4話

「そもそもハオランがなぜ君の存在に疑問を持ったかと言うと——」

 そう言いながらダニエルが、未だ機嫌が悪そうなハオランに目を向ける。その視線の先で、ハオランが顔をしかめたまま投げやりに答えた。

「店の売り上げが伸びたからだよ」

「ちょっと待ってください」

 礼一がむっと眉を寄せる。

「売り上げが伸びたのは、ぼくの営業努力の結果で——」

「ばっか、そりゃ二、三倍なら可能性もなくはないだろうよ。おれもはじめはそう思ったさ。でもなあ」

 ハオランがじろりと礼一を見やりながら言った。

「十倍だぞ! たかが一週間で。あんたはいろいろ理由をつけて単純に喜んでいたが、あるわけねえだろうが、さすがに!」

 言葉に詰まる礼一から、ぷいっと顔をそらして、ハオランが続ける。

「観察してみりゃ、常連のやつらはこいつの愛想笑いにのせられて無駄に色々買っていく、窓からこいつに目を留めた通行人は、引き寄せられるようにふらふらと店に入ってくる。男でも女でもお構いなしでね。それにまあ、実際にこいつの引力にやられかけたやつもいたみたいだし」

 言いながら、ハオランがその視線をちらりとクリスに送ったのがわかった。青年が続ける。

「こいつはこいつで、相手がゲイならそれなりに警戒していても、違うと思ったら途端に無防備だ。こっちが牽制してやってても気づきやしねえ」

「ハオラン、考え過ぎではありませんか。勘違いだったら、お客さんに失礼ですよ」

 礼一の言葉に、ハオランは疲れた表情で遠い目をする。

「……これだよ。おれの苦労が分かるだろ」そう言ってまわりに同意を求めてから、続けた。「こいつ何者だ、と思ってよく見ていると、何かがおかしい。その何かがずっと分からなかったが、こいつが明るい場所にいる時に気づいた。人間のくせに、あいつらと同じ気配がすると」

「ああ、あのストーキングの時ね」とターニャがぼそりとつぶやく。

「おれは、イルカが懐く理由はそこだと思った。あいつらの中にも緩やかな上下関係が存在していて、それがこいつとイルカの関係に似ていたからな。——いや、こいつらの方がもうちょっと関係は緊密に見えるが」

 そう言いながらダニエルに向かって視線を投げ、それを受けたダニエルが口を開いた。

「わたしも、同意見だ」

「でも、今までそのようなことはありませんでした。日本ではどちらかというと、地味に暮らしていたんですよ」

「鈍すぎて気づかなかったんじゃねえの」

「そんなわけないでしょう!」

「わたしには、君のような知り合いが何人かいるのだが」

 長くなりそうだと思ったのだろう。ダニエルが二人の会話をやんわりと遮って言った。

「彼らのほとんどは、物心つく以前の段階で何らかのブロックがかかっているんだよ。おそらくは、この世界できちんと適応していけるように」一拍置いて、付け加える。「何より、まわりの目をごまかすことで、その身を守るために」

「身を守る……」

「彼らは口を揃えて、ある時点までは、とても地味に生きてきたと言うのだよ。何らかの大きな変化が自分の中で起こり、そのブロックが外れるまではね」

「その方々には、やはりぼくのようなことが起こったのですか?」

 礼一の問いに、ダニエルは首を振って答えた。

「多かれ少なかれ、独特の雰囲気が人目を惹くようにはなるが、君ほどではないな」

 そして同情のこもった視線を礼一に向けながら続ける。

「君は彼らよりずっと濃い血を引いているようだし、何より人魚は人々を魅了する一族だ。何が君の中で起こったかは知らないが、ブロックが外れてしまった以上、腹をくくって何か対策を講じた方が建設的だろう」

 いつの間にか、自分が人魚であることが前提に話が進んでいることに気がつき、礼一は「まだそれを認めたわけではない」と心の中でつぶやいた。

「ちなみに、わたしの目には、君の首筋あたりに大変美しい色の鱗が見えるよ」

 聞きたくなかった、と思いながら礼一は沈黙を守る。

「明るい光の中でなら、君のもうひとつの姿をもっとしっかり見られるのだが。きっととても魅力的なのだろう」

 ダニエルの言葉に、礼一は「どうでしょう」と控えめに答えた。

「まあ、いざとなったら家に逃げ込めばいい。あそこは特別な場所だから」

「特別な場所、ですか」

 そう聞き返してから、礼一はクロテッドクリームのたっぷりのったスコーンをさくりとかじる。  クリスの提案で並べられたアフタヌーンティーセットは、シャンデリアにきらきらと照らされ、ほとんど芸術的な美しさだ。——そして部屋の様相をますます会議室と言う名前から遠ざけていた。

