第7話:俺達の日常は、相も変わらず平和的である。
日々は平穏に戻り、前の席にいた馬鹿な後輩はいなくなって、隣には花をぽわぽわと咲かせている後輩がいる。
六月末の金曜日、ボーナスの時期になった。
祝日がない月と恨めしい気持ちもあるが、嬉しい事もあるのだ。
隣にいる脳内お花畑、いや、全身お花畑と例えた方がいいだろうか。かれこれ一週間、ずっとこんな感じで、仕事も捗る捗る。一人前になってきたなと、歓喜。これが愛の力……。強力すぎるが頼もしい限りだ。
あの日、俺は2人を見送ったあと、藤堂を社長室に連れて行き、事の顛末を説明した。
社長は最初こそ驚いていたが、すまなかったと直ぐ頭を下げ謝罪された。
蓮水と祐介は既にいないので、私ではなく、花宮さんと蓮水には本人の口から謝罪させるようにしてくださいと伝えるだけ伝えて社長室を出た。
それから彼と社長が何を話して、今後どうなるかは次の日まで分からず仕舞いで。
翌日、藤堂親子はオフィスへと赴き、他の社員がいる中で土下座をさせ、許しを乞うていた。それを見た人たちはざわざわと少しばかり騒々しかったが、当然の報いだと思う。
七葉と蓮水は、許しさえしたが、一緒には働けないと口を揃えて言った。
社長はそのつもりだったみたいで、藤堂壱弥は即日解雇となり、顔面蒼白状態。まさかの聞かされてなかったという。
これもまた自分のした事に、つけが回ってきただけの話。
更に、付け加えてもう二つ。今月分の給料は無し、そして出向もなし。
甘えは許さないと、このグループ会社にも再就職はさせないとのこと。
だから彼の行方は誰も知らない。
これを機に反省して、違う会社で真面目に働いてほしいと切に願っている。
****
ブブッと携帯が振動する。
画面をタップすると、七葉からの連絡だった。
〈今日は少し帰りが遅くなります。先に帰ってて大丈夫だからね〉—17:50
珍しい。残業をしない七葉が……。
〈分かったよ。今日はビーフシチューの予定だから楽しみにしてて〉—17:52
〈すぐ帰りますっ! 秒で!〉—17:55
そんなに楽しみにされると少し怖いなぁ……。
〈帰りは気を付けて帰って来るんだよ〉—17:56
さては、今日がボーナスだから何か買ってくるつもりだなぁ?
ともあれ、俺はやる事をやるだけだし、いつもと変わらない。……俺もボーナスで何か買おうかな。
そんな事を思いつつも、時計に目をやると、あと5分もない。仕事を片そう。
「祐介、途中やりでもいいから、切りつけろよー」
「もちろんそのつもりです。今日は雫とお泊りデートなんで!」
「はいはい、そりゃよかったねー」
「冷たっ!」
頬が緩みまくってる祐介は見るからに幸せそうだ。こうなるのも必然と言って良いだろう。念願の恋人になれた訳だから、嬉しくて、幸せで、堪らないだろう。今が一番楽しい時期ともいう。ずっと楽しいといいのだが——そう、俺みたいにな!! がっはっは!
ごほんっ、初めの頃はあんな奴には騙されないとかなんとか言ってた気がするけど、人の感情は割とすぐ変わるものだ。
このまま幸せになって、ゴールインしてほしいくらいだ。……友人スピーチくらいさせてくれよ。って気が早いか。
「じゃあ俺はそろそろ上がるわ。お先に失礼」
「はい、お疲れ様です」
デスクワークでバキバキになった身体を一伸ばしさせ、出口へと向かう。
帰り際、口パクで「お先に」とだけ七葉に伝えると、いつものように笑顔で小さく手を振ってくれる。こういうのが可愛いんだよな。ちょっとした仕草が可愛いのだ。
心の中で『可愛いー!!』と叫びながら、オフィスを後にした。
****
自宅に辿り着き、部屋着に着替え、エプロンをつける。(自分専用、七葉と色違い)
今日の料理は七葉に伝えた通り、ビーフシチューだ。帰り際にスーパーに寄って、フランスパンと赤ワイン、コーヒーミルクを買ってきた。
米派とパン派に分かれるだろうけど……聞いた方がよかったかな? 今さらながら不安になる。既に手遅れなんだけど。
よし! 腕によりをかけてご馳走を作ってやるさ!
