第4話:後悔先に立たず。


 朝ご飯を頂き、俺は花宮さんの家を後にした。

 彼女の家は自分の家からさほど遠くない場所であり、マスターの店から徒歩8分くらい歩いたところにあった。


 会社からも近く、大体歩いて10分圏内といった感じだろう。近すぎて会社の人にばれてしまうのではと少しばかり不安になる。もし、一緒に暮らすことになったら会社にはばれないようにしたいと思ってしまう。別に隠さなくてもいいのだが、色々めんどくさそうだから。


 だが、ここで一つの問題が。


 基本的に住所が変われば、その変更された住所は会社に報告しなければならない。なので必然的にばれるリスクが一つ浮上する。絶対とは言い切れないけれど、少なからず一部の人間には知られてしまうかもしれない。

 提出した住所に対して、変に口を出すと調べられかねん。しれっと何事もなく出してしまおう。……あくまで住むとなったらの話だけど。


 そんなこんなで考えながら歩いていると、花宮さんの家から一駅ほど離れた場所にある自宅へと辿り着いた。


「ふぅー! よしっ!」


 自分に気合を入れて、玄関を開ける。

 玄関には男の靴は既に無く、それと彼女の靴も無かった。


「まだ帰ってないのか……」


 ぽつりと出た独り言がその空虚な空間を余計に虚しくさせる。嫌な想像ばかりが膨らんで、ポジティブに捉えたくてもネガティブな思考になってしまう。



 彼女が帰ってない理由もメールを見たので分かっている。

 昨日、花宮さんが彼女に送ってくれたメールの内容に対しての返信が来ていたからだ。


『後輩の山田が飲みすぎてゲロゲロになってるから介抱してしてる。今日は山田が心配だから山田の家に泊まって行きます』


 とこのようにだいぶ気を使ってくれていた。……花宮さんできる人すぎる。

 しかし、このメールの返信がまたむかつくのだ。


『了解です。私も友達と御飯に行ってそのまま泊まって行きます』


 はい、その友達とは誰ですか? 昼間の男ですか? セフレってやつですか? セフレではないか、恋してますもんね。ヤッてる時にあんなに名前呼ばないもんね普通。そもそも『達也』って誰だよ。


 こうして考えていると苛立ちが込み上げてくる。相手は誰か知らないけれど、家じゃなくてホテルでやれって話だよ。知らなくてもいい幸せってあると思うんだ。もっと……もっと、上手くやってくれよ。

 力と苛立ちを拳に込めて、下駄箱を叩いた。


「馬鹿野郎がっ!!」


 その罵声と同時にガチャッと————玄関の扉が開いた。


「どうしたの……柊? 何かあった?」


 やばい、聞かれたか? 


「おかえり、何でもないよ。あとで少しだけ話がしたいんだけどいい?」 

「いいけど……」

「先にシャワー浴びてくる。昨日そのまま寝ちゃったから風呂入れてないんだよね」

「昨日大変だったんだね。わかったよ、待ってるから」


 肩をポンポンと叩いて、彼女はリビングへと歩いていった。

 少し冷静になろう。ここで怒鳴り散らかしたって意味は無い。感情に任せて言ったって何も伝わらないし、話がずれていきそうだ。

 よく考えて、落ち着いて、話をする為には一旦頭を冷やすべきだと。

 そのまま浴室に向かい、シャワーをいつもより長く浴びることにした。




****




 シャワーを浴び終えて、髪の毛も乾かし、冷静になった俺は一つ考える。

 ここから話がどう転がるか分からないが、俺は彼女と別れて家を出たい。この考えは変わる事はないだろう。彼女との思い出がたくさん詰まったこの家に居るほど俺は強くないのだ。


 だからと言って、花宮さんの家に行きたくて仕方がないとかではなくて。

 確かに彼女の話は魅力的だった。一人でいるよりも気持ちは誤魔化せると考えている。一人でこの家に住んで余計なことを考えるくらいなら、それを誤魔化せる理由を花宮さんに押し付けてしまえばいいと。花宮さんにもメリットがあって、俺にもメリットがある。互いが協力する理由に充分値するはずだ。


