第8話:その訪問者は突然に。

 昨夜、威勢よく打ちのめしてやるとドヤり顔まで見せつけたのにも関わらず、敗北を喫することに。

 俺は七葉に泣きついて、もう一回、もう一回だけと縋り、泣きの五回に付き合ってもらったのに、それでも俺は彼女に勝つことが出来ず、全敗した。


 土下座までして、この始末。第三者から見れば、ただの情けない奴にしか見えないだろう。

 七葉は自分でゲーマーと言うだけあって、実力差は歴然だった。

 もちろんコンビニに行くのは俺だったが、やっぱり私も行くと言って、結局二人でアイスを買いに行った。


 その後、家に戻り、彼女が買ったもう一つのゲームで再び勝負した。

 まあ結果は知れたものよ。全敗だ。

 大激闘なんてタイトルに書かれているのだが、一方的にボコられて、激闘なんてしてない。

 圧倒的暴力でしかなかったのだ。



 こうして夜は深くなり、二人共どもリビングで寝落ちしてしまったみたいで、目を覚ますとソファーで寄り添うように寝ており、肩には七葉の頭が乗っていたせいで、凝りに凝りまくっている。

 暗かったはずの部屋は、電気も消されて日差しに照らされ明るくなっていた。

 七葉は多分一度起きている。だけど、部屋で寝はしなかった。


 そして時計の針は11時半を指している。


 ……完全に寝すぎた。


「七葉、もう11時だよ。起きないと」


 そっと乗せられていた頭を外し、揺すって起こすと、目を擦りながら「んーー」と伸びをした。


「おはよう~……って11時半って言った!?」

「うん。11時半って言った」

「やばいです!」


 慌てて立ち上がり、洗面所へと急ぎ足で駆けていく。

 俺もゆっくりと立ち上がり、七葉の後を追うように洗面所へと向かった。


「なに、今日用事でもあるの?」

「今日お昼から美容院なんですっ! まさかこんな時間まで寝てしまうとは。私らしからぬ失態です!」


 そこまで言わんでも、あれだけ夜更かししてればこうなるのは必然じゃないの?


「昼って言うけど、何時? 12時? それとも13時?」

「13時べぇしゅ!」


 顔にパシャパシャと水をかけながら言うもんでくしゃみと同時に返事しちゃったみたいな感じになっておられる。


「そんなに急がんでも間に合う事ない?」


 顔を洗う七葉の上から手を伸ばして歯ブラシを取った。


「あのね、柊。女の子の準備にはとても時間が掛かるのです。これから化粧水とか、乳液を塗ったりと前準備があるんですよ。当たり前の事ですよ? 勉強不足です」


 シャコシャコと歯を磨きながら七葉の話に耳を傾けていると、急に毒を吐かれた。


「でもしゃ、仕事行くときは早いよね?」

「そ、それはそれ。これはこれです」


 本来の七葉の準備は早々に終わる。

 逃げたな……。

 訝しげな視線を送ると、それに気づいた七葉はゴホンッとわざとらしく咳ばらいをした。


「と、とにかく私は柊に可愛く見てもらいたいから、ちゃんと化粧をするんですよ! 付き合ってなかったらそりゃ私だって不必要に時間のかかる事はしません。ですが、私は柊に可愛いと言ってもらいたいんです!」


