第2話

 身なりの良い少女とちぐはぐな若い男二人。並んで歩けば十中八九誘拐犯にしか見えない。


 そんなわけで僕たちは満月を待ってミュルーズで一週間ユーリが狼に戻るのを待ち、ステラを抱えてパリまで五百キロ近い駆けっこをした。お気楽な狼は鼻炎止めに貰った匂い袋をクンクン嗅ぎながら絶好調で疾走し、しょっちゅう先走って勝手に道を逸れた。ステラにはユーリに乗ってほしかったのに、乗り心地が悪いとか言ってずっと僕にしがみ付いていた。


 都市に近づくほどユーリは目立ちまくったため、ステラが少女の化けの皮を被って「おじいさまにいただいた橇を引く犬」と言い張って誤魔化したが、流石にフォンテーヌブローあたりで人間に化けさせ、通り道の古着屋で買い集めた16世紀の没落貴族みたいな恰好の服を無理矢理着せて夜を歩いた。


 ようやくモンマルトルの旧ヴィユー劇場へ戻って来た僕らは、へとへとになって無言のままそのへんで眠った。ようやく戻った僕らに挨拶しに来たヘレンは、床で寝ている見知らぬ大男に驚いて近所迷惑な絶叫を響かせたが、僕たちは彼女に説明する余力もなく薄く埃を帯びた床にキスして昼まで眠ってしまった。





「ルイ起きろ、北の輝きだ!」


 バタバタと頭の上で響く足音に叩き起こされ、僕は節々の軋む身体を起こして長い髪を掻き上げた。ユーリはまだ人間の身体では手加減ができないのか、すっぽ抜けそうな勢いで僕の肩を叩きながら早く早くとしきりに急かす。彼が飛び跳ねる度床がミシミシと不吉な音を立てるので、僕は努めて静かな声を作って彼を宥めた。


「図体でかいんだから暴れたら床が抜けるよ。何?」

「се́верное сия́ниеだよ、なんて言うんだっけ、ええと……オーロラ!」


 大都会パリ、それも昼間に一体何を言っているのか。長椅子に移動して夕方まで二度寝したい僕は不機嫌だった。それでもユーリに万力みたいな膂力でぐいぐい腕を引かれるので、渋々部屋を出て楽屋の通路に立つ。

 ユーリは興奮した様子でそわそわと上の方を眺めている。男の姿をしているのに、ぶんぶん振っている尻尾が見えるかのようだ。


「ここで見たんだ。オーロラ、もう消えちゃったかな」

「…………ああ、わかったぞ。エレン、出ておいでよ。紹介する」


 僕が声を掛けると、ヘレンはしばらくして床からすうっと浮き上がって来て、こちらに恨みがましい目をじっと据えた。見知らぬでかい男がばたばた埃を立てている故だろうか。悪感情を帯びて炎のようにゆらゆらしているヘレンの怒りを察し、僕は慌てた。


「怒らないで、ごめんよ。事情も説明しないで連れ込んで悪かった。いろいろあってさ……疲れて寝ちゃったみたいだ。彼はユーリ」

「そっちは怒ってないわ」

「あれ、そうなの?」

「こんなに長くなるなんて……帰って来ないのかと思ってしまったわ!」


 声を荒げるヘレンの姿は人の姿から遠ざかり、霧状に大きく膨れ上がる。廊下全体が歪んで震えているような錯覚を起こし、彼女のこの世ならざる声をわんわん響かせた。

 僕とステラが転がり込んで来た頃は遠慮がちに漂うだけだった彼女がこんなことを言うとは思いもよらず、僕は眉尻を下げて迎え入れるように霧の中へ両手を差し入れた。


「抱き締めてあげられないのが切ないよ。ごめんね、エレン」

「……みんな、ずっとここにいたらいいわ……一人でお稽古するには広すぎるもの」


 再び人の姿を取って現れたヘレンはまだ顔のあたりがもやもやしていたが、僕が伸べた手に細い手を重ねるふりをして応えてくれた。それから新入りの方へようやく向き直り、俯きがちに会釈する。


「取り乱してごめんなさい……えっと、ユーリ。人が増えて嬉しいわ……私はヘレンよ」

「きれいだ……」


 てっきり怯えて黙っているかと思われたユーリが、上の空で呟いた。体躯は190近くあろうかという大男は、目の前に浮かぶヘレンをうっとりと眺めて周りをぐるぐる回り始めた。美丈夫の身体だが行動は基本的に犬と同じである。

 そうとは知らないヘレンは仰天してその場に凍り付いてしまった。


「君は、オーロラみたいにきれいだ! 君はなに? どうして飛べるの?」

「え……ええ? ルイ、この人なあに……?」

「彼、半分狼なんだ。森に棲んでたから感じ方が独特っていうか、人間になりたてっていうか。思ったことそのまま言ってるだけ」

「……どうしてちょっと怒ってるの?」

「べっつにぃ」

「俺、帰るのやめた。ステラは俺のこと、ホーコーオンチって病気だって言ってたし。だから治るまでヘレンの傍にいる。決めた!」

「「ええ……?」」

「それで、ヘレンと子作りする!」

「「えええ!?」」

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