un prêtre

第1話

 月光を紡いだ絹糸の如き白金糸の長髪に、透けるような白い肌。通った鼻筋に形の良い唇を備えた美貌、すらりとしなやかな長身の肢体。それがこの僕、便宜上の分類を吸血鬼と説明せざるを得ない逸脱者の姿である。


 僕ことルイは、その自慢の容姿を擦り切れたケープですっぽり覆い、目下パリ郊外の平原を疾走している。

 煌々と明るい満月の夜。機嫌も具合も実に良い。人間の二倍以上早く回る軽やかな脚を繰り、風を裂いて進む爽快さは他の何にも変え難い。これで空まで清々しい快晴であれば良かったが、白み始めた地平線を追いかけるのも悪くはない。

 時刻は日曜日の午前五時。このまま走って七時のミサに参加するのだ。生き物が眠りについた空白の時間を束の間自分だけが手に入れたような優越感と共に、草の中を突っ走るこの解放感はたまらない。


 目的地である〈善き羊飼いの教会〉は風の強い丘の上に建っていて、塗装の禿げたベツレヘムの星の薔薇窓を備えた石造りの小さな教会だ。その昔、近くの村のガラス職人が色ガラスと偽って塗料で安上がりに製作し、浮いた金を持ち逃げした逸話を持つ侘しき星だ。毎週日曜日になると近くの村から人々が向かい風に顔を顰めながらぞろぞろと丘を登って来て、慎ましいミサをする。


 レオナール神父は気の良い老人で、村からやや外れたこの教会で一人、節制と禁欲を重んじて暮らしている。皮膚病の老人──を装った僕──にも優しく、告解室で神父と語らう時間は、僕にとっての数少ない憩いの時間だ。神父もよいお歳で少し頭がぼけていて、僕が自分のさがとの葛藤を吐露しても途中で眠ってしまうことが多くなっていた。僕の方も誰かが適当に相槌を打ってくれるだけで良かったから、それで十分だった。

 




「新しく赴任したジャン=クロードと申します。みなさんどうぞよろしく」


 一番後ろの椅子で縮こまって座っていた僕は、規則正しい足音と共に説教台へ上った若き神父の声を聴いて愕然とした。

 なんてことだ。


「レオナール神父は火曜日に心臓麻痺で亡くなられた。〈私は天と地と地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にまします方と小羊とに、賛美と誉れと栄光と権力が世に限りなくあるように』。ヨハネの黙示録五章一三節〉。まずは彼のために、みなで黙祷を――エィメン」


 村人たちは既に知ってのことだったのか、ただ静かに手を合わせて神父に倣った。僕もかたく両手を合わせ、彼のために祈る。

 天の父上、どうか彼の御霊をお迎えください。


「さて、開祭の儀を前に、ひとつ明らかにせねばならないことがある」


 ぴり、と肌を刺す緊張感に、僕の体は本能的な異変を察知した。

 神父の踵が冷たい石床を叩いてゆっくりとこちらへ歩いて来る。僕は顔が見えぬように細心の注意を払いながらフードを少し上げ、目の前で立ち止まった彼の逞しい脚を見て身構えた。神父というより軍人のような精悍な体つきの男だ。僕はますます身を縮こめながら皺枯れ声を整えた。


「ここに通って長いようだな」

「重い皮膚病で陽の光に当れません。天の父上にお慈悲をいただきたく……」

「どこに住んでいる?」

「既に老いて足腰の儘ならぬ身、隠者のような暮らしをしております……」

「お前にひとつ教えておこう。老人は腰ではなく背中が曲がるのだ! 悪魔よ、姿を現せ!」

「何をす、ちょっ――力つよっ!」


 万力のような膂力で胸倉を掴まれて無理矢理立たされ、まるで紙でも裂くようにケープを破かれる。丁寧に服の下にしまっていた自慢の長い金髪が肩から零れ落ちて僕の美貌が露わになると、ミサに参加していた村娘たちがはっと熱っぽい息を殺したのがわかった。普段ならば投げキッスでもして仲良くなりたいところだが、今日はウインクさえサービスする余裕もない。ユーリに負けずとも劣らぬ体格のジャン=クロード神父は、剃刀のような鋭い面を冷徹に顰めてこちらを見下ろしていた。


「やはりな。レオナール神父が何かを匿っているとの密告は本当だった」

「何かって何のことです神父様、僕はただこの美しすぎる容姿はみなさんに毒カナ~と思って……」

「試してみるか?」


 神父は袖口から細長い小瓶を引っ張り出して僕の目の前で振ってみせる。勿論僕の襟首を締め上げている右手はちらとも緩まない。


 僕は努めてにこやかな表情を貼りつけたまま、彼が瓶の蓋を開ける一瞬の隙を慎重に計る。神父の薄い唇が開き、行儀の良く並んだ前歯が蓋を引いた瞬間、僕は神父の脚を蹴飛ばしてよろめくように後ずさった。僅かに遅れて放られた聖水が僕の脚元で弾け、飛沫が名残惜し気に飛んで来る。


 とはいえ僕はこの通り教会にも入れるし聖書も十字架も平気だ。聖水なんて多分飲んでもへっちゃらだ。この19世紀に聖水なんてものを浴びて滅ぶ吸血鬼など、時代遅れにも程が――


「──あっっっっっチィ何これ!?!?」

「効いてるぞ、投げろ!」


 神父の号令と共に、様子を伺っていた村人たちが一斉に立ち上がり、同じく懐に忍ばせていた小瓶を手あたり次第にこちらへ投げつけ始めた。無色透明の液体がかかった場所が灼けるように熱い。衣服は溶けず、濡れて肌に張り付いた場所から屋台で嗅ぐ焼肉の香りがする。腐乱臭じゃないだけマシだろうか。


 僕は華麗なステップで背後に飛び退り、門目がけて突進しながら叫んだ。


「敬虔な信徒に石を投げる迫害者め、ステラに言いつけてやる――――っ!!」

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