 なにそれ、可愛いかよ……。


「わかった。じゃあ可愛くなって帰って来るのを楽しみにお待ちしてます」

「はいっ!」


 これから顔面工事が始まるのであろう、なので用が済んだ俺は洗面所を出た。



 ……さてさて、今日は何をしようか。

 と言っても、やる事は限られてる。今日は土曜日だし、いつも通り掃除洗濯でもやるとしますかね。






 一時間が経ち、七葉は準備が出来たので行ってきますと声を掛けて、玄関へと歩いて行く。彼女を見送るために俺も玄関へと続く。


「では、行ってきます。今日はカットして、パーマもかけなおして、髪の毛も染めるので遅くなると思います。だからゆっくりと自分の時間を過ごしていいからね」

「うん、分かったよ。気を付けて行ってらっしゃい」


 玄関の扉を開けて外へ出る。

 外は快晴で、夏を感じさせる暑さだ。


「行ってきます————と、その前に」


 歩き出したかと思えば、振り返ってパタパタとこちらに戻って、抱きついてきた。


「今は外なのでチューはできません……なので、これで我慢してくださいね」

「はいはい」


 これも誰かに見られてしまえば、恥ずかしいものだと思うんだけど。

 どちらかといえば、したいのは七葉でしょ? と思いつつも、背中をポンポンと二回叩いてあげる。


「遅れちゃうよ」

「ですね。それでは行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 道路に出て、彼女を見送る。

 後ろに振り返っては手を振り、ニコッ笑い前を見て歩く。その繰り返し。

 可愛いな……。

 曲がり角に差し掛かると、大きく手を振って、行ってきまーす! と口をパクパクさせる。そして姿が見えなくなった。


「さてと、掃除しますか」





*****





 部屋の中に響き渡る掃除機の音と音楽。

 自分の好きな音楽を大音量で駆けながら、隅々まで掃除機を行き渡らせる。


 一軒家の掃除は広いので結構時間が掛かるし、腰にくる。それとコードレス掃除機だと二階を掃除するまでバッテリーが持たない。……ボーナスであれ買いますかね。


 リビングの掃除を終え、音楽を一旦止める。ホッと一息つくが、それも束の間。玄関の開く音が聞こえてきた。


「あれ? 七葉? んなわけないし……誰!?」


 ……もしや、不審者? いやいや、スペアキーとか作るなんて無理だろ。

 恐る恐る玄関へと続く扉を少しだけ開けて、隙間から様子を伺う。


「やっほー、ただいまー! かおりさんだぞー」


 ……あれは……えっ!? かおりさん!? 七葉のお母さんじゃないか! まるで自分の家のように上がってきたが、何故?


 ともあれ、出迎えないといけないので、バタバタと急いで玄関へと迎えに行く。


「こんにちは。ご無沙汰しております、かおりさん」

「久しぶりね。ちょっとお邪魔していいかしら?」

「それは全然かまわないのですが、今日は七葉いませんよ?」

「……七葉ね、うん、知ってる。今日はそれを見計らって来たの」

「えっ、どういうことですか?」


 返って来た言葉の意が、俺には理解が出来なかった。


「まあまあ、それはちゃんと話しますから」


 とりあえずこのまま玄関で話すのは失礼なので、リビングへと招き入れることに。


「アイスコーヒーとお茶、どちらがいいですか?」

「じゃあアイスコーヒーでお願いします」

「はい。少しだけお待ちくださいね」

「そんなにかしこまらなくてもいいのに」


 アイスコーヒーを冷蔵庫から取り出して、コップに氷を入れ、コーヒーを注ぐ。

 その間に茶菓子程度のものを準備してテーブルに置くと、かおりさんが口を開いた。


「掃除中だったのね」

「ええ、まあ」


 掃除機を見て、かおりさんはふふっと微笑んだ。


「やるじゃない」

「そうですか? 僕にとっては当たり前なんですけど……」

「中々、そういう男は居ないものなのよ。そうね、うちの夫がいい例かもしれないわ」

「あははは……」


 何にも言えねぇ……。愛想笑いで誤魔化す。


「羨ましいわ」

「そんな事ないですよ。僕なりに出来ることはやると約束の上で住まわ——いえっ、一緒に住んでるんですから」


 あっぶねぇ。危うく口が滑る所だった。


「いい男ね、私もあなたみたいに出来る人を探すべきだったかしら?」

「買い被りすぎですし、かおりさんが結婚してくれたおかげで僕は七葉と出会う事が出来たんです。感謝しております」


 多分だが、こんな話をしに来たわけではないだろう、ケラケラと笑いながら言ってはいるが、本題はこんな話じゃないだろう。


「はい、コーヒーです。ブラックなので、お好みでこれを」


 フレッシュとガムシロを渡す。


「ありがとう」


 二つを入れ、かき混ぜて色が変わるコーヒーを眺めつつ、目の前に腰を下ろす。


「今日はどうしたんですか? 僕に用があるみたいですけど」

「そうね、本題に入りましょうか」


 一口、コーヒーを飲み、ことりと置かれたコップ。

 冷え切った面持ちで、発される声音に思わず背筋がピンっと張る。

 俺に用とはなんだろうか。

 表情を見るからに、良い話だとは思えない。


 それにあの時のかおりさんは俺達の嘘を見透かしたようにも思えたし、娘の言い訳をとりあえず聞き入れたとも考えられてしまう。

 もしかして別れろとか言われてしまうのだろうか? 確かにあの時は二人でかおりさんを騙していたが、状況は変わった。今は真剣に交際をしている。

 だからもし、別れろと言われても、俺は断らさせてもらうしか答えはない。

 娘を思っての考えか、俺に対しての心配か……考えても分からない。

 果たして、本題とはなんの話だろうか。

 聞き入れる準備を整え、きっちりと目を合わせる。




「———ごめんなさいっ!!」




「……へっ?」


 両手を机に置き、頭を下げている。

 その行動が何なのかさえ分からず、思考が追いつかない。あの日を彷彿させるように固まってしまった。


「七葉が迷惑をかけてごめんなさいっ!」


 ——迷惑? なんぞ?


「ちょっとごめんなさい。何のことかさっぱり分からないんですけど……」

「だって、あなた達付き合ってないでしょ! あの時、口裏合わせて七葉のお見合いの話を無くしたかっただけでしょ!? キスした時は驚いたけど、あれも演技でしょ! 本当はわかってるの。お盆に遊びに来てと言った手前、付き合ってないのに、お父さんに会うなんて流石に酷だと思ったのよ! 日が近づくにつれて、やばいどうしようって、だから本当ごめんなさいっ! これ以上、七葉のおままごとには付き合わなくていいから!」


 なんか、あれだ。焦った時の七葉に少しだけ似てる。


「なんだ……そんな事ですか」


 知っていた上で、七葉があんなことするから、とりあえずあの場は取り繕うしかなかったと言わんばかりの話だった。


「そんな事って何よぉ~! 私めちゃくちゃ余計な事したと思って夜も眠れたんだからぁ!」

「寝てますね」

「寝てるわよ! 寝ないと身体壊すじゃない!」


 逆ギレもいいところだと思うんですが? 

