第5話:デミグラスソース。

 花宮さんは今日の今日で俺が来るとは思っていないだろう。逆の立場だったら、正直迷惑でしかない。

 だが、勢いよく飛び出してきてしまった。

 彼女と別れて、荷物を纏め、車を走らせること7分弱。辿り着いてしまった。


 そう、今現在、俺は花宮さんが住む一軒家の前に車を停めて、インターホンを押すか押さないかで悩んでいる。


「流石にまずいよな……。こんな今日の今日で勢いで来てしまったが……」


 インターホンの前を行ったり来たりと忙しなく、かれこれ10分くらいずっとこの状態だ。


「よしっ、今日はやっぱり帰ろう」


 自分に言い聞かせるように独り言を呟き、車に戻ろうとした時だった————


「そこのお兄さん、ちょっとお話いいですか?」


 声に反応するように後ろを振り返るとそこにいたのは、制帽を被り、水色のシャツの上から防刃チョッキを着て、腰には警棒と拳銃を備え付けている、所謂、お巡りさんだ。


「お兄さんって、僕の事ですか?」

「はい。あなた以外に不審者みたいな人いますかね?」

「不審者? え? 俺が? なんで? 違いますけど? 人違いでは?」

「あのね、ここの花宮さん? って人の家の前でうろちょろしてる怪しい人がいるって通報があってね? 君以外に今、いるかな?」


 確かに……。他の人から見たら当然に怪しいわ。家の前をうろうろして、インターホンに手を伸ばしては引っ込めてを繰り返してたらそりゃ通報もされるか。


「いや、あのですね? この家は一応これから住む予定でして、花宮さんとはもちろんですけど知り合いなんです」

「うんうん。言い訳は後でじっくり交番で聞かしてもらうから。とりあえず来てもらえるかな?」

「待って待って! 本当に怪しくないから! 今から本人呼ぶから!」


 連行されそうになった為、慌ててインターホンを押した。


『はーい』


 インターホンから花宮さんの声が聞こえてくる。


「あ、あの! 佐伯です! 花宮さん! すぐ出てきてください!!」

「ちょっと、君! 何してるんだ! 他人の家のインターホンは勝手に押しちゃダメでしょ!!」


 お巡りさんに腕を引っ張られ、連れていかれそうになる。


『佐伯君!? どうしたんですか!?』


 顔だけをインターホンに近づけて、SOSを花宮さんに要請する。


「はやく出てきてください! お巡りさんが勘違いして大変なんです!!」

『分かりました! すぐ行きます!』 


 ガチャッと通話が切れ、お巡りさんの方へと顔を向き直す。


「今聞こえましたよね? ちょっと? 引っ張るのやめてくださいよ!」

「いいから早く来なさい!」


 花宮さん助けてぇ~。とそんな願いを込めて、必死の抵抗。だが、これで公務執行妨害と言われたら元も子もないので、やんわ~りと。


「その人は私の恋人です!! お巡りさん!」


 はい? 今なんとおっしゃいました? 恋人? 

 慌てて出てきてくれた花宮さんは、とんでもない嘘をお巡りさんに大きな声で伝えた。


「なんだ。だったら最初からそう言いなさいよ。家に入り辛かったのかい? 喧嘩でもしたのか?」

「え、いや、まあ……そういう感じです……」


 このお巡りさん全然人の話聞いてないじゃん……。


「じゃあとりあえずこれは決まりだから、免許証だけ見せて」

「あ、はい……」


 財布を取り出して免許証を渡した。


「早く仲直りするんだぞ。はい、これ免許証ね。じゃあ私はこれで帰るから」


 余計なお世話だ!!

 この場は何とか丸く収まり、お巡りさんから解放された。


「はぁぁ。まったく……佐伯君は何をしてるんですか。びっくりですよ」


 ガクッと肩を落とし、盛大にため息をつかれた。


「俺もびっくりですよ。本当にすいません。今日の今日で突然来ちゃっていいものなのかと悩んでたんです。それでやっぱり帰ろうとした時に、警察から声掛けられちゃいまして……」

「連絡してくれれば良かったじゃないですか」

「したくても、連絡先知りませんし……」

「そうでした! じゃあこれを機に連絡先を交換しましょう! お互いこれからは必要になると思いますし」


 スマホを取り出し、アプリを開いて、スマホを振る。これだけで連絡先が交換できるようになった事に少し感動する。今の若者は赤外線という物を知っているのだろうか……。


 電話番号も念のため交換して、花宮さんの家(これから俺の家)に上がった。




****




「とりあえずこれからよろしくお願いします」


 リビングにて、花宮さんの対面に正座し、座礼。


「こちらこそよろしくお願いします。こんなに早く来るとは思いませんでしたけど」


 クスクスと肩を揺らしながら、彼女も同様に座礼した。


「それに関しては本当にすいません。まだ向こうの家も解約したわけではないので、ちょくちょく帰って荷物を運ぼうと思ってます。とにかく彼女と一緒に居られないので出て来ました。情に流されて、なあなあになるのが嫌で。一緒に居れば居るほど慣れてしまうのが嫌だったんです」


 嫌いかと問われれば、嫌いではないと言うだろう。そんなに簡単には嫌いになれない。どちらかと言えば、まだ好きだろう。だけど好きという感情だけではやっていけない。俺は大きくないから。