——と、格好つけてみたり。
スマホを手に取り、ビーフシチューの作り方を検索……ふむふむ。これは意外と時間が掛かるな——おっ! 時短ビーフシチュー!? よし、これだ。
レシピ通りに作っていけば、問題ない。……多分、大丈夫。
まずは……玉ねぎと人参、ジャガイモを切って、鍋にオリーブを入れ、そこに玉ねぎだけを炒めると。
いい感じに色が付いたら、水を加え沸騰させる。沸騰したらワインとデミグラスソースを追加してまたひと煮立ち。
その間に、切っておいた人参とジャガイモを耐熱ボウルに少し水を入れて、電子レンジでチン。温めて蒸すといった感じだ。
そして次は、予め買っておいた牛肉を叩き、塩コショウで下味をつけ一口サイズに切る。フライパンでミディアムレア程度に焼き目を付ける。
仕上げに入ろう。
焼いた肉とレンジでチンした野菜をシチュー液の中にぶち込んで、再び煮る。
あとは出来上がるのを待つだけ。弱火で長い時間煮るとより火が通り、美味しくなるかと。
——意外と簡単じゃないか。
クックサイト様々だ。手順通りにやれば完璧だ。
誰だって最初は失敗したりするもので、俺も前の彼女と暮すまで料理なんてしてこなかった。だが、日々を繰り返していく中で覚えていった。手際よく料理が出来るようになるまでは、時間が掛かったけれど、やっていけば出来るようになるのだ。
出来ないなんてただの言い訳で。
出来ないじゃなくて、やらないだけ。
言い訳をする前に、手を動かそう。やってみようと行動するのが、最初の一歩なのではないだろうか。
って、誰に何を語っているのだろうか。七葉は完璧に出来るから、こんなこと言ったって『急にどうしたの?』と、頭にはてなマークを浮かべて言われるのがオチだな。
それにしても、このレシピを考えた人は天才だと思う。
時間にして30分弱。この短い時間で出来上がるとは……世の奥様方は素晴らしい時短を考えるものだ。称賛されるべき!
……と、日本中の奥様に感謝をしていると、玄関が開く音が聞こえてきた。
ドサッっと大きな物が置かれた音も聞こえたが、すぐに持ち上げられこちらに歩いてくる。
リビングへと繋がる扉のドアノブがガチャガチャと鳴るが、中々入って来ない。
「柊、開けてぇ~。開けられないぃー」
扉の向こうから七葉の疲れ切ったやるせない声が聞こえてきたので、扉に向かい開けてあげた。
何やら両手に家電量販店の紙袋を二つ持っており、一つは左程大きくはないが、もう一つは大きい。……一体、何を買って来たんだ……。
「おかえり、持つよ」
「ありがとう」
それほど重くはないが、中身は紙で包装されており、外観からは何が入っているのかは分からない。
「何を買ってきたの?」
「それは秘密です……んっ!!」
両腕を広げて、早く来いと言わんばかりの顔でこちらを見ている。
「んーんっ! 早く!」
急かすようにピョンピョンと跳ねる。
もう、甘えん坊さんめ!
「はいはい、ちょっと待ってね」
荷物をリビングに運び、急いで七葉の前に戻る。
そして俺も彼女と同様に腕を広げて「おいで」と声を掛ける。
すると、ぽすっと腕の中へ入ってハグ。
「ふぁぁー、疲れましたぁ」
「うんうん、今日もお疲れ様」
頭に手を置き、ゆっくりと髪に指を通していく。
「仕事終わりの至福です」
「毎日の日課だもんね」
「……うん。このまま30分延長で」
「長っ!?」
「ふふっ、冗談です」
毎日の日課として、朝は行ってきますのキスから始まり、帰ったら締めのただいまのハグをする。
これは付き合い始めた日から新たに加えられた外せないルールの一つだ。
例えすごい喧嘩をしても、これだけは絶対にするという約束の元、交わされたルール。
まあ? 喧嘩なんてしたことないし、今後する事もないだろう。
「あ、いい匂いだ!」
胸に押し付けていた頭を顔を上げて、スンスンと匂いを嗅ぐ犬宮さんになる。
「やっと気づきましたか、七葉さんや」
「でも柊の匂いが好きー」
再び顔を胸に押し付けるが、エプロンからそんなに俺の匂いはしないと思いますが……?