 であれば、これはちゃんと説明しないといかんな。


「あのですね……確かにおっしゃった通り、あの時は付き合ってませんでした。キスされた時も正直驚きました。でも、あれから色々あって僕たちは本当に交際を始めたんです」

「えっ……じゃあ何? 私の心配は杞憂だったってこと!?」

「簡単に言えば、そうですね」

「何よそれ! 言いなさいよ! 私がどれだけ心配してたか!」

「本当にごめんなさい……」


 立場が逆転してしまった。連絡する手段ないし、聞かれない限り俺達は上手く騙せたと思い込んでしまうの普通なのでは?


「じゃあさじゃあさ! 七葉のどんなところが好き?」


 急に恋バナに変わり始める。

 頬杖を着き、さっきまでの表情は嘘かのように、けろりと嬉しそうな顔になった。


「好きな所ですか……そうやっていざ言われると難しいですよね。うーん、そうですね……僕たちは同じ会社に勤めてるのですが、やはりしっかりしている所とか、家に帰って来た時のギャップがすごく好きです。こうして同棲をするまで、七葉とは話もする事なかったですから、色々な表情が見れることが嬉しいですね」

「うんうん。それで? どっちから告白したの?」


 乙女の顔だ!? かおりさんは今、JKに戻ってらっしゃる!

 それは置いといて、何故一緒に暮らし始めたのか、そこは気にならないのだろうか。


「七葉の方から先に言われましたが……それも本当に色々あって、改めて告白したのは僕ですね」

「きゃーーー!! 何それ! 青春じゃない! 羨ましいなぁ。七葉もやる時はやるのね! あの子は今の今まで男の気配が一ミリもなかったからずっと心配だったのよ! だからお見合いの話を持って来て、少しでも男の人と関われば、何か変わると思ったんだけど」

「確かに会社でもあまり男性社員とは話してる所見た事ないですね」

「やっぱり! 家に帰ってきても恋愛の話とか全然してくれなくてさ、お母さん退屈だったのよ。七葉が大人になったら恋の話とかしたかったのにさぁ」

「そうですか……」

「でもまあ、こうしてちゃんと付き合ってるならよかったよ! 私は佐伯君のこと好きだからね。初めて会った時から、誠実そうだなって思ったし、例え付き合ってなくてもこういう人なら七葉を安心して送り出せるなって思ったのよ」

「素直に嬉しいです……結婚も視野に入れてお付き合いしてます。かおりさんの期待を裏切らないように七葉を幸せにします!」


 まるで親に挨拶に来た気分。

 だが、こうしてかおりさんとサシで話せるのはとてもありがたい。


「うんうん。こちらこそ七葉をよろしくね? めんどくさい子だと思うけど、迷惑もたくさんかけるかもしれないけど、大切にしてやってください」


 そう言って、かおりさんは頭を下げた。


「こちらこそ、まだまだ未熟者ですがよろしくお願いします」


 同様に俺も頭を下げる。


「じゃあ、私はそろそろ行くわね。くれぐれも七葉にはここに来たことは内密でお願いね」


 パチリとウインクをし、立ち上がる。

 この人、一体幾つなんだ……。若いなぁホントに。


「善処します」

「あ、今度こそお盆休みいらっしゃいね。お父さんにはまだ彼氏がいることは伝えてないから。ちょっとクセがあるかもしれないけど、佐伯君なら大丈夫よ」

「それは怖いですが、会えることを楽しみにしていますね」

「それともう一つ! 連絡先、交換しない?」

「もちろん。いいですよ」


 スマホを取り出し、アプリのQRコードをかおりさんのスマホから読み取り、友達追加した。


「じゃあ、なにかあったらこれで」


 フリフリと片手でスマホを見せ、「了解です」と返事をして、かおりさんは出て行った。


 ……すると、すぐにブブッとスマホが振動し、見てみるとかおりさんだ。


『これは私と佐伯君だけの秘密だからね』


 送られてきたメッセージはこの文ともう一つ。

 添付されている写真だった。


 タップし、開くと、そこには小さい頃の七葉の写真。

 大切に育てられていたんだろうな。満面の笑みが可愛い。そう思わせてくれる一枚の写真だった。


『とても可愛いです。ありがとうございます』

『家に来た時、もっとたくさん見せてあげるから、お楽しみに!』


 スタンプと一緒に送られてきたメッセージ。

 少しだけ不安だった気持ちも、かおりさんとこうして話せたおかげで荷が下りた気がした。



 幸せにする。それは揺らぎない俺の気持ち。

 これからたくさんの事を経験するだろう。

 喧嘩だってするかもしれない。嫌だと思う所も出てくるかもしれない。


 だが、それはお互いに同じこと。

 ちゃんと話し合って、許容して、直して。


 いつまでも幸せに過ごしていこうと改めて感じさせてくれたかおりさんに感謝をする。

 見えないと分かっていても、俺は玄関前で頭を下げた。



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