 礼一の隣で、ターニャが幸せそうにいくつかのケーキを皿に乗せ、そのさらに隣では、ハオランが一口サイズだが具沢山のサンドイッチを口に放り込んでいる。

 クリスとエドは向かい合って座りながら互いに目を合わせることもなく、それぞれハーブティーとコーヒーを淡々と口にしていた。

 そのような一同の様子を一通り眺め、ダニエルは再び口を開く。

「あそこは小さいながらもエネルギーが吹き出している場所だ。それに気がついて、慌てて買い取ったのだが、わたしなりに場を整えて、エネルギーの流れを良くしている。それだけでも変なものは近寄れない」

 そう言って、楽しそうに目を輝かせながらにやりと笑った。

「それに入り口にも軽く細工をしているから、居住者に招かれた人間でなければ入ることができない」

「それは、すごいですね。そんなことができるなんて」

「ああいう場を欲しがる人間は意外と多いのでね。それに何も知らない人間に荒らされても困る」

 そんなことを口にするダニエルの目はしかし、どう見ても秘密基地の改造に心血を注ぐ少年のものだった。

「——それから、竜の襲撃についてだけれども」ダニエルの声色が、心持ち変化する。「まあ大方の予想通り、わたしを狙ったもののようでね。実は昨日が三回目の襲撃だった」

「初耳だわ」怒ったように、だが気遣わしげな表情でターニャがつぶやいた。

 礼一は軽く息をのみながら「よくご無事で」と口にする。クリスとハオランは知っていたのだろう。沈黙を守って先を促した。

「初めの襲撃では、竜を操っている人間が不慣れだったようで、隙をついて逃げ出すことができた。二回目はたまたま、エドに竜についての話を聞いていたところでね」

 わたしの運がいいのか、彼らがよほど運に見放されているのか、と苦笑しながらダニエルが続ける。

「なかなか大変な目にはあったが、彼のおかげで、その時もなんとか逃げ出すことができた。——そして昨日だが、レーイチ」

 ダニエルが改めて礼一に向きなおる。「君のおかげで、なんとあの竜を襲撃者の支配下から解放することができた。心から感謝する」

「……やめてくれ、ダニエル。そんなことを言って、またレーイチが無茶をしたらどうするんだ」

「……頼むからこいつを調子に乗らせるなよ」

「いえ、解放したのはエドです」クリスとハオランの言葉を聞き流しながら、礼一は答えた。「ぼくができたのは時間稼ぎだけです。いなくてもあなたは無事だったでしょう」

「いや、君のおかげだ」

 それまで黙々とコーヒーを口にしていたエドが、ふいに言った。

「二回目襲撃の時、操られていたとはいえ、あいつはそれほど躊躇うことなく攻撃してきたから、足止めして逃げるのが精一杯だったんだ。あいつらは尊敬すべき存在だとは思うが、そう我慢強い方でもない。君の言うことを聞いてコントロールに逆らうとは——おれにしてみれば、衝撃以上の光景だった」

 その言葉に、昨晩エドが扱いの差に文句を言っていた様子を思い出し、礼一はふっと笑う。

「少しはお役に立てていたのなら、良かったです」

「君たちがあの竜を解放してくれたおかげで、操っていた人物は痛い目にあっただろう。まず無事では済まなかったはずだ。これでしばらくはこちらに手出しできないと考えている。——おかげで、わたしもようやく家に帰ることができそうだ」

「なかなか帰って来ねえと思ったら、そういうことかよ」

「結界を張っているとはいえ、あの場所を特定されるようなことは避けたかったからね」

「ふん」

 鼻を鳴らしたハオランに向かって苦笑してから、ダニエルが続けた。

「ただ、こちらに余裕ができたからと言って、わたしものんびりと向こうの出方を待つつもりはないのだよ」

 そう言って、大変美しい所作でカップを置いたダニエルが、礼一に向かってにっこりと笑いかける。反射的に微笑み返した礼一を見つめながら、ダニエルが続けた。「レーイチ、わたしに君の力を貸してくれないだろうか」

 その瞬間、四つの席が同時に音を立てた。

 そして、ダニエルの言葉にではなく、椅子の音に驚いた礼一の目の前で、音を立てた四人が異口同音に反対の意を表明してみせたのだった。

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