第23話 束の間の『日常』(三)

「どうしたの、Dr. クレイン ? 」


 私は、この上なく不機嫌そうに、乱暴に車のドアを閉めるDr. クレインに作り笑顔で話しかけた。


「馬鹿な真似はするなと言っただろう!」


「馬鹿な真似?......私は何もしていないわよ?」


 しれっと返す私に彼はますます頭から湯気を立て、怒鳴りつけた。


「惚けるな、あのエアバイクはなんだ? .....あれは、シリアルNo.196だろう?......いったいどういうことなんだ?」


 私は肩で息をついて、Dr. クレイン、イーサンを真っ直ぐ見て言った。


「知らないわ......シリアルなんとかなんて。私は家の近くに倒れていた怪我人を介抱していただけよ。」


「何故、関わる?......関わるなと言った筈だ!」


「イーサン、私は医者よ。目の前に怪我人がいるのに放置しておくの?そんな医者が何処にいるの?」


 私の反論に、彼は一瞬、言葉に詰まった。が、今度は彼の方が大きな溜め息をついた。


「アーシー、君は事の重大さがわかっていない。彼女に関わるのは『危険』なんだ」


「危険?......あの子は普通の子よ。いったい何が危険だというの?」


 私はなおも正面から彼と向き合った。私は何も間違っていない。彼は私の視線を避けるように顔を家の中に向けた。


「ゆっくり話がしたい。コーヒーを入れてくれないか?」


 私はディートリヒ=夫の留守に余所の大人を家の中に入れるのは気が進まなかったが、きちんと聞いておきたい事もあった。

 しぶしぶではあるが、彼を客間に通し、カイにコーヒーを二つ頼んだ。


 イーサンは、一通り室内を見回し、そしてキッチンに目をやった。


「アイツはここで何をしていたんだ?」


「アイツって、誰のこと?」


「No.196だ。君がミーナと呼んでいる者だ」


 イーサンの目は彼女の残留エネルギーを追っているのだろう。極めて不機嫌な表情で、彼女がよく座っていたキッチンの椅子を睨んでいた。


「彼女は、ここで傷を癒していただけよ。そして、『日常』を楽しんでいた。......正しい『肉体』の使い方を学んでいたの」


「......『日常』だって?」


「そうよ」


 私はミーナの笑顔を思った。美味しそうに食事を摂る姿、初めての料理に鍋が格闘する姿、菜園で虫に驚きながら収穫する姿、真っ白なシーツが青空の下にはためくのを眩しそうに見上げる姿......みんな『笑顔』だった。......思春期の、大人になりかけの繊細な横顔......当たり前の、ひとりの人間ヒューマンの、笑顔。


「Dr. バルケスは言ってた......私達が何故、三次元の生命体として生まれてきたのか?......生命の重さと生きることの『痛み』と『喜び』を『経験』するためだって......肉体の重さは生命の重さなの。

......そりゃ生命体によって大きさも重さも違うけど、『重さ』を持っているということでは『同等』だわ。」


「アーシー......」


「彼女は、『痛み』ばかりの中で生きてきた。『喜び』を知らなかった。......だから、私は彼女に『喜び』を知って欲しかったの。自分の肉体のすぐそばにある当たり前の『喜び』を、ね」


 私は、コーヒーカップを手に取って続けた。


「彼女だけじゃないわ。......この星の子ども達は『日常』を知らない。肉体の使い方を知らない。.....手や足が『経験』のために、自分と自分以外の生命体が『生きている』ことを経験するためにあることを、知らない......」


 カイが差し出してくれたコーヒーは、疑いもなく暖かかった。


「ひとりの人間ヒューマンとしての、当たり前のことを知らないの......」


「アーシー......」


「ねぇ、イーサン考えてみて。触れずに物を動かすことが素晴らしいなら、目を開けずに物を見ることが素晴らしいなら......なぜ手や目があるの?...エネルギー体だけで、自在に色んなことが出来るのが最高なら、私達には何故、肉体があるの?」


「それは、我々がまだ『その段階』にいないからだろう?」


 イーサンは、半ば不貞腐れたようにコーヒーをすすった。


「ならば、『今』の段階できちんと学ばねばいけないことを学ぶべきではないの?」


「君の言いたいことは分かるけど......主旨が逸れてるよ、アーシー。彼女には関わるな。君のためだ」


 イーサンは、相変わらずミーナの痕跡を睨みながら、コーヒーのおかわりをカイに要求した。


「なぜ?彼女は、ただの人間よ。傷ついた十四才の子どもよ......身体も心もひどく傷ついてる。ケアが必要なの。医者として放っておけない」


 私は、必死で主張した。が、イーサンの言葉はあまりにも非情だった。


「ミーナ.....君がそう呼んでいる存在は、この星では人間ヒューマンと認められない。......システムに悪影響を及ぼすBug 《バグ》に過ぎないんだ。......あってはならないものなんだ」


「彼女は人間よ。物じゃない!......子ども達だって道具じゃない。......イーサン、あなたは得体の知れない大人達の作り上げた『システム』のために、彼女を殺すの?.....人間の生命を奪うの?」


 私は、彼の冷酷さに気が狂いそうだった。


「そうじゃない。アーシー、落ち着いて......。僕達、ガーディアンは、国家安全委員会や政府じゃない。......僕が心配しているのは、君が巻き込まれて、安全委員会に危害を加えられることだ。......彼らは容赦無い。僕達とは違う」


 イーサンは、私を強引に抱き寄せ、抑えこんで、耳許で囁いた。


「僕達、ガーディアンズは星を護るもの。......政府を護るものじゃない」


「でも......」


「ミーナ達はマザーコンピュータを破壊しようとしている......。とても危険な行為だ。星が吹き飛ぶかもしれない。......子ども達の生命が無くなるかもしれないんだ」


 私の頭に、ルーナやギィやロアンの顔が浮かんだ。ふぅ......と息をついて、イーサンは続けた。


「ミーナは、なんとか僕達が保護する。君はもぅ手を出すな......」



 その時、私の耳の奥に聞いたことの無い声が響いた。別次元の高周波のような声......。





―信じてはいけない......。ラウディアンは全てを破壊する。......お前の星も......―




 声はそこで途切れた。日が暮れてきた。

 私は、イーサンに翌日から勤務に戻ると告げ、彼を返した。そして、カイの記憶回路のミーナに関するデータを消去した。


 数日後、家に何者に侵入したらしい。カイの記憶回路が破壊されていた......と、帰宅したディートリヒから通信があった。


―きっと、空き巣だわ。最近、近所に入ったばかりだから....―


 私はそう言って、しばらく帰れないと告げて通信を切った。ディートリヒを、子ども達を危険に晒すわけにはいかない。


 ......家への介入はそれっきりだったけど。

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