「今日のハグは一段と長いね」
「金曜日ですから!」
全然意味わかんないけど……。
「とりあえずご飯にしよう。七葉はフランスパン食べれる?」
「ビーフシチューはパン派な私です!」
「そりゃよかった。じゃあ食べよ。あっ、サラダ作るの忘れてたわ。その間に着替えておいで」
「はーい」
返事をしたものの、一向に離れる気がない七葉。
離さんかい! と、暴れてみても離れない。
諦めた俺は身体を回し、後ろから抱きつかれる状態へと変える。彼女は何をするか悟ったのか、一瞬だけ離れてすぐ捕まえられる。
今日は金曜日だから仕方がないか————とは、ならんけどな。
こうなった七葉は一筋縄ではいかないので、引きずりながらキッチンに行き、何事もないかのようにサラダの準備を始める。
離れたくない彼女は邪魔にならないように、一応、配慮はしてくれているのだろう。動きにちゃんと合わせて動いてくれている。
好き好期だ。突然来る好き好期。
一週間に一回あるかないかの頻度でこの時期がやってくる。
しかしこういう時は、餌で釣るとすぐに離れてくれることを知っている。
「七葉、そろそろ着替えておいで。ずっとくっついているとご飯抜きです」
シュババッと離れ、自室に着替えに行く。
これが忠犬、八宮さんだ。
「はい、では頂きます」
「頂きます! 美味しそう!」
素早く着替えて、素早く降りてきた。
「美味しそうじゃない、美味しいんだ」
「まだ柊も食べてないじゃん。自信ありすぎじゃない?」
急に毒吐くのやめてよ、毒宮さん。
「だ、大丈夫だと思うけど……」
すぐ自信がなくなっちゃう自分もどうなのだろうか。
「では、実食!」
した! みたいに言わないで? 七葉のキャラ崩れちゃうから! あ、もう崩れてるな。
ツッコミながらも、口へと運ばれるそれから目は離せない。
もぐもぐとし、「うん、うん」とい頷きをしながら噛みしめている。
ドクン、ドクンと謎の緊張により、脈が速くなっていく。
感想はなく、また一口。
まだ自分が口にしていないので、美味しいかは分からない。見た目は完璧、味は最悪だったらどうしよう。
——果たして、シェフ花宮の評価は……
「結果発表~」
パチパチと自分で言って、自分で拍手。
その姿をかわいいなぁとぼけっと見ていた。
「まずは自身のここに拘ったという点をお聞かせください」
スプーンをマイク代わりにして、こちらへ向けてくる。
「何このテレビ番組みたいなのは……」
「まずは自身のここに拘ったという点をお聞かせください」
これは乗らないと永遠に聞いてきそうな感じ。ゲームのモブになりきっているわ。
「そうですねぇ、やはり時短ですかね。これ30分くらいで作ったんです。あとは少しいいワインを使いました」
「へぇ、そうなんですね」
聞いといてその反応なんだよ……最後までちゃんとやってくれよ。乗った俺が恥ずかしいじゃないか。
「ではでは、結果はCMの後で! はむっ」
「……」
いつまで続くの……。
「さあ結果発表です!」
「CM明けるの早いな」
「そこうるさいですよ!」
「あ、すいません」
なぜ怒られた。いいから早く教えてよ。
「星三つで満点ですよ!」
「やっ——」
「それでは発表です!」
騙された……。
「星————三つです!」
なんか素直に喜べないんですけど? 目の前に座っている七葉は楽しそうにパチパチと手を叩いている。
「ハハッ、ヨカッタデス」
美味しいならそれでいいです。はい、頂きます。
スプーンでシチューを掬い、先ずはそのまま頂く。
「……めっちゃ美味しいじゃん! 星三つなんて少なすぎやしませんか? シェフ花宮」
「満点ですから」
え、冷たっ。
「星五つくれてもよかですよ?」
「満点ですから」
怖いんですけどぉ……。正気に戻ってください。
それからよく分からないテレビ番組は終わり、普通に食べていくのだった。
******
「で、今日は何を買ってきたのかな?」
お風呂から上がり、七葉の髪の毛をわしゃわしゃと拭きながら気になってたことを聞いてみた。
「忘れてた!」
ハッと驚きながら、パタパタとリビングに小走りで行ってしまう。
「あ、ちょっと待って——」
俺の声は聞こえておらず、ビリビリと梱包されていた袋を破り始めていた。
「じゃじゃーん!」
袋から出されたのは、ミンテンドーのファミリーゲーム機だ。
「どったの急に?」
「なんかやりたくなっちゃって! これでも昔はゲーマーだったんですよ!」
「そうなの? てっきりそういう物には興味がないと思ってた」
「ちっちっち!」
人差し指を横に振りながら、したり顔。
「ワンツーツイッチってのを買ってきました。このあと一緒にやりましょ! ぼこぼこにしてあげますっ!」
「ふぅーん。負けたらどうする?」
「そうだなぁー、冷蔵庫にアイスってありました?」
「ない」
「じゃあ負けたら買いに行くで!」
「いいだろう!」
俺は男だ。勝ち負けにはこだわる。
相手がどれだけ好きな彼女だとしても、手を抜かない。くっくっく、後悔させてやる。俺に勝負を挑んだことを! ガハハハッ!
さぞ、今の顔は最低の笑みを浮かべているだろうと、鏡を見てなくても分かる。
それを見た七葉も負けず劣らずの顔をしていた。
「柊、今夜は寝かさないゼ!」
ビシッと指を差され、宣言される。
——今夜は長くなりそうだ。
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