「そうですか……。なんて言えばいいか分かりませんけど、多分佐伯君の行動は間違っていないと思います。私が一丁前に言える立場ではございませんが、好きだけではやっていけないかと。……恋愛は難しいですね」


 ぎこちなくにこりと笑った。俺の思考を見たのかと思うくらいに彼女は同じ事を言った。彼女なりの優しさなのだろう。


 ————恋愛は難しい。


「花宮さんは優しいですね」

「そんな事ありませんよ。今だって本当は佐伯君が来てくれたお陰で、家賃が半分になったと安心しています」

「それは辛辣ですね。ちょっと悲しいです」


 目に手をやり泣く仕草をを見せると、「冗談ですよ」と言って立ち上がり、キッチンへと歩いて行く。


 そして冷蔵庫を開け、中身を確認しながら何かぽしょぽしょと独り言を呟いていた。


「佐伯君、今日は何が食べたいですか?」

「うーん。やっぱりお肉ですかね……」

「お肉か、そうですね。そうしましょう! 今日はパァーッといきましょう!」


 俺を気遣って、明るく振舞ってくれる彼女の笑顔が少々きつい。こうした状況が沙也加と別れたという現実感を引き寄せ、襲ってくる。

 もう終わったのに。情けない。


「……大丈夫ですか?」

「……はい。大丈夫です。すいません、26歳になってまで彼女と別れたくらいで泣いてしまうとか情けないですよね」


 自然と涙が零れてきてしまう。

 大好きだった。

 結婚するつもりでいた。

 これからずっと一緒にいると思っていた。

 こんな形で終わると思ってもいなかった。


 気持ちが止まらない。我慢しても、我慢しても、少しずつ瞳に溜まった涙が一つ、また一つと頬を伝って流れてきてしまう。


「佐伯君」


 呼ばれた声に反応して、少しだけ顔を上げると、先ほどキッチンにいた花宮さんは隣にしゃがんでいた。


「……なんですか?」


「情けない事なんてありませんよ。私はろくに恋愛をした事がありませんから、あまり気持ちは汲み取れません。ですが、我慢する事ではないと思います。だってその涙はちゃんと彼女が好きだった、愛していたっていう証拠なんです。世の中には一人の人を愛せない人だっています。でも佐伯君はそれが出来る人なんですよ。それだけ一途に好きだったんです。だから流した涙の分だけ、これからを謳歌しましょう。情けなくなんてない。何も間違ってない。その気持ちを誇らしく持ってください」


 掛けられた言葉がストンと心に落ちた。

 恥ずかしさという壁が崩れ落ちていき、溜めていたものが崩壊するように咽び泣いた。



「花宮さん、ありがとう」

「スッキリしましたか?」

「はい! スッキリしすぎてお腹空きました!」

「じゃあ今日はハンバーグにしましょう! デミグラスソースをかけてお洒落に決め込みましょう!!」

「どこがお洒落なんですか?」

「デミグラスソース!!」


 間髪なき返答に笑いが込み上げてしまい、耐え切れず爆笑してしまった。


「何がおかしいんでしょうか?」

「ははっ、いやっ、大丈夫ですっ! 何もおかしっ……くくくっ!」


 むすっと頬を膨らませた彼女は、バチンッと背中を叩いてくる。


「失礼ですよっ! デミグラスはお洒落じゃないですか! いいですか? デ・ミ・グ・ラ・ス! ですよ!」

「痛ってぇ……くくくっ! ごめんなさいっ……笑いが……止まんないやっ!」


 マジだもん。マジだから余計に笑えてきてしまう。


「先ほどの言葉は全て撤回させていただきます! そして会社で言いふらしますよ!? いいんですか? 人前でわんわんと恥ずかしげもなく泣く人だと! ふんっだ!」

「ごめんって! あまりにも真剣に言うから面白くってつい……」


 あぁ、さっきまでの気持ちがすっ飛んでいってしまった。こんなに笑ったのは久しぶりだ。デミグラスソースでこんなに笑えるとは思わなかった。割とメジャーなソースはそこまでお洒落に思えなくてついつい笑ってしまう。


「まだ笑ってますよ! ひどいです。せっかく元気付けようと思ったのに! そんな佐伯君にはご飯作ってあげませんよ!」

「ごめんなさい! ……でも元気は出ましたよ! 花宮さんのおかげです。なんか会社にいる時とはずいぶん違いますね。もっと静かな人だと思ってました。それに眼鏡かけてますし、会社でかけてました?」


「私は会社でもこんな感じですよ! ……多分。普段はコンタクトなんです。家では眼鏡でと使い分けしてるんです。似合ってなくてすいませんね!」

「いやいや、とても似合ってますよ。すごく可愛いです。さすが会社一の人気者だけはありますね」


 俺の言葉を聞いた花宮さんは、顔を咄嗟に逸らしたが耳が赤くなっているのが丸見えだ。照れてる。面白いなぁ。


「いいい今更っ! そ、そんな、褒めたって! 何も出ませんからね!」


 ご立腹かと思えば、案外嬉しそうだった。

 これから色んな花宮さんを見ることになりそうで、生活が楽しみだ。

 



 出会いと別れの春。

 このどちらも体験するとは想像外の出来事だった。

 

 だけど、存外に悪い気はしなかった。


 



 ————そして、デミグラスソースのハンバーグはとても美味しかった。

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