終話

「あのね……、怖い夢、を見たの……。私が死刑囚で、刑務所で暮らしてたんだけど、ある朝急に呼び出されて死刑執行になって……。それで、聖大くんも同じ刑務所にいるんだけどね、無期懲役なの。夢の中でも私と聖大くんはなんていうか……よく話す仲だったんだけど、もう会えなくなっちゃうねっていう夢だった。怖かった……」


僕は返す言葉に困ってしまった。人の夢って安易に想像できないけれど、確かにそんな夢は嫌だなと思った。

「それは……怖いなぁ。でも大丈夫、夢だから。僕も藍架も、ここにいるよ」

「そうだよね、ありがとう。あの、やっぱり、テラスで話したいな」

「うん」


ようやく涙が止まった藍架の希望でテラスに行った。いつも待ち合わせのようにテラスで会っていたから、こうしてふたりでテラスへ向かうのは初めてだった。その時の空は、もう薄暗かった。


「さっきの夢の話だけど、あれ、やっぱり本当みたいなものなんだ」

「ここは刑務所じゃないよ、大丈夫。もう忘れなよ」


「そうじゃなくてね………


私、帰ることになった」



嫌な予感がした。

「帰るって、どこに?」


「現実世界、だよ。聞いてるでしょ?コース選択の話。隠れ家の、一時停止コースと停止コースのシステム」

藍架に、ラジカセにでもなっちゃったの?と言って苦笑いされたあの夜と、アキが一緒だって無邪気に喜んでたあのときを思い出す。

「うん、聞いてる」

「それで私は、もう心が落ち着いたって判断されてしまった、だから現実での生活に戻らないといけないの」


「……」

またもや言葉を失ってしまった。感じることはたくさんあるのに、言葉にならなかった。


「今までずっと聞いてなかったけど、聖大くんのコースはどっちなの?聖大くんも一時停止コースなら、いずれ現実で会えるかもしれないよね?」

藍架は無理して希望を作って笑っているように見えた。


裏を返せば、コースが違えばその後もう会えないということになる。答えるのが憚られた。考えたくなかった。

しかし藍架は、答えない僕を見て察してしまったようだ。

「そっか」


お互いに、案外落ち着いていた。

「これもずっと聞いてなかったけど、藍架は、どうしてここに来たの?」


藍架は目を伏せながらゆっくり話し始めた。

「私、すごく忙しい生活をしてたの。学校は進学校だったし、いい大学に入れるように勉強してた。そして週3で部活やって、でも家が貧しかったから週15時間くらいバイトもしてて、あとボランティアで小学生の支援活動とかやってたんだ。部活とかボランティアは自分でやりたくてやってるんだって思ったら、こんな忙しい生活も頑張らないとだなって続けてたらね……。最初は全部楽しかったんだ。先生には成績が良くて褒められるし、部活で好きな男の子ができたりもして、ボランティアではたくさん大人から学べることもあってね。でも、そんな生活を続けてたらそのうち疲れちゃって……バイトとかボランティアからはもっと働いて〜ってプレッシャーも感じちゃって……だんだん疲れて疲れて、生きるのやめたくなっちゃったんだよね。今思えば、そんなことで逃げちゃうなんて弱いよねぇ。そのあとは、前に話してた聖大くんのと同じ流れだよ。ただ私は、少しの間休憩して、それからまた元気に生きたいって思ってたの。だから一時停止コースにしたんだ。そしてここに来てから、忙しくなる前の趣味だったジグソーパズルをしたり星を見たりして、心の底から楽しいって思えた。美術部に戻った時に腕が落ちないように、ここで絵も書いてたし、キッチンでのバイトも好きになれるように、料理も続けてた。それだけでも楽しかったけど、ある日ね、猫みたいにマイペースに生きてる聖大くんに出会って話すようになって、私も現実ではそんな風に自分のペースで生きようって思ったんだよ。もちろん、聖大くん自体が魅力的なのもあるけどね


……でもそうしたら、帰りのお知らせが来ちゃった……」

藍架は僕が思ってきたのよりも、もっと、ずっと魅力的な人間だ。


「今更だけど、聖大くんがここに来た理由ももっと詳しく知りたいな」


藍架の素晴らしい努力の結晶のような生活を聞いた後だと、自分の生活を語るのが恥ずかしくなった。


「僕はさ、兄がすごい人だったんだよ。勉強も運動も良くできて、親から先生から将来も期待されて。僕だってそんな悪かったわけじゃない、むしろ普通よりちょっと上くらいだったんだけど、なんでも1番になれちゃう兄とは違うからずいぶんと劣ってるみたいでさ。兄とテニスをやってて小さい頃は楽しかったしテニスプレイヤーになることも夢見てたけど、実際に応援されるのは兄。勉強も僕が頑張ってもより良い結果を出せるのは兄の方だしさ。塾もテニスも辞めさせられて、新しいことを始めても、また辞めざるを得なくなる日が来るのかと思うと怖くて。そしたら暇で暇で人生つまんないなーって思って、そうなった。今思えばそんなことで逃げちゃうなんて甘えてるよな。なんか、藍架のと反対だなぁ」


「ほんと、面白いくらいに反対だね」


「でも僕は藍架に出会って、藍架が誰と比べるわけでもなく絵を描いたり、料理をしたりするのを見て、僕も藍架みたいに自由に好きなことを続けたい、って思ったよ。何よりさ、藍架と一緒にいるのが幸せで、生きてたいって思えるようになったんだよ」


こんな大事なことを話し合う頃には、何の対処法も見つからない。別れが迫るのを受け入れることで精一杯だった。

最初に聞くべきことをずっと後回しにしてきたのは、知ってしまうことを無意識に拒否していたのかもしれない。最初から決まっていた未来に逆らってでも、一緒にいることを諦めたくなかった願いの証かもしれない。


ここは時間の概念がないから、もう少しで帰ると言われてもあとどのくらいかは分からない。それは藍架にすら分からない。


「僕も、帰りたい」

「私も、帰りたくない」


同時に放った言葉はそれだった。朝焼けが僕らを半透明の黄色に照らす。


「藍架がいない世界で生きていく意味が見出せない。やっとせっかく、生きるのもいいなって思った頃なのに。わがままだけど、僕は藍架がいないこの隠れ家で、生きていける気がしない。それこそコピーが死ぬまでの無期懲役みたいじゃん、こうなったらいっそ死刑の方がラクそうなのにな」


朝焼けに照らされた藍架は、初めて星空の下であった時と同じくらいに綺麗だった。その実態の色素が、僅かに薄くなっていってる気がするのは気のせいだろうか。


「隠れ家のシステムって意外と残酷だよね。最低だよ」

藍架が初めて暴言のような言葉を吐いた。でもそれさえも美しかった。


手を握ろうと思って手を伸ばしてみたが、もう遅かった。触れられる実態は、もうなかった。


最後になるかもしれない。

「藍架、愛してる」


「私がここにいなくなった後の未来も、隠れ家で聖大くんは生き続けて、また綺麗な女の子、今度は同じコースの子が表れて、幸せになれたらいいね。


聖大くん、愛してるよ。


ねえ、さっきのもう一回言って」


「藍架、愛してる」


「その声、覚えとくね。私が現実世界に帰ったら、あっちでの聖大くんを見つけて会いに行くよ。会えたらその時は、



……………君を、

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逃げた先の隠れ家で 雨野瀧 @WaterfallVillage

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