソファに一人で座って拾ってきた新聞を捲りつつ、鋭敏な聴覚で嫌が応にも二人の会話を洩れ聞いてしまって不貞腐れているところだ。


「ねえ……もう何時間も焦らしているわ……早く変身して見せて」

「もうちょっと月光浴。それに狼になったら喋れない。でっかいから窮屈だし。俺、まだヘレンとお喋りしたいな。君の声は歌ってるみたいだ」

「あなた……恥ずかしいわ……」

「なんで?」


 ちら、とヘレンが僕の方を振り返った。僕は新聞を視界に引き上げてノンと応える。そいつは見て思ったことをそのまま言っちゃう素直な奴なんだ。深い意味なんてない。


 顔を背けるヘレンが気になるのか、ユーリは身を乗り出して彼女の匂いを拾おうと忙しなく鼻を動かしている。どうにも身体に染みついた狼の習性を使い分けられないようだ。


「へんなの。ヘレンはここにいるのに。どうして触れないんだろう」

「……あなたは生きてて、わたしは死んでるから……」

「死んでないよ。見えるんだから、俺の目の中では生きてる。銀色の兎を捕まえるから、君にあげるよ。俺のいた森で魔法使いって言われてた。願い事が叶うんだ。ヘレンの身体をちょうだいってお願いするから、叶ったら俺と交尾してね」

「……もう少しお利口さんにならないと、ダメ……」

「利口な雄が好きか? ルイみたいな?」

「ルイは可愛いひとだけど……弟みたいだわ……」

「強いなら弟でも闘って番っていいって教わったぞ」

「おばかさんなワンちゃんね……」


 ヘレンの忍耐力は大したものだ。頭が痛くなってきた僕は活字が目で追えない。協力してユーリには人間社会のモラルというものを教え込まなければならないようだ。

 彼のペースに合わせるのは疲れたのか、ヘレンがふわりと浮かび上がりながらユーリの碧眼を覗き込んだ。


「ねえ……冬の森はどんなところ……?」

「白くてきらきらしてて、ここよりずっと寒い。でも、臭くないしずっと綺麗なところだ。連れていけたらいいのにな」

「良いわね……行ってみたい」

「俺の脚ならすぐだよ」


 ユーリは微笑んで身震いすると、頭上の月に向かって喉を反らした。白く逞しい身体の骨格が組み変わり、全身が白銀の長毛に覆われていく。鼻先は伸び、口は大きく裂けて鋭い牙が備わる。ぴんと立った耳とふかふかの尻尾が立ち上がると、楽屋裏の露台には大きな美しい獣が四足を着いて佇んでいた。


 先ほどの頓珍漢と同じ生き物とは到底思えぬ雄々しい貫禄を備えたユーリは、漂う幽霊を目で追いながらクッションの上にゆっくりと伏せた。


 両目を据えたまま夜風に身を任せていたヘレンは、静かに彼の前に下りて来てそっと手を差し伸べた。月光を受けて淡く発光しているようにさえ見える毛並みに指を滑らせようとして、その手はするりと空を切った。


「美しいわ、ユーリ……あなたに触れられたらよかった」

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