 バチンッ! と自分の頬を叩き、鼓舞する。

 そして彼女の待つリビングへと足を踏み入れた。

 ソファーに座っている彼女の隣に、拳三つ分くらいの間隔を空けて腰を下ろす。


「じゃあ早速なんだけど……なんか俺に隠してることない?」


 自白してくれないと分かった上で、彼女に問いかけた。


「え? ……ないけど」


 少し間があったが、案の定の返答に呆れてしまう。だが、そのまま話を続けることに。


「じゃあこの靴は誰の靴かな?」


 スマホを開いて、保存しておいた浮気相手の靴を彼女に見せると、目を見開いて驚きを隠しきれないほどに表情に出始めた。


「し、知らないよ? 柊の靴じゃないの?」

「俺はこんな靴持ってない。俺が履いてる靴くらい知ってるよね?」

「で、でもその靴は知らないよ」


 しらを切ってこのままやり過ごすつもりだろう。でもそんな事はさせない。

「最後に一つ。これは沙也加さやかの声だよね? 俺が昨日ここに帰って来た時に寝室から聞こえてきたんだけど。帰って来たことにも気付かないくらい夢中だったみたいだけど」


 そう言いながら録音した音声を流した。

 どんな顔をしてるのかと彼女を見ると、驚きよりも先に真っ青になっていく。

 はい、黒確定です。というか、現場にいましたし。


「……ごめんなさい。一時の迷いだったの。押されて……ごめんなさいっ、本当にごめんなさい! もうしないから! しないって約束するから!」


 観念し、白状した彼女は泣きじゃくりながら近寄って、袖を掴んで揺すってくる。

 そうやって後になって謝るくらいなら最初からやるな。間違ってるよ。何もかも。君は間違ってる。一時の迷いとは? 押されたから? それが何? その程度で君は股を開くのか? ……心底見損なったよ。


 傲慢に思われてしまうかもしれないが、俺はそこら辺にいる人以上に家の事はこなしてきているつもりだ。君が浮気に走る理由はそんなくだらない理由でしてしまうものなのか? 違うだろ。


 そもそも家に男を上げる時点でおかしいと思わないのか。これは勝手な憶測でしかないが、今回に限った事でもないだろう。欲をかけばこうなる事くらい分かるはずだ。それでも我慢できなかったのは君の弱さでしかない。一時の欲にまみれて、すべて失ったのは自分のせいだ。


 自分にとって快楽がメリットであるならば、バレるかもしれないという不安が俺にとってはデメリットでしかなく、バレた時に返ってくるものが大きすぎる。もっと考えろ、自分が今していることが本当にいい事なのかと。後悔先に立たずって諺あるくらいなんだから。


「俺はもう一緒にはいられない。この家も解約して出て行くから」

「嫌だ! もうしないから。本当にごめんなさい。二度としないから……許して……」


 許す? 二度としない? ふざけるな。一回やった時点でもうアウトなんだよ。そんな言葉を掛けられたって俺には響かない。二度とな。


 一回やったら全ての信頼は失われてしまうんだ。どうせまたやると。そうやって考えてなくても心のどこかでそう思ってしまう。それを抱えながら付き合っていく人の気持ちも考えてほしい。


 謝ったって、説得したって、それはもう手遅れなんだよ。何を言われてもなびかない。既に解は出ているのだから。


「許す許さないとかの問題じゃない。お前がやった事は今までに築き上げてきた信頼関係を自ら手放したんだよ。全て失った。それはもう修復できないし、するつもりもない。だから今すぐにとは言わないから、一か月以内に出て行ってほしい。今日限りで俺達は別れよう」


「そんな……」


「説得の余地はない。今日から荷物纏めてくれるかな? 俺は器が小さいんだ。悪かったな。一緒には居られないから俺も必要なものだけ纏めて出て行く」


「……分かった。本当にごめんなさい。……今までありがとうございました。とても楽しかったです」


「あぁ。俺も楽しかったよ。昨日、現実を知るまではね」


 俺達はこうして終わった。これでよかった。


 そうやって自分に言い聞かせながら、仕事に必要なものを纏めて、家を